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【お話】ふたつの森がありました #最終回

ノウンの住処

 扉の前で、ヒューとピーノは何度もノウンを呼んだが、中からの返事はなかった。
 「おかしいな…出かけてるのかな」
 「ノウン!! ノウン、いないの?」
ふたりは顔を見合わせて、首を横に振った。
 「仕方ない、出直そう」
 「ええ。でもね、ヒュー、私も風や天気のことは分かるのよ。ノウンほど詳しくはないけど、ある程度の予測はできるから、大丈夫よ」
そんなことを言いながら、ふたりはノウンの住処をあとにした。

 抜け道をつかってふたりを追い抜いて、ノウンは住処の中にいた。
真っ暗な部屋にうずくまって、ヒューの気配が遠ざかっていくのをじっと待っていた。
やがて、肩を震わせながらノウンはぶつぶつと独り言を言い始めた。
 「ヒュー…この森を出ていかないでくれ…お前の存在だけが私を救うのだ…」
頭を抱えて目を閉じて、ノウンはヒューの名を何度も繰り返していたが、やがてキッと宙を睨み付けて、
 「孤独じゃない、だと? ひとりぼっちでも、孤独じゃないだと?」
さらに肩を震わせて、ノウンは笑い出した。
 「負けたよ、ヒュー! 私の負けだ」
笑っているのか泣いているのかわからないような声で、ノウンは言った。
 「私の、負けだ」
そして、うつろな目で立ち上がり、戸棚をあさって薬の瓶を取り出した。
 「早く、このワスレグスリを飲まなくては」
瓶のふたを開けようとするが、手が震えてうまく開けられない。
 「身体の細胞はあのときに一度飲んだ薬だけで、何度でも再生するようになっているが、脳細胞はデリケートだ。忘れていいことと、忘れてはいけないことがある。200年もの記憶を全部詰め込んではおけないし、全部は要らない。必要なことだけ覚えておけばいい。ノートに記録を取ってな」
机の上には、たくさんのノートが積み上げられていた。
 「つらいことや、悲しいこと、ストレスになってしまうようなことは老化につながる。全部忘れてしまったほうがいい。それが『さすがのノウン』で居続けるための秘訣だ」
ノウンは震える手で瓶をやっとあけて、ワスレグスリを飲み込んだ。
肩で息をして、寝床へ向かおうとしてよろけて机にぶつかった。
ノートの山がくずれて床に何冊か落ちてしまったが、拾おうともせずにそのまま寝床に横たわった。

=暗転=

 夜が明けて、ノウンの住処の扉をたたく音がきこえる。
 「おーい、ノウン!!起きてる??」
リスの子どもの声がする。
 「広場でクマさんとタヌキさんが揉めてるんだ! 仲裁にきてよ!
さすがのノウンの言うことなら、みんな納得するからさあーー」
ノウンは目を開けて、身体を起こした。
 「ノウン、いるんでしょーー?」
何回かまばたきをして、やがて笑顔をつくった。
 「ノウーン!」
 「よしよし、今いくよ!」
ノウンは勢いよく立ち上がって、そのまま扉をあけて出て行った。
強い風が舞い込んで、床の上に散らばったノートをパラパラとめくった。

ノウンの日記

 『70歳と100日』
 アイツが死んだ。
 「お前が哀れだ」と私に言い残して、死んだ。
哀れなのは、アイツの方なのに。馬鹿なやつだ。

 『150歳と50日』
 みんな、逝ってしまう。私を置いて、逝ってしまう。
孤独だ…。私は独りだ。
みんな、流れていくのに。私だけが、ここに留まっている。
私だけが、取り残される。

 『185歳と3日』
 私よりも孤独なものをつくろう。
どこにも仲間のいないものを、つくろう。
いろんな動物の細胞を足して、削って。
さすがのノウンの私なら、つくれる。
時間なら、たっぷりあるしな。

 『194歳と90日』
 そろそろ、ヒューからライラを取り上げよう。
ワスレグスリをライラに使った。
そして、さらに…ヒューへの恐怖を暗示でうえつける。

この森で、いちばん孤独なのは、私ではない。
ヒューだ。

この森で、いちばん孤独なのは…
私ではない。


おしまい

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