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アウトプット前提でない制作は可能? 卒制ができるまで。/06

2021/06/15 夕方

非常にゆっくりと進んでいます、こんばんは。ほりーです。

04のときの初回合評のあとからずっと停滞していた卒業制作の方向性ですが、先日ゼミで先生とディスカッションを行ったときにキーワードをいただけたので、それについて書きます。

以前からアウトプットが苦手だと話してきましたが、先生曰く、ものごとには「インプット→アクティビティ→アウトプット→アウトカム」の流れがあって、本来重要視すべきはアウトカム(望むものごと)であり、アウトプットは結果で、アクティビティという手段を関数化した形態だからアウトプットありきの考え方じゃなくてもいいのでは?といった感じの話をしていただきました。(個人的解釈でまとめたので曲解しているかもですが)

そこから、アウトプット前提「アウトプット至上主義へのアンチテーゼ」をテーマとする事でアウトプット苦手状態を正当化?しようみたいな方向性が選択肢として出てきました。

ボヤァっとしていて軸ブレブレなのですが、アウトカムがあって、アクティビティがしっかりとアーカイブされていればアウトプットは意識しなくても良いのでは。みたいな話になるんですかね。
世の中の大半のものってアウトプットしか見えなくて、そのものの抱えていた問題とか生まれるまでの思考の軌跡とか、そういった創造的な価値のようなものが消費者にウケるかどうか、売れるかどうかってところの軸でジャッジされるのってなんか勿体無いと言うか、壮大な無駄を生んでいるように思うんですよね。
プロセスアートとは少し違うのかなぁという話もしていて、プロセスとアクティビティでは言葉からイメージされるニュアンスが違うというのと、表現ともまた違う……という感じです。

最近プロセスエコノミー(パッションエコノミーとかクリエイターエコノミーとかも近い?)の流れがある中で、そのプロセスが一過性というかリニアなものじゃなくて、サーキュラーエコノミー的な、可能性を含めた過程(アクティビティ)があることでその取り組みの価値が循環する仕組み、構造ができたらなぁと考えてます。

08/07 朝

と書いてからはや二ヶ月。あっという間に時間が過ぎていきました。最後の更新が06/08なので、しっかり二ヶ月間更新してませんでした。
今の状態をまず簡潔に話すと、以下のようになります。

・卒業制作の方向性は「会社(cheersity)に関係すること」にした
・個人として、会社としての「ありたい未来」を考えてみた
・起こりうる未来を知るためにいくつか本を読んだ
・テーマが決まった
・2回目の合評が終わった

テーマどうしたとか、二ヶ月何してたかの内容は次回に。

久しぶりでnoteの書き方も忘れてしまった。

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