永遠の推しの偉大さ

昨日の話にも近いけど、自分の分岐点と好きなものの関係について書きたいと思う。


かれこれ10年間、中学生の時から推している作品がある。

どんな作品、どんなキャラクターにハマっても、やっぱり彼らに勝るものはないと思える、永遠の推しである。


10年間、とさも古参のトップランナーのような言い方をしているが、ずっと同じように推し事に励めているわけではない。なぜなら私には、自分でも分かり易すぎて笑ってしまうほど波があるのだ。それは、恋愛の波とオタクの波だ。

最推しである彼に対しての感情は、尊敬や憧れであってリアルな恋ではないので、好きな人と推しを比べて、ということではないのだが、私はどちらに対しても全力を注いでしまうので、同時に両方に力を入れることはできないのだ。

そしてその波が変わる時はとても極端である。恋愛にハマると、彼らの音楽を聴かなくなることもあるし、お金も使わなくなる。最新情報に疎くなり、本当になぜ自分が今まで好きだったのか分からなくなったこともあった。

だから私は、ずっと、ちゃんと、彼らを愛せているわけではない。


しかし、私が分岐点に立たされた時やってくるのは、オタクの波だ。

それはたまたま、受験など大きな試験の前になぜか失恋するという、私の嫌なジンクスのせいでもあるのだけれど。(それとも私が男を振り切らないとちゃんと試験に向き合えないだけなのか)

まあそれはともかく、そういった辛い時に私は彼らを思い出す。都合がいいなと自分でも思う。

でもそもそも楽しみ方、推し方は自分次第だし、推せる時に全力で推す!で全然いいんじゃないかと思っている。

そしてその時々にでも全力で推してきたからこそ、彼らが常に成長し続け推し甲斐のある存在でいてくれるからこそ、不安定な時も生きる活力が湧いてくるような、確固たる支えになっている。


高校生になったら携帯を持つことを夢見て、受験勉強の合間に姉に借りてやっていたスマホゲーム。面接でも緊張しないように面接ノートの最初のページに、自分で真似て書いた推しのサイン。大学受験の前日、雨風の音と緊張で眠れず、イヤホンでリピートし続けた推しのソロ曲。自分の表現が理解されず、努力が無意味に思えた時出会えた推しの素晴らしいツイート。

将来に対する不安、どうなるか分からない不安から涙が出る時、推しの声、言葉、存在は、私の心にじんわりと染み込んでくる。


そして私は今人生で初めての手術を控え、広い病室で1人、漠然とした不安と戦っている。

入院中は何もすることがない時間が多いし、また眠れなくなっているけれど、大丈夫。推しのベストアルバムを聴き、昔のドラマCDを振り返り、ガチャを回すためにイベントを必死で走り、イラストを描く。それだけであっという間に時間はすぎるし、全てがどうでもよくなる。

10年経っても、その魅力を実感し「え?こんなに最高だったっけ???」と新鮮な気持ちで驚いていると、もうそれしか考えられなくなるのだ。絶望したり、不安になったり、ネガティブな感情に囚われている場合ではなくなっている。

また唐突にやってきた波は、いとも簡単に私を拐い、幸せな気持ちにしてくれた。



一生なれないけどなりたいと思える存在でいてくれてありがとう。

ずっとアイドルでいてくれてありがとう。

恋愛で、学びで、生活でボロボロになっても、彼らがいる限り私は何度でも立ち上がれる。



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