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記録をとること。アーカイブについて 後編 卒制ができるまで/02

2021/05/13 夜 (見出し:04/17 夜中)

昨日、01として記録をとることについて書きました。予想以上に長くなったので分割してこちらは後編になります。

この後編ではより卒制についてのキーワードを探すことに重きが置かれている感があるので、アーカイブの語源的な意味などが知りたい方は前編のみでよいかと思います!

アーカイヴの病 書評めぐり

アーカイヴの書評巡りはこれで最後、この記事は10+1 websiteの『「収蔵・展示・教育」から「アーカイヴ・インスタレーション・ワークショップ」へ ― 美術感と建築家の新しい位相』という特集に掲載されている記事。

このアーカイヴ的暴力が、ミュージアム(博物館/美術館)においても、知の規範の一部として作用してきたことは言うまでもない。
(中略)
「アーカイヴ的暴力」はあくまで、それぞれの「芸術」や「作品」の規範に応じた「コレクション」の選別・収蔵の局面において作用してきたように思われる。

選択的なコレクションではなく、網羅的なアーカイヴに美術館の関心の移動が見られるとすれば、それは歴史ないし過去との関係性の変化に対応していると考えられよう。
(中略)
アーカイヴはコレクションのように見通しの良い歴史的展望を与えない。ひとはアーカイヴで資料体のなかに入り込み、資料との接触を通じて過去に「触れる」。

アーカイヴという行為の暴力性(アルコン的原理、そして亡霊的構造)がミュージアム(博物館、美術館)の収蔵にも言える、美術館は選択的なコレクションであり、網羅的なアーカイヴではない。

美術館におけるアーカイヴのうちに見出されるべきは、フーコーやファルジュが典型的なアーカイヴ的暴力の場で発見した「汚辱に塗れた人々の生」に相当するような何かではないだろうか。それは「芸術」であろうとする前提や意図などまったくなしに、美術館のアーカイヴが網羅的であることによって結果的に記録されてしまうような出来事である。そんな情報・資料収集のメカニズムを美術館は構築可能だろうか。ファルジュによれば、そうした出来事の痕跡を探し出す作業は、大海への潜水に似た資料への埋没を求める。そのようなアーカイヴの経験こそが、過去に「触れる」歴史へのアプローチにふさわしいのだとすれば、美術館のアーカイヴは単に収蔵機能にとどまるものではなく、展示や教育までも包摂した活動の形態となるのではないだろうか。このようにアーカイヴ化する美術館は、コレクションの鑑賞という形式を離れて、鑑賞者によりいっそう能動的な探索の作業を要求することになるだろう。

美術館のアーカイヴ化は、鑑賞者に選択的なコレクションの鑑賞ではなく、網羅的な収集の中から能動的に探索する作業を要求するようになる。そんなアーカイヴ化した美術館を構築できれば、美術館のアーカイヴは収蔵機能にとどまらず展示や教育を包括した、アーカイヴ・インスタレーション・ワークショップの活動形態になるのではないか。

個人的解釈でざっくりまとめるとこんな感じになりました、全体として、これからの美術館のあり方について書かれていた感じですね。色々省略しているのでリンク先に飛んで読んでみることをおすすめします、あくまで文章を思い出すための引用なので。


引用はしていないけど記事の中で、レヴィ=ストロースは「野生の思考」という本で、アーカイヴされた古文書は純粋な歴史と接触させる出来事の化身のようなものだと述べていて、その小さな歴史のかけら、ガラクタに似た性質が、ある個人ないし社会の歴史の化石化した証人になり、その出来事の化石で作られる構造に、神話的思考やブリコラージュの特性を見出したそう。

ブリコラージュも最近気になっていたワードだったので、後でピックアップします。この文章↑は無理にまとめたことによって意味が通じなくなっているかもしれない。

アーカイヴの魅力は、そこが出来事の化石化したかけらが羅列される、歴史という遊戯の場であることに由来するのだろう。そんながらくたたちによる「遊び」──時間と戯れる遊び──が歴史経験を呼び覚ます。美術館のアーカイヴもまた、「芸術」という制度を支える「傑作」の収蔵庫であったり、「美術史」が公的に管理する「歴史学的な過去」を体現する場ではもはやなく、出来事の夥しいかけらのうちに埋没し戯れる場へと変容してゆくのかもしれない。

美術館が過去の場所からこれからの場所になる、宝石店から採掘場になるみたいな感じでしょうか。たしかにそれなら行ってみたいかもと思いました。


私は芸術系の大学には通っているものの、アートについての知識はほとんど無く、それ故に引用元の記事に書かれている「第一世代」などはピンと来ませんでしたが、それでもこの美術館のアーカイヴの考え方は卒制の展示形態に活かせそうな気がします。

今日書いていた五感というキーワードとも繋がるように思っていて、展示空間と記録と体験、それらのデザインされたものが卒制として現れてくるのかも。それこそインスタレーション的な。


今回見つけたこの特集記事は他にも参考になることが多そうなので次回はこの特集からキーワード抽出を行いたいと思います。

ブリコラージュは次次回か、そのあたりで。


02/10 大学

暮らしのなかには、五感で感じる光の要素が多分に含まれていると思う。
光との関わり方で、生き方も変わってしまうような気がする。

暮らしに関わるいろんな光を集めるのも、いいかもしれない。

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