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私は建築家ではない 20年間の仕事を振り返る

仕事を始めて20年、ということで昔を振り返る。大阪芸術大学の建築学科で建築を学んだものの、落ちこぼれだった私は就職せずバンドを続けるために大学院に進み(なんと親不孝な)、大学院でも音楽ばかりに情熱を注ぎ、教授にボロクソに言われながらもなんとか修了した。その後、院の研究員として大学に籍を置きながら大阪の設計事務所に出入りしているときに、実家の稼業である店舗デザイン会社のデザイナーに欠員が出るので帰って来いと言われた。うちの会社はいわゆる店装屋という店舗を設計施工する会社で、施主さんのほとんどが飲食店だった。学生時代、先生方からの評価も低く、デザインに大した自信もなく仕事を始めたが、初めて設計した自動車教習所のデザインが地元の商工会議所のデザインコンクールで優勝し、少し自信が持てた私は冒険的なデザインに挑戦したいと思うようになった。

写真は20年前、初めて設計した飲食店の睦月さんと同時期に設計した、加古川市のお好み焼き店ちゃんどら。プールバー撤退後のスレート倉庫のような大空間に100数十席と、お好み焼き店としてはかなり大きなものだった。お世話になっていた遠藤秀平先生のオハコであるコルゲートパイプを使ったり、鉄カゴに石を詰め込んでヘルツォーグ&ドムロンぽい外壁を作ったり、楽しみながら設計させて頂いた。この頃から良いクライアントに出会う運は強かった。価値観を共有できるクライアントとの出会いはデザイナーにとって大きな財産だと思う。20年の仕事を振り返ってみると、私は建築家ではなかった。建築や空間をクライアントのビジネスツールとして設計するプロダクトデザイナーのようなものだと思う。天職を授けてくれた父に感謝。

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