6月21日 さよなら、風

タイトルに意味は無いです。

日記を書いてる人が言う、日記を書いてると周りの物事に鋭敏になる、みたいな状態になりたくて日記を始めたのに、3日でやめているのでまさに三日坊主だった。

言葉が言葉として成り立つにはそれなりに説得力がないといけない(と個人的には思っている)ので、説得力の意味ではめちゃめちゃ体感している今、三日坊主という言葉が成り立ったのもうなずける。凄いわ。

ここ最近、課題が立て込んでたり家のことも色々やらなければいけなかったりととても忙しいこともあって、何となく気分が沈んでいる。元気がない。

今日、ジャーナリズムの授業があったのだけれど、先生がかなりインターネット寄りで、FLASH時代の動画(恋のマイアヒ)とか、初音ミクのGoggleChromeのCMとか見せてくれて、楽しかったな。
何となく、その時代ちょうどに生きていた訳では無いのだけれど、小学生の頃はパソコンでひたすらにそういうFLASHを漁っていたこともあって、すごく懐かしくて愛おしいような感じがした。
多分、心の中の根っこの方に、体験したこともないあの頃のインターネットがあるのだと思う。今でもインターネットに顔を載せてる人とかを見ると不安になってしまうのは、多分そういうこと。住所が特定されて、次第にお兄ちゃんどいて!そいつ殺せないになってしまうのではないかという怯えがある。
まぁこのミームは顔の問題では無いけれど。

たまに、実感したこともないのにあの頃のインターネットに戻りたいと思うことがある。
人間の綺麗じゃなさというか、自己顕示欲に辟易している。自分にも。でも、あの頃のインターネットも結局最悪なのは変わらないから、幸せにはならないんだろうな。みんな毒を飲んでいる。毒を飲みながら美味いというのが、カッコいいみたいな時代があの頃。
今は当たり前のように毒を飲んでいるせいで、誰も毒だと気づいていない。いや、気づいてるけど周りも皆飲んでいるからと見て見ぬふりをしている。

もう、子供の時のように、マリオカート7で下画面のマップを隠してかくれんぼして一喜一憂したり、住宅地の中で鬼ごっこしたりすることはもう無い。
ビル風ほど強くは無い、あの細い道を駆けた時に確かに切っていたあの風を、感じることは出来ない。
たまには、本気で走ってもいいかもしれないと思うことはあるけれど、現実的な問題(洗濯の面倒くささとか、人の目とか)を考えると、なんだかやる気を失せてしまう。

多分もう、二度と会うことは無いんだろうな。

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