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ヤングケアラー? 私のことだ!(新しい言葉を知って、膝を叩いた私)その1

「また、このパターンか」 
 うんざりだった。私は、その時高校3年生。大学受験を控えて部活も引退し、本来なら勉強一筋の時期に突入していた。
 まもなく晩秋、でもそのずっと以前からこのような状況は続いていて、事態はますますひどくなっていった。
 夕方6時半を過ぎる頃、
「飯は、どうするんだろうなぁ~!?」
 と父がヒステリックな声をあげる。
 そのイントネーションは。本当に心をざわつかせるので、耳を塞いでしまいたくなる。
弟の晴信は、ソファに横になってテレビを見ながら、
「腹減った~」
 と叫んでいる。
 母は。
 帰宅していない。しかも何時に帰ってくるか、全くわからない。
 父と弟のいら立ちを全身に受け、私は一人台所へと向かい、夕食の支度を始めるのだった。
 近頃、本来ならばその年齢でやらなくても良い看護、介護や家事など、家族の世話をする若い人たちのことを「ヤングケアラー」と呼ぶことを知った。
 その時私は、目の前の霧が一気に晴れたような気分になった。そうか! 私は、母の代わりに家事を担い、父と弟の世話をするヤングケアラーだったのか!
 友達は皆受験勉強だけやっていて、高い目標を掲げ努力している。
 私は。
 調理、配膳、洗い物がすべて済んで時計を見ると、もう午後の9時をまわっているのである。今日こそは、早めに勉強を始めたいと思っても、母は帰ってこない。
 文頭の嘆きが口をついて出てきてしまうのも、ある意味しかたのないことだったのでは。
 その頃母は、何をしていたかと言うと。
 中学教師の母は、担任した不良少年の更生に燃えていたのである。
 帰宅は、毎日終電。12時過ぎだ。携帯電話などない時代、簡単にLINEを送り、
「今日も遅くなる」
 などと連絡できるわけもなく、だから今日は帰るのか帰らないのかもわからないのだ。
 家族なんだから、協力すべき。そういう意見は、ごもっとも。だけれど、それは全員がお互いにいたわり合い協力しているのが、前提。我家は、そういう類では、まったくなかった。
  父と弟の文句混じりの声を聞くのが嫌で嫌で、いつしか自らキッチンに立つようになった。誰に教わったわけでもなく、やむを得ずという感じ。
 その頃家ではミールキットのようなものを頼んでいて、買い物に行かずとも食材は何かしら届いていた。必要な材料が人数分パッケージされているので便利ではある。けれども、添付されたレシピを読んでいる時間など、ない。衣をつけて揚げたり、オーブンで焼いたりといった手のこんだものはできない。だから、レシピを無視した炒め物などが多くなる。
 気が、急く。
 包丁遣いも慣れていないので、ある時玉ねぎを切ろうとして、指を切ってしまったことがある。
 血が流れ、焦った。
 そこへ偶然、
「まだ~?」
 と晴信が台所に催促に来た。
「今玉ねぎ切ろうとしたら指切っちゃった」
 と私。
 晴信は。
 拍手をした。今となっては、なぜそんな反応をしたのかはわからない。心配はしたけれど、その表現が単に下手だっただけなのかもしれない。 
 けれども、ただでさえささくれ立っている私の心は、いっぺんで萎えてしまい、情なくて涙が出た。
 手を怪我していても、他に誰か代わってくれるわけもなく、私はバンドエイドを指に巻きつけて調理を続けた。
 とにかく一刻も早くすべてを終わらせ、勉強をしたかった。

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