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独り言・動詞で考える私の好きな事→やりたいことってわからないよね。

やりたいこと、好きなことは、名詞ではなく動詞で考える。

どこかのYouTube動画で見かけたこの考え方で、どうなりたいのかを考えてみようと思う。

だから、これからやりたいことについて考えてみたいと思う。

ひとつは、卒業制作の延長戦「カフェと生きる身体」についての研究。
これからの働き方とか、暮らし方、会社で考えてきた“作り手”としての生き方についてなど、深めていって伝わる形で現実に持ってきたい。

卒業制作で、生きづらい現実からどう逃げるのかを考えてきた。知識を蓄えて、自分の中で組み合わせ、編集されたものから私なりの解を出そうとしてきた。その一連の取り組みを研究という言葉でまとめている。

調べて考えて、私なりの解を出すことが好きなのだろう。こうすればいいのでは?という仮説を立てるのが好きだとも言えるかもしれない。
普段ネット上で何かを買おうとしたときに、まずは欲しい商品の有名所や、話題に上がっている商品などをリサーチしつつ、抑えておいた方がいいポイントを把握していく。その後、自分に必要なスペックはどの程度か検討し、それに見合ったもので、見た目、性能と価格のバランス、購入者の評価などをリサーチし、最後に価格の動向や新製品のなどの情報を確認し、購入するかどうか判断する。こうしたことを、いちいちやっているものだから、一つ何かを買おうとするたびに長い時間がかかっており、それで数時間溶かした結果、買わないという選択をすることもしょっちゅうある。
それでもやってしまうしやりたいと思うのだから、私はそうした作業が好きなのだろう。
調べる、考える、選ぶ→「探す」というのが好きなのかもしれない。


ふたつめ、カフェづくりで構想していた、[drink is a good media](飲み物は人や物をつなぐ中間的な存在、媒体である)というコンセプトをどうすれば実現、実装できるのかを考えて試作してみたい。

会社でカフェを企画していたときに構想していたコンセプト。
考え方が個人的に面白いと思っていて、飲み物がメディアであるという仮説を立てることと、その根拠のようなものを組み上げるところまでは行けたのだが、それを実際にお店で機能させるためにどうすれば良いのかまでいかず、机上の空論にとどまってしまった。
ここでは試作してみたいと書いているが、正確には、試作を重ねていく過程は実に面白いことだろうな、と自身のモチベーションとは関係ない、ある意味客観的な見方をしたうえでの記述だと思っている。
つまり、私は実際には試作したいとは思っておらず、試作をしたら面白いだろうということがわかっている、が、今それをする熱量はあいにく持ち合わせていない、という感じだ。

これはずっと抱えている悩みなのだが、やりたい、と思えることがなかなか無い。やったら面白いし実りあることなのだろうが、私がやろうとは思えない。何事にもそんな状態なのだ。
やり始めると楽しく最後まで進めるのかもしれないが、その地点に立つまでの道のりが果てしなく遠く、踏み出すのが億劫に感じてしまう。

原因としては、今まで最後までやりきれたことがあまりなく、途中で挫折し、その都度誰かに迷惑をかけ続けて来たと感じている、というのがあるように思う。過去の自分が、また今回も中途半端に手持ちのあらゆるモノを犠牲にして潰れるのか、と今の私にプレッシャーとブレーキをかけてくるのだ。
小さな成功体験を重ねていくことで克服できるものだと思うが、成功だと感じる余力がなくては始まらないことで、ポジティブな思考が必要に思う。

そうした踏み出せない状態であっても、できる環境は整っていることが多い。
私は探すことは好きなので、いつでも始められるように準備を行う事はできる、と言うよりいつの間にかしているし気づいたら完了している。素材はもう目の前に揃っている。そこまでは進めるのだ。足りないのははじめの一歩を出す力なのだと思う。

ごちゃごちゃと書いてしまったが、引用した上記の文章と今だらだらと書いて思ったことは、繋げる、結びつけることが好きだと言うこと。
探すという行為と近しいのだが、どちらの行為もあるものに合うものを見つける行為であり、枠のないパズルで収まりのいいピースを見つけ出すようなことが好きなのではないだろうか、という仮説だ。

ただ、これは見方を変えると、見つけた状態で満足してしまっているという問題があるように思える。
その後の確認や実装といった作業が無いのだ、つまり、合いそうなピースは見つかったが、それが本当にあっているのかを確かめる面白さを知らない状態であるということ。ここに駄目なタイプの完璧主義のオーラを感じる。
私の理論上はおそらく正しい、ただ、実際に確認するためには非常に手間と時間とお金と……あらゆる物が必要で、達成されなかった場合には完璧ではなくなってしまうので、これ以上は手を出さず、完成したことにしてしまおう。みたいな、書いていて情けなくなるような、こうした感情があるような気がする。
ここで終わっているのは、見つける行為が自己満足だからだろう。
誰かに納品するわけでもなく、お金をもらっているわけでもなく、ただ私が勝手に思いついて、勝手に考えて、勝手に見つけて、勝手に満足しているだけで、これを価値として社会に還元しようとしていないことの現れなのではないかと思う。
と同時に、自信が無いというのもあるだろう。他者からの批判や指摘が怖いのだ。自身の無知で未熟な現状を直視し、体感するのが怖いのかもしれない。
無知をさらし、批判を浴びる状況は、新しい情報が向こうからやってきてくれる点で非常にありがたいものであると考えている、が、メンタルへのダメージが避けられるわけではないのが厄介だ。

ここまで今挙げてきたような、熱量の不在や経験からの恐怖、調査への関心、自己完結の自己満足といった、やったら面白いだろうことができない、やりたいと思えない大きな理由として、その先の目標や目的のようなものが不在であることが原因な気がしてきた。
なりたい姿であったり、今後どうありたいといった、進むべき指針を持ち合わせていないことが、このどこにも踏み出せない状況を作っているように思う。
どこかに向かっていくと、その方角から見える範囲にある目標を設定しなくてはいけない。と何処かで思っているのかもしれない。後戻りはできないという感情が、前進を拒んでいるように感じる。
実際にはなにかに引きずられるようにじわじわと歩んでいることは間違いなく、ある方向のまだ定まらないあやふやな目標に向かって微速前進中なのであろう。帆をたたんだまま海流と船体にあたる風に押されて漂流しているとも言える。

ではこの目標や目的→どうありたいのか、どうしたいかを決めることで、帆を張って進めるようになるのだろうか。

……。

あ、このnoteでは自分の好きなことを明らかにすることが目的だった……。
条件にあったものを探し出すのが好き、というのが、わかった。

まあ本文冒頭にどうなりたいのかを考えてみようと思うと書いているので、まあいいか。


私は毎日をゆったりと過ごしていたい。成功とか、大きな夢を実現するんだ!というよりも、日々ぼんやりと自身の周りのことをやって生きていたい。インターネットによってどこまでも遠く広い世界の情報を浴びれるようになった代わりに、身の回りの世界を深掘りすることが難しくなったように思う。
この語り調も嫌というほど目にする気がする、〇〇によって、私達の環境は大きく変化しました。しかし、本当にこのままでいいのでしょうか。といった現状に問いを立てる行為だ。この行為事態は良いことだと思う、けど見飽きた聞き飽きたと感じてしまうのはどうしてだろうか。それもインターネットから逃げられずにいるからこその問題なのかも知れない。

このインターネットと適切な距離を保ちつつ、毎日をゆったりと過ごし、条件にあったものを探し出すことが好きな私に向いている仕事はなんだろうか。

好きなこと、やりたいことを仕事にするというよりも、それらを活かせる仕事を選びたい。
どうなりたいか、というのはどう生きたいか、であり、どうやって生きて行くのか、ということである。
つまり衣食住をどう確保、維持させるのか。そのために必要な資金をどうやって調達するのか、もしくはお金という手段以外の可能性を模索するのか。そうした生活基盤を固める手段を探っている状態なのだ。

結局堂々巡りというか、同じところを回っているだけなのだけれども、カフェと生きる身体に戻ってくるように思う。というのは、つまり私に合った落ち着きのある日々への憧れが、カフェと生きる身体のススメ、ということになるのかもしれないと。


22.05.23
追記
話に収拾がつかなくなったので切り上げた。

私は生き方について悩んでいる。
生きるための資金をどう確保すればいいのか、どんな仕事がしたいのか。
大学生活では結局見つけるまで至らなかったこの問いに、今でも縛られている。このまま縛られ続けたままかもしれない。
やりたい仕事を探すのは、やりたくないことを仕事にすると、壊れてしまうというのを半ば確信しているからだ。

私は弱くて脆い。

数日の接客アルバイトでメンタルを壊して行けなくなってしまうような人だ、毎週5日間毎日8時間以上を労働に費やして、それがやりたいことではなかった場合に、耐えられるとは到底思えない。
努力や忍耐や根性といった言葉は受け付けないし、日々変わるルール、現場での臨機応変な対応、他所の看板を背負うプレッシャーなどなど、考えるだけで嫌になってしまう。

だからやりたいことを探しているのだ、と書いてはみるものの、やりたいことを仕事にしたいのは皆同じだろうし、やりたいことを仕事にしたとしてもその中にやりたくないことが含まれていることもザラだろう。
そうして考えているだけでなにかに手を出してみないのは、色んな情報が溢れすぎているからだろうか。

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