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今日もまた後悔してる

またやってしまった。

言いたいことはたくさんあったはずなのに、何も言えなかった。

絶賛後悔の嵐。

今その空気じゃないなとか、自分が出る場面じゃないなだなんて変に気にして、しんみりしないようにわざとふざけて笑って誤魔化して、結局本当に言いたかったことは何も言えずに終わるやつ。後から激しく後悔するやつ。


そしてこの後悔をわたしは引きずる。

ずっと引きずる。

いつまでも引きずる。

何年経っても永遠に引きずる。

知ってる。

何度も経験してるんだもの。



大好きな先輩が卒業する時、寂しくて悲しくて卒業おめでとうの一言が出せなかった。

それまで散々尻尾振って追いかけ回してたのに、これからも大好きです!って言えなかった。
卒業式後に花束を渡す係は全力で取りに行ったのに、ハグは照れ臭くて一瞬しかできなかった(異性の後輩が花束渡してハグするチャラい伝統があった。)
もう離さない!!くらいやればよかった。
オフィシャルでこれほど健全にハグできることなんてもうこの先一生ないのだから。

ずっと思ってる事は言えなかったし、なんの行動も起こしてないけど、でも、だからというのもあるのかな。

わたしも卒業してからは、2人で飲みに行ったりしてる。最近は随分ペースが空いてるけど。
いつまでも少し人見知り発揮しちゃうけど。
なんのやましいこともない、ただ健全な先輩と後輩であり続けてる。

会話の内容が年齢と共に変わっていく中で、たまに会っておいしいものを食べて解散する、そんな関係が続けばいい。

そう思いながらも、あの時ちゃんと言ってたら何か違う今があったのかもしれない、あの時のハグをやり直させてもらえるかもしれないと、何年も前の心残りと一緒に隠してきた下心がたまにチラッと出てくる。

今更だけどネなんて言いながらこっち見てくる。うるさいなぁ、もう。


留学を終える時、向こうでできた友人たちにこれでさよならじゃないよ、また会おうね!って言えなかった。
これは留学したにも関わらず語学力においてちょっと足りないものがあったという面も大きい。
でもこの時は帰国前にSNSに投稿したらみんな見てくれてて、泣くなよ、これで終わりじゃないよって言ってもらった。

そんなつもりなく書いたのに、ちょっと違うニュアンスで伝わってた。

これがわたしの留学の集大成か…って良くも悪くも感じて、なんの感情かわからない涙が出そうになった。

すごく励ましてくれたアラブの若者とブラジルのお姉さん、何してるかな。
何言ってるのか全く聞き取れなかったロシア系の彼、少しは発音上手くなったかな。

よく一緒にいたタイと台湾の友人たちが今何をしてるのか、SNSを介してなんとなく知ってるけどたぶんほとんど知らない。

ガールズデーだから入場タダだし、シャンパン貰えるよ!と誘われて、自転車に乗って海辺のクラブに遊びに行ったな。テンション上がった人に抱え上げられたら、アッ、こいつ思ったより重たい!って顔されたな。それ見て笑ってたな。
クリスマスマーケットで高速観覧車でみんなで立ち上がって写真撮ってたら怒られたな。

元気かなぁ。

卒業旅行でそれぞれに会いに行ったけど、そこからまた何年か経ってしまった。

もはやメッセージとかもなくて、たまに飛んでくるイイネ!で生存確認してる。

それでもまた会いに行けるし、会いにいく理由もある。


卒業式後のサークルの追いコンでは一人ずつ話す時間をもらったのに、みんな大好きだよ4年間ありがとうこれからもよろしくね、って一番大事な事が言えなかった。

じゃあ一体なに話したの?って話なんですけど。

確か、こんなへたっぴでも仲間として受け入れてくれてありがとうみたいな話をした気がする。

そこのありがとうだけじゃないでしょうに。

卒業してからも旅行に行ったり飲みに行ったりするけど、あの時あの場所にいた全員が揃う機会はもうない。会う人は限られてる。

日頃の感謝を伝えることはできても、4年間の思い出と感情がぎゅっと詰まった感謝の気持ちはあの空間だから伝わるものだったと思う。



有難く恐れ多くも友人代表スピーチをさせてもらった親友の結婚式。

他の時と比べたら随分伝える事はできたと思う。ちゃんとしなきゃいけないというプレッシャーで準備してたから。

完全アウェイ戦だったから。

エピソードをいくつか盛り込んで笑いも取って、わたし史上では一番ちゃんと話せた気がする。

でも15年の思い出と彼女が結婚することへの一抹の寂しさと祝福の気持ちと感謝と、なにもかもを凝縮して伝えるのはとても難しい。
原稿を文庫本かってくらい書いてもきっと足りなかったと思う。
まだまだ言いたい事はたくさんあった。

それでも後悔が少ないのは、彼女が日頃から今その時思ってることを素直に伝えてくれる人だから。わたしも素直になることができて、結果、会う度に色んな話ができているからだと思う。


年を重ねる毎に少しずつ後悔することが増えて、伝えられなかった言葉たちが溜まっていく。

今度はちゃんと伝えよう、毎回そう思うのにな。
それなのになんでかな、また言えなかったの。


言いたかったことももちろんだけど、言うべきことを言えなかった後悔に苛まれてる。



あの時声をかけてくれてありがとう。
お店に引き込んでくれてありがとう。
他の人たちと繋げてくれてありがとう。
なんだかんだ構ってくれてありがとう。
さりげなく気にかけてくれてありがとう。
たくさんわがまま聞いてくれてありがとう。

いくらでもありがとうは出てくるのに。

言葉なんて必要ないんです、なんてカッコつけて笑ってもらったけど、全然そんな事ない。
言葉じゃなくて何で伝えるというのだ。


引き込んでもらったお店に次行った時には引き込んでくれた本人はもういない。

店員と客の関係は、お店を辞めた後にはどうなるんだろう。
たくさんのお客さんがいた中でたった1年半しか知らないわたしなんて、なんの関係も残らないのではないか。


今からでもメッセージ送ろうかな。
でもサムイと思われるだけかも。
だったら後日行う送別会で伝えればいいのかも。
でもたくさんの人が見送りたいと思ってる中でわたしが伝える時間なんてあるのかな。
涙が出ちゃったら空気壊しちゃわないかな。
他の誰かが悲しくなってたらその分バランス取って、みんなが楽しそうなら同じように、明るく飲んで楽しく酔っ払ってるわたしでいなくちゃいけないななんて、今から思ってる。


言えなかった事で余計に気にしなきゃいけない事が増えて、結局なんの行動も起こしてない。

いや違うな、気にしなきゃいけない事なんて本当はない、わたしが勝手に気になってるだけ。

被害妄想入ってるのかも、おこがましいかも、もしくは可哀想ぶってるのかも。

わたしは何を気にしてるのかもはやわからない。


ただ、とにもかくにも、この後悔をまたこの先ずっと引きずるのだろうな。

そして今までと違うのは、何かを伝える機会も何気なく会う機会もほとんどなくなるという点。

だったら、せめてまだ次のチャンスがあるのなら、少しだけ気にするのはやめて、ほんのちょっとでも伝えたい。

そうじゃないと本当に行き場のなくなった言葉とやるせない後悔しか残らないのが目に見えてるから。


言えなかった言葉はもうそんなに抱えたくない。
それなら言いたい言葉を考える余力を作りたい。


今まで言えなかった言葉たちは今日ここに書き出すことで弔えた。

何年か熟成させたことで、言いたかったことをぎゅっとまとめることができた。

つい装飾して長くなってしまったけど。

抱えていた言葉を吐き出した分、次のチャンスで伝えたい言葉を考える余裕が生まれたはず。


よし、ポジティブな思考がほんの少し顔を出してきたので、その勢いを忘れずにいこう。


人生はノリと勢いが大事なんだ。

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