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俊介が死んだ。

2020年11月、同じ名前の高校の同期が亡くなった。

急に1分ぐらい動けなくなるカンチョーかましてきたり、
長い足でハイキックかましてきたり、
痛くないヘッドロックかましてきたり、
そんなやつ。

なつかしい友人からの連絡があったと思ったら衝撃だった。
ただ、この感覚は2度目。
10年ぐらい前にも、地元の友人が自死を選んだ。
また、同じ感じらしい。
バカヤロウ。

親族のことを思うととても残念で仕方ない。
けど、謹むような暗い話をしたいわけではない。
久しぶりの再会となる友人たちと会って感じたことを書いてみようと思ってしまった。不快になる人がいたら、ごめん。

高校の友人たちとは会わなくなって長い。
故人とも実はもう15年ぐらいは会ってない。

けどちょうど大阪に帰るタイミングだったので、
お通夜に行くことができた。
典礼会館の葬儀場には昔から最近まで故人の楽しそうな写真がいっぱい貼ってあって、
その中でライブをやっている写真もあり、エレキギターも置かれていた。
グレイとシルバーの変なテレキャス、ほんでなぜか2ハム、フェンダーメキシコ?変なギターだと笑ってやった。

(…あれ、こいつバンドとかやってたっけ)

20代のときも思い悩み一度行方をくらましたことがあったらしい。
帰ってきたと思ったら、突然エレキギターを買って練習しだしたらしい。
最近もライブとかやってたらしく、死んだ週末もライブやる予定だったらしい。

みんな、ショックを受けていたし、遺書もないし理由が分からないからびっくりしていると。けど、それほど驚いていたわけでもなさそう、というのが感想。

「今自分が一番後悔してるんちゃうん」
「周りにもう迷惑かけたくないからの選択やったんちゃうん」
「とことんアホやな」
愛されキャラのそいつが寝る棺の前で、
地元の友人たちが冷静に話していた。
喪主の弟も、その場では立派にこなしていた。

「10年前の光景とちょっと違うな」
それを見ながら、10年前と違う自分にも気づいていた。

心には波があるし、どん底のときに最悪の行動をしてしまいたくなる気持ちは分からないでもなくはなくなくない。なんかそのへんを奥歯に残しながら話してるやつもいるなーと思いながら眺めていた。

で、
自分が高校のときに仲が良くバンドを組んでいた友人もいて、久々に飲んで喋った。まだ趣味でバンドをやってるのだと言う。家族ができたり、仕事で色々あるけど、好きを変わらず貫いてるんやなぁ。ステキなおっさんたちやなぁとずっと感心しながら話を聞いていた。

そこで印象的だったのは、
「お前は俺のギターヒーローやねんから、ギターやっててくれよ」
って言ってくれたこと。で、

「なんで(あの難しいフレーズを)弾けるかって?できるまで弾いたらいいねん。」
って、昔に俺が答えたのがずっと忘れられへんらしい。

そんなまっすぐで頑張るやつやったんや、俺。
(あとめっちゃエラそうやんけ)
自分で言うのもなんやけど、その当時は周りに自分より上手くギター弾くやつはいなかった。あれは努力した結果やったんやなって。
今になって分かった。アホか。

とっても不謹慎やけど、
あいつが死んだから、みんなと再会したし、気づけたし、
とっても不謹慎やけど、ちょっと元気出たんよね。
見えない今や未来やら考えて不安になってないで、たまには、過去を行ったり来たりしてもいいんじゃないかと。
誰かの終わりが、誰かの始まりになることもあるんやろな。

あと、死にちょっと向き合ってみたからかな。
そういや、生きてる間に遺書を撮ったら生きる力が湧くって記事も最近読んだ。

死に対しての(特に日本人の)絶対的タブーな雰囲気とか、捉え直すじゃないけど、モノの見方・価値を自分なりに変えてもいいんじゃないか。

まぁあんまり命とか死生観とかたいそうなこと言いたいわけやないねんけど、最近、高校のときによく聴いていたハイスタや、ブラフマンをなぜかよく再生していたのと、故人が最近ハマっていた登山を急にやりたくなってはじめたことも、なんか、スピリチュアルなものを勝手に感じつつ、おセンチになりつつ。


みたいなことを典礼会館でボーッと考えてて、ふと気づいてしまった。

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「生きる、お葬式。」
そういうことか。
ちょびっと共感してしまった。

お後がよろしいようで。
アホアホアホ!

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