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浮かぶ言葉は本心か[雑記]

スーツを着ない社会人

出社しない、4月1日。
リモートというわけでもなく、ただインターネットにつながっているだけ。

そうした学生ではない人になった。
社会にこれといった貢献をしていない、する目処が立っていない人を、はたして社会人と呼べるだろうか。

これからは、延命のために課金し続けなければならなくなった。こんな考え方をするから、今こうなっているのだろうか。


私が今こうして何者でもないのは、おそらく生きるための努力を怠ったからだろう。

一日の大半を捧げる場を探し出す熱量と、決断する勇気と、それを続ける意思が、なかった。

生きるためにとりあえず働く、やりたいことではないことを、憧れていた夢であるかのように語る、そうした嘘にまみれた状態で、日々過ごし、見ず知らずの誰かから儲けを出すために金をもらう。

生きるために、生きている時間を犠牲にする。


そこまでして、私は生きたいとは、思えない、かもしれない。

綺麗事だと思う。死にたいとも思わない。
生きていくことは、誰かから何かを奪い続けることだ、完全な平和なんて無い。

社会が大きくなって、自由な時代になって、個人が生まれたから、こんなことを思うのかもしれない。集団で生きていて、誰かに生かされている実感が無いから、こうした世迷い言を吐いているのかもしれない。

一人では生きていけない。

だから、折り合いと割り切りが必要なんだろう。

好き嫌いの次元ではなく、この社会で生きていくためには、社会のために何かをするのは当たり前のこと、そうかも知れない。

それができていないから、未熟なのだろう。


おすそわけの疑似餌

やりたいことがあるのは素晴らしいと思う。それができていることは、もっと素晴らしいことだと思う。

人のために、とか、夢を形にする、とか。私にはまだよくわからない。


やりたいことは、だいたい、自分のためだ。誰かにわたすのは、たぶん、溢れたあまりものだ。おすそわけなのだろう。

自身が飢えているのに、誰かに渡してしまう。そうしたひとは称賛されやすい。共有することは、チームなのだから、おかしなことではないはずなのに。

最近は、しっかりと抱えたまま、見せびらかしている、もしくは、もってもいないのに、みんながほしいモノを仕入れてきて、自身から満ち溢れているかのように振る舞っている空虚な人が、多いように見える。

助け合いのチームプレイだったものが、勝ち抜けのバトルロワイヤルになっている。一見きらびやかな様相を呈しているが、中身は喰われて残っていない。

喰われもせずに腐敗させているのもどうかと思うが、釣る側からしてみれば、結局餌を釣る餌でしかない。


歯のなくなった車にすがる

社会は大きくなって、個人とはある程度切り離されて動くようになった。

一人が動かなくなることで社会が機能不全を起こすようなことは無い。

社会にたいして貢献していないと言ったが、着ている服も、食べているものも、誰かが作ったものであるし、今生きている人のために、今までの人が生きてきたわけで、つまり生きているだけで誰かにほんの少しだけ貢献していることになるんじゃないだろうか。

全員が等しく貢献することが正しいわけでもないと思う。

今の社会は、おそらく僅かな人々によって動かされている。際限なく高まっていく水準に合わせるために、皆今までと同じように働いているだけで、価値がなめらかに循環していれば、社会を動かしている人にある程度おまかせすることで、他の人はもう少し落ち着いて、生きやすく、息が吸いやすくなる気がする。


ミーイズムの一歩

疲れてくると、色々余計なことを考えるようになる。
存在意義であったり、価値であったり、生産性だったり、費用対効果だったり。

これらを考えていると、自身をどんどん「消費するものだ」と考えてしまうんじゃないだろうか。生きている理由とか、行動の目的とか、そういったものはもっと単純でいいと思う。

料理をするのは、おいしいごはんが食べたいから。

照明を気にするのは、おちついた気持ちになりたいから。

音楽をかけるのは、おだやかな空気を保ちたいから。

写真を撮るのは、残しておきたいものがあるから。

生きているのは、死なないといけない理由がないから。

わたしのためでいい、守るためでなく、よりよくあるために。


誰のための偽善

誰かを意識することも必要かもしれないが、あくまでそれはおすそわけだと考えてみたい。

余裕がないのに、だれかのために何かをしようとすることは、第三者へのアピールでしかないのかもしれない。ここでの余裕は、心のことだ。

枯れた心から出たもので、誰かの気持ちは動かない。それを動かす技術をノウハウとかテクニックとかデザインとかって言葉で当たり前にしないでほしい。
利益第一のモノを顧客第一とか寝言はやめてくれよ、他社より5円安い企業努力は本当に顧客のことを考えているのか、財布に優しい(払いやすい)ってことにしかなってないのでは?
そんなことを思ったりする。

お金に縛られている間は、どうしても抜け出すことが難しい、お金で解決する以外の方法を身につけることが、生きやすくなるための一歩だろう。

私がほしいものを作る、探す、集める、共有する。そうしたいきいきとした人々の関わりが帰ってくるといいな。

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