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夜行バスで書いた怪文書: ワーグナー「婚礼の合唱」

結婚行進曲と呼ばれる曲は2編ある。ひとつは1840年代に書かれたメンデルスゾーンの、もうひとつはワーグナーの「婚礼の合唱」だ。

ワーグナーは音楽・声楽を組み合わせた楽劇を創始した。当時、オペラは作曲者と作詞者の別が当たり前だったが、彼はこれを1人でやり切った。

パリでは評価されなかったワーグナーは、地元のドイツ・ザクセンで「リエンツィ」を記し、これが大ウケ。その人気を引き下げてパリ革命に乗じザクセンで革命を目指すも失敗、指名手配されてスイスに亡命する。

ここで出会ったリストが人を繋ぎ、ドイツ・ヴァイマルでの演奏会が叶った。にも関わらずしばらく泣かず飛ばず、13年間の亡命生活の間は困窮していたのだ。指名手配も解除され、長く別居していた妻と再会するもその4ヶ月後に妻は逝去する。ワーグナーは長く苦しむも、転機が訪れる...が、これは本題では無い。

ヴァイマルで演奏が叶うも当たらなかった作品、それがローエングリンである。

ローエングリンは3時間半にもなるオペラだ。彼はこれ以降楽劇の製作に没頭するため、ワーグナーが作った最後のロマンティック・オペラである。

ローエングリンの舞台は、現在のベルギー最大の都市のひとつである港湾都市・アントワープの10世紀。元ネタはアーサー王伝説の一編で、聖杯探索を3度も成功させたパーシヴァルの息子・ローエングリンを主人公とした物語である。ローエングリンは、原典の名無しのブラバント女王にエルザという名前を与え、オペラに昇華した。このオペラのクライマックスである、ローエングリンとエルザの結婚式で流れる曲が「婚礼の合唱」である。

この音楽は明るげな曲のように見えて、その後の2者を暗示している。ローエングリンはエルザの下を去り、エルザは逝去する結末へと、この曲は向かわせる。

ワーグナーの「婚礼の合唱」とメンデルスゾーンの「結婚行進曲」の2曲が結婚式で流されるようになったのは、単にそれが美しかったからに止まらず理由がある。1858年のプロイセン王太子・フリードリヒとイギリス王女・ヴィクトリアの結婚式で流されたからだそうだ。

「婚礼の合唱」の示す暗い結末に反して、2人の結婚生活はとても安定したものだったという。

...なんでこんな話を急に始めたかって?昨日久しぶりに太鼓の達人DSの結婚行進曲を遊んだんですが、新郎新婦の「乾杯」の一言から始まって、最後は救急車を呼ぶところが、原作準拠だなぁと思ったからです。

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