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書きたいから書いた、誰のためでもない。

気持ちというのは出してみないと全体像が見えてこない、実態がつかめない。しんどさを消そうとして出してみたら、見えていなかったしんどさがどっと溢れてきた。今まで出してこなかったものたちも、見えていない部分が山のようにあったのだろう。感じているしんどさと、身体に現れる症状との乖離があった理由がわかった気がした。
悩みを打ち明ける行為は、これほど見えていないものを引き出す力があるのかと驚いた。解決なんてしないのだけれども、見えるようになることは前進だと感じる。それなりのリスクもあるしとても疲弊する行為ではあるけれど、後悔は今のところ無いので良しとしようと思う。

本文に思ったことすべてが書いてあるわけではないし、どれがどれくらい嘘で本心かはわからない。本当の自分なんてものはないだろうし、そもそもこの文章は誰のためでもない。
誰のためでもない文章なのだから、もし読む人がいれば、真剣に読まないことをおすすめしておこうと思う。

本文を書き終えて感じたこと


関わる人が増えて、いろんな世界を知って、多様な価値観に触れた。

知り合いや顔見知り、いわゆる浅い関係ができたことで、得られるものも多かったけど、同時に面倒事もやってきた。

そんなことになるくらいなら、はじめから要らなかった。なんてことはあとから言えないわけで、ほんとに呪いだと思う。

向き合うとか、乗り越えるとか、簡単にはいかないし、それが成長だって言われても困るし、逃げは甘えとか言われても立ち向かうのが正義か?と思う。

こちらが被害者ってわけではなくて、大抵の原因はこちらにあるだろうから、相手には申し訳ないと思うし、できることなら解決させたいと思う。

でも取り消すことはできないし、たとえ解決したことになったとしても記憶は残るしその時の感情も消えはしないだろう。

ハッピーエンドなんてない。

始まってしまったら変化を止める事はできない、終わらせるからハッピーエンドに見えるだけで、実際は続いてる。それもどこかで終わってしまう。
終わってしまうのはバッドエンドだ。

だからできるだけ始めたくない。
終わらせることができない未熟さを超えていく強さはあいにく持ち合わせていない。

しかし始めなければすべてが終わってしまう。

エンディングにはまだ早い、今はまだそう思えるから、またはじめてみたりする。なんでも先延ばしにする。決断から逃れていく。


本当に後悔ばかりだ。
いい出来事なんてものは、はじめからなかったかのように忘れてしまうのに、よくない出来事は10年経っても残っている、思い出す。

毒は消えない、麻痺してわからなくなるだけで、ずっと留まり続けている。

楽に考えろとか、気にするなとか、悲観的になるなとか、好きなことをしろとか。よく言うし、言われることもあるけれど、わかってる、以上の言葉が出てこない。
考え方を変えたら気持ちも変わるでしょう、変われるのならね。

変わろうとしないやつは変われない。


ハッピーエンドは強者にしかやってこない。



終わりが決まっているのなら、過程を大切にしないといけない。
楽しいと思うこと、面白いと感じたもの、それらに積極的に触れに行くことでしか、事態は好転しない。

何を書いているのかわからないけれど、書いていて、過程に目を向けようと思った。終わってしまうからしんどい、だから続けられるものしかやらないようにできればいいのかもしれない。やめられないは地獄だが、続けられないも地獄なのだ。

続いているものに前向きになろう、突き詰めていこう。続けられるようにしよう。挑戦はしたければ好きにすればいいと思う。
やりたくないからしない、ではなく、こっちのほうがやりたいからする、にしていきたい。

何が言いたいわけでもないが、書きたいから書いた。それだけだから、気にしないでいいと思う。


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