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市民のためのスカイウォーク Skywalk for Citizen #8

続きです。

T 今日(2021.4.25)は第8章 近代化の広がりを取り扱います。

Y ウィーン体制をやりたい。

K やろう。

Y メッテルニヒですよ。

K 会議は踊りましょう。

T では、Yさんから、所感等をお願いします。

Y 今回は、時代が19世紀中頃から19世紀末までに絞って、エリアが広かったなという印象です。ぼくはこの辺が好きなので結構知っていたというか、世界史の一番面白いあたりかなと思っているので、ここから新しい知見が入ってきたわけではなかったかな。

T なるほど、すでにあらかた知っていたと。

Y 一番世界史として面白い。

T ちょっと魅力を教えてください。

Y いや、13世紀のモンゴルが好きなんですっていうヤツより、19世紀のヨーロッパが好きだってヤツの方が多いでしょ(笑)

T 確かに(笑)

K うん、多いと思うな(笑)

Y ナポレオンの直後で、という時代が一般人にも受け容れ易いのかな。

◆知っておきたいアメリカ南北戦争

Y 今回、ぼくの方から雑談チックに挙げられるのは、アメリカ南北戦争が取り上げられて居ましたが、ここでちょっとディスカッションというかテーマとしてご紹介したいのが、南北戦争って、英語でCivil Warって言うじゃないですか。大文字で。昔の記憶で英単語帳を調べたら、ピューリタン革命と、スペイン内乱も同じように大文字のCivil Warで表されるらしくて。

K そうなん。スペイン内乱ってどのときの?

Y フランコ。1930年代の。

K ゲルニカのときね。

Y だからよく英文法の中で、イギリスをテーマに話しているのにCivil Warが出てきたら、それはピューリタン革命のことだという。

K へえ。そんなこと書いてたん。

Y ジーニアス英和には載っていて、最近だとWeblioってサイトが。

T Weblioでスペイン内乱って書いてあるわ。英国のチャールズ1世と国会との争いってのもある。

Y それが多分ピューリタン革命のこと。

T ジ、チ、チ、ジの1,1,2,2やもんな。チ1で。

K うん。それはピューリタン革命やろな。

Y なので、その国の歴史が揺らいだタイミングの内乱が、Civil Warと表現されるのだと感じた次第です。何の根拠もないけど、日本では何になるのかなと。

T 日本のCivil Warは何だったのか。

Y 応仁の乱かな。

T えらい皇国史観やな。そうでもないか。日本は、明治維新かな。

Y 明治維新になるかな、やっぱり。

K わたしも明治かな。応仁の乱って、内乱の結果、何か生まれたかなという。

T 体制が崩壊して、群雄割拠になっただけやな。

Y ただ単に10年間くらい暴れていただけという。

K 内乱の結果、国民国家的になったという話にするんやったら、明治維新やな。戊辰戦争か。戦わないとあかんねやったら。

T ピューリタン革命が王政から議会制への移行ということね。スペイン内乱は何に移行したの? そんなインパクトあったんや。

K あのあとスペインは、第二次世界大戦に参加してへんねんな。

Y 結局フランコとゲルニカ、よく世界史の試験で問われるのは、それさえ覚えておけば。

T 「この内戦に参加することによってナチスドイツは貴重な実戦経験を得た」と書いてあるから、スペインという国にとって何か影響があったのかと問われるとよく分からないけれど、Civil Warという言葉が採用されていることには意味があるのか。

Y うーん。まあ南北戦争を高校生に教えるときの話題にしてください。

K 話題にするわ。多分、来月出てくる。今、産業革命が終わって、アメリカ独立までして、いざフランス革命ってときに、わたしがPCR検査で止まって、来週から復活するねんけど、授業の遅れ的に焦ってるな。

T そうなん。じゃあいま、在宅なん。

K マジ浦島太郎やったな。すいませんって気持ちで家に居た。

T 仕事も気になるよね。

K 結局子どもと遊んで楽しかったけどね。だからスマートに進めながらも面白いネタを今日もいっぱい収穫せなあかん。

T 2008年の京都大学入試英語は、Civil Warが出ましたからね。

K 2008年って、自分受けたやつ?

T せやで(笑)今でも京大のぼくらの同学年に言わせたら、リンカーンを正しく訳せなかった人たちの忸怩たる感想が出てくると思うよ。

K ああ、リンコリンね。

T リンコリンとシビル戦争やね。

K そんなん京大行くような人は読めるやろ。

T まあそこが、世界史選択者と、地理とか日本史選択者との分かれ目やね。

K ああ、そっか。分かれ目やな。

T Aとか確かあいつ書けてなかったで。「リンコリンって誰やねん」みたいな。

Y よく受かったなあいつ(笑)

K それ自分らの話やったんか。なんかそういう会話を教師になってから話を聞いたけど、あんま分からずにネタにしてたな。リンコリンって読むなよとか言って。意外と身内がそういう目に遭ってたんやな。よその大学のことは一切知らなかったな。

T 南北戦争は、最近『南北戦争』小川寛大という本が出ましたよね。

K そんな本あるの。

T これは結構まとまっていて良かったですよ。

K それはどこの誰が書いている本?

T 小川寛大さんという野良研究家やね。この人は面白いよ。ツイッターもぼくフォローしてるけど、宗教雑誌の編集者だから普段は仏教のドロドロとかキリスト教のドロドロとか、イスラムはあんまり取り扱ってないけど、日本国内の宗教法人がどんなスキャンダルに塗れているかを抉る取材をしてはって、新宗教も詳しいし、それはそれで面白いんだけど、その人の趣味が南北戦争らしくて。この人が日本南北戦争学会みたいなのを野良で結成していて、そこの会頭をやっていて。まだ40代とかだったかな。

K じゃあこの本は、宗教面とかに焦点を当てて書いてるわけ?

T いや、全然。そもそも日本語で書かれた南北戦争のちゃんとした通史が少ないという問題意識があるみたいで、『若草物語』とか『風と共に去りぬ』みたいな南部の目線から見た南北戦争観を日本人は描きがちだけれども、もうちょっと客観的・中立的に見た方がいいんじゃないという。アメリカ国民に今なおすごく影響を与えているし、祖先が南北戦争に従軍したとか、その従軍したときの思いはどうだったとかを誇りに思っているし、歴史修正主義じゃないけど「南北戦争前の南部は理想郷だったのだ」みたいな史観が蔓延って、それがトランプ当選の土壌になったみたいな反省もあるし。

K はいはい。面白そうやな。

T 改めて、アメリカ国民のイデオロギーの中心になっている南北戦争というものを、同盟国日本はもう少し知るべきだという問題意識があるみたい。

Y なるほどね。

K 間に合ったらゴールデンウィークに読みたいな。授業する前に。

T 奴隷制の話は、実はフランス革命前くらいからすでに、啓蒙主義によって悪習・悪弊として解釈されるようになっていて、それが革命後の19世紀に入ったくらいから、ヨーロッパの国々は奴隷制を次々に廃止していく。アメリカは一番立ち後れていたと書いてあって、これまで市民のための世界史の中で書かれていたような、三角貿易の時代だった18世紀から、矛盾するわけではないけれど、歴史的な整合性が単線的ではなく、コンフリクトしながら当時の人たちは奴隷制と向き合って来たんだなと。

K 18世紀はまだじゃないかな。18世紀にやめとこってなってたんかな。

Y 遅れている東欧が農奴を解放したのが19世紀の中頃。進んでいる西欧がいつごろかな。

T フランスは革命後の1795年に解放していて、イギリスが1833年に廃止。

K それが遅いんやろな。

T で、プロイセン、オーストリア、デンマークが1848年までに廃止。

K あれ、そっちの方が遅いんや。

T 「南北戦争開戦前夜の段階で、国レベルの法律で奴隷制を禁じていない、白人文化圏では珍しい国家となっていたアメリカ」とある。

Y ああ、確かに。

T 三角貿易まっただ中の18世紀から比べると、19世紀の頭にめざましく奴隷制の解放が進展している気がします。

K 今はアメリカとイギリスを分けて話さないとあかんな。もう独立してるから。まだ頭が授業の中やった。イギリスを悪く言うのではなく、アメリカが遅れているという話やな。

T それが何故なのかというと、産業革命があったからということなのかな。

K そやろな。イギリスの産業革命があったから、自由貿易主義、帝国主義・・・。植民地支配するよりも、独立させて貿易の相手にしたいという意味では、北部を応援したかったのかな? いや、イギリスって南部寄り?

T イギリスは経済的には完全に南部やね。綿花の産地である南部。

K ああそっか。その綿花を使って生産するもんな。じゃあなんで奴隷を解放したんやろ。

T 独立したことによって、イギリスとアメリカが分かれたと。イギリスは綿織物に特化して、それが産業革命によってめざましく発展したと。それで奴隷制の必要性が相対的に低下してしまった。一方でアメリカの、綿花の採取というのは、コットンピック、機械化に馴染まない。それは人の手でしかできない工程なのだと。だから奴隷制は、植物としての綿花栽培、綿花採取においては切り離しがたかったと。産業構造的に綿織物にシフトしていた国々はもう奴隷が要らなくなったけど、綿花を取り扱っていたアメリカには最後まで奴隷制が残ったという捉え方な気がする。

もう一つは、アメリカの北の方って、五大湖周辺とかメイン州とか、寒いところで、フロリダは熱帯じゃないですか。だからイギリスから入植を進めていた段階で、北の方は極寒の地でも頑張って開拓していく、ピューリタン的な、宗教的な人たちが多く入植したと。

K プリマスとかな。

T 一方で南部の方は、住みやすいし、綿花が取れる経済的に豊かな土地で、貴族が入植したと。ヴァージニアとかカロライナとか、イギリスの王室との繋がりを感じさせる地名があるけど、と言う意味で、イギリスの人たち、支配者層である貴族たちは、アメリカ南部の方に精神的な親近感があったと。

南部が南北戦争を起こしたとき、北部は奴隷制の必要があまりない産業構造で、南部は奴隷制の必要性が強い産業構造だった中で、北部が押しつけがましく奴隷制の解放を言ってきて、それに反発して、独立するという話になった。南北戦争前はまだ州の繋がりが緩やかで、合衆国とはいうものの、The United States of Americaという主語に対応するBe動詞が、isではなくareだったというくらいに緩やかな結合体だったので、南部の綿花栽培州である13州が独立するのだという機運で。だから南北戦争の性質は「独立戦争」なのであって、北部に攻め入って、北部の領土を支配して、自分たちが北部を含めた合衆国全体を支配しようという「統一戦争」の意図はなかったというのが、そこがなんか、日本人は勘違いしているんじゃないかなと。ぼくも勘違いしていたし。

K ああそう。統一戦争のイメージを持ってた?

T うん。奴隷制というイデオロギーを軸にして、アメリカ合衆国をどちらが支配するのかという戦争だと思っていた。

そう考えると南部にも実は勝ち目があったんじゃないかなと思えるのが、アメリカ独立戦争自体が、イギリスから独立するにあたって、フランスとかドイツとかから支援を受けてるじゃないですか。国際世論的にイギリスに「おまえら植民地支配じゃなくて独立させたれよ」という世論にしていくことで、独立を勝ち取ったという外交戦だった訳で。南北戦争も実は外交戦で、南部州の代表者がイギリスに渡って、イギリスに対して南部の独立を認めさせれば、北部はもう何も言えなくなるという外交戦略に基づいて。

K ああ、綿花作らなあかんやろと。

T 経済的結びつきを評価すれば、南部の方がむしろイギリスに近いし、イギリスと組んで、北部をむしろ孤立させるという外交戦略があり得た訳で。だからこそリンカーンもそれをすごく警戒して。

K 奴隷解放宣言に。

T いや、アナコンダ作戦という海上封鎖をした。

K 海上封鎖?

T そうそう。絵が載ってるよ。

Y なるほど。

K アナコンダね。

T 綿花の輸出を完全に封鎖することで南部を干上がらせるのが北軍側の戦略になったわけですね。

K 出荷させない。

T だから南部の首都がリッチモンドで、実際にグラント将軍とリー将軍はリッチモンドを舞台にして戦ってるけど、東部戦線のリッチモンド陥落自体は南北戦争全体の趨勢にはあまり影響がなくて、むしろ西部戦線のミシシッピ川から南部の領域に入って、綿花農場を焼き尽くすことの方が意味がある戦略行為だった。

実のところ南部もちゃんとイギリスに向かって使節を渡航させようという動きがあって、それをリンカーンが警戒して、乗っていたイギリス船を拿捕して、南部の使節を渡らせないという動きをしたのを、イギリス側から外交問題にされたトレント号事件というのがある。

K 色々起こってるねんな。

T イギリスからすると自国籍の船が内乱に巻き込まれて止められるなんてのは主権の侵害だと、北部に対する硬派な世論が盛り上がるんだけど、その意味では、その時点が一番北軍が危うかったタイミングで、でもリンカーンの外交センスで、イギリスに対してそこは妥協して、南部使節を渡らせるくらいは別にええわという決断をして、でも渡ったは良いけれど、イギリスの世論は、独立を支援する機運がすでに喪われていて、むしろバランスの良い国際感覚で渡航を許容したリンカーンを評価する向きまであって、その時点で南部の基本戦略であった、イギリスに独立を認めさせて、あとは北軍の介入を弾き続ければ独立が成るという戦略が頓挫してしまった、それが1861年時点の話で、残りの4年の戦争はもう蛇足ですよね。

K そうなん、それ全部61年の段階なんや。蛇足やな。

T お互いに戦う体制自体がない中で始まっていったけど、それを整えて近代式の軍隊にして。奴隷解放に関しても、ケンタッキーとかウェストバージニアとかの境界州が北軍側に寝返っていって、それはアナコンダ作戦を成立させるために必要だったけれど、そのためにリンカーンは奴隷解放宣言をするまでの間、一時的に奴隷解放というイデオロギーを封印した立ち回りをしているとも分析されている。

K 高校の世界史だと、奴隷解放宣言がすごく大きかったという扱いになるんやけど。リンカーンが奴隷解放宣言を出したから、国際世論が北軍の味方をするようになって、という話になってるんやけど、それまでに決着はほぼついていた。

T そうやね。だから奴隷解放宣言がそこまでインパクトあるようには書かれていないよね。

Y その本の中ではね。

T ついでやね。トレント号事件の段階でほとんど決着がついていた。

K なんで教科書はそうせえへんねやろな。めっちゃ奴隷解放宣言とホームステッド法が大事みたいな。

T ホームステッド法は何年だっけ。

K 62年やな。でも教科書に載ってないその辺のドラマの方がおもしろいな。

T 南北戦争観は変わりますね。奴隷解放宣言とは何だったのか、ってなるし、やっぱり綿花という経済的利益を中心とした争いだったというのが分かりやすい。

K 資料集もよく見たら北軍による海上封鎖作戦とか載ってるわ。蛇の絵はないけど。

T じゃあアナコンダ作戦の絵をプリントにして配ろう。

K せやな。わたしも間に合えば買うわ。ネタが増えました。

T この絵は結構、南部13州ってどこやねんというのも分かりやすいし、そもそも綿花というものを生産できる地球上のエリアは、熱帯のこのエリアしかなくて、21世紀の現在ですら、インドと中国とアメリカの南部が綿花の主な生産地ですよねという。

K せやな。エジプトもあるけど。イギリスが目を付けていたのが、エジプト、インド、中国、アメリカ南部やな。

T イギリスの世論が戦争介入を嫌った理由として、そもそも世界戦争し過ぎていたというのはあるよね。クリミアもやったし、アローもやったし、インドも大反乱してるし。特にクリミア戦争は泥沼で、外債を発行しまくっていた。

K ほんまやな。

T 貴族階級は介入に積極的だったけど、軍がやめてくれという感じだったと。

K 同時にやり過ぎやね。

◆大ドイツ主義の達成

Y ドイツについて、書かれていないけれど大ドイツ主義、小ドイツ主義という対立があった。全てのゲルマン人が一つにまとまったタイミングは、ぼくはこれ、ヒトラーの時代だと思っていて、オーストリア=ハンガリーという、アジア系のマジャール人とかスロベニアとかの民族を含めた国家が解体されたのが1919年で、サン=ジェルマン条約で解体されて、オーストリアの領土がギュッと縮小されてゲルマン人の国家になった。一部ズデーテン地方に残ってチェコに入っていたゲルマン人のエリアはナチスが併合して、そのあとオーストリアを1938年併合するから、そのタイミングで完全な大ドイツ主義国家が成立したことになる。

T なるほど。

K なるほどね。じゃあ大ドイツ主義は後々、ヒトラーが達成したという言い方もできるわけか。

T 一時的だけどね。ポーランドはどうなるんですか。

Y それでポーランド侵攻するまでの間、ということですね。

T オーストリア併合で大ドイツ国家が完成して、完成した時点でやめときゃよかったと言う話か。

Y そうやね。

K その1年間だけということね。オーストリア併合が1938年で、翌年にポーランド侵攻しているから。

Y ちょっと欲張りすぎたな。

T チェンバレンが宥和したのもオーストリアまでだったもんね。ポーランドは宥和できなかった。そこは民族として固まるところまでは許したという話か。

K 民族自決・民族主義は当時の流行やったからね。あーそうか。この1年だけ大ドイツ主義やってんな。ヒトラーは意識してたんかな。大ドイツ主義が昔あったけどというのは。

Y どうなんでしょうね、あの人はオーストリア人だから、オーストリアを含めたゲルマン人の国家というものに憧れがあったのかもしれない。

T 人種にはかなりセンシティブな人物だもんね。

Y 学問的ではないけれども、一つの見解としてご提供します。オーストリアが19世紀末のドイツ統一から省かれてから、仕方なくハンガリーの主権も認めて、オーストリア=ハンガリーになった。オーストリア=ハンガリー帝国ってなんやねんとずっと思っていたけれど、それは大ドイツ主義での国家形成ができないということが分かったから、仕方なしの策だったということですね。

T オーストリア=ハンガリー帝国は、19世紀のどの時点で成立していたんでしたっけ。東欧にあまり詳しくないのですが。

Y 1867年からオーストリア=ハンガリー二重帝国という記述がp168にあって、その前年が普墺戦争なんですね。

K ほんまや、書いてるやん。

Y ハプスブルク家のオーストリア皇帝フランツ1世が、ハンガリー国王の称号を兼ねて、対等になる。それまではハプスブルク帝国の中でオーストリアが一番で、その下にベーメンとかハンガリー、チェコ、色々あったのに、ハンガリーが一歩格上げになるイメージ。

T それはなぜですか。

Y もともと19世紀初頭までは神聖ローマ帝国のエリアとして君臨していたハプスブルク家が、中東欧を総べている存在として立場が確立していたけれども、ドイツ、プロイセン、ホーエンツォレルンがどんどん出て行って、覇権が揺らいだと。だからせめて東欧だけでもキープしないといけないというので、覇権を維持するために、オーストリア単品では反乱が起こったら保てなかった。

T ハンガリーに対して宥和したということね。ということは、ハンガリーは別民族なんでしたっけ。

Y アジア系のマジャール人。

K だからオーストリア人とハンガリー人が多数派だったということかな。

Y エリアとしては大多数派。

K で、多数派だったから格上げしたということ?

Y だし、ハンガリーはもともとウィーン包囲のときに助けてくれたのもハンガリー人だし。

K そうやったんか。

T そういう歴史的親和性というか、親近感が、じゃあ東欧に対する橋頭堡にするのであればハンガリーを選ぶという判断に繋がったのか。

Y もともと軍事力の強い国というイメージがある。

T ああ、そのイメージはぼくもあります。

K 遊牧系やし。

Y ヘタリアでもそうだったし(笑)

K ヘタリアのマジャール人、どんなんやったっけ。

Y 高校生はこういうフレーズ大好きだと思うよ。オーストリア=ハンガリー二重帝国とか。

T 分かる。

K 覚えたくはなるけど、説明せぇ言われたらしんどくなるやつやな。

Y この二重帝国の成立のことをアウスグライヒっていって、多分用語集には載っていると思うけど、それはドイツ語で妥協という意味。

T 東欧に対する妥協ということね。

K 資料集に「オーストリア=ハンガリー帝国」っていうページあるわ。めっちゃ載ってるわ。アウスグライヒだけでコラムになってるわ。

T めっちゃ分かりやすいなこれ。往年の資料集にはないぞ。

Y いいテキストやな最近のは。

K 見てて思うに、今の教科書は民族問題があるエリアの話をめっちゃ掘り下げている気がする。やからそういう視点で。多民族国家がどないなっていったかというのを、今はちょっと丁寧にやらなあかん。

T オーストリア=ハンガリー帝国の国境線を見ると、今と全然違うな。

Y そこの国王を、ハプスブルク家が歴任していたのかな。

K で、これに南チロルとトリエステも入っていたんやな。

Y そうそう。未回収のイタリア。

T あー未回収のイタリア。そういうことか。で、1919年に解体されたってことか。

Y そう、オーストリアの敗戦によって。サン=ジェルマンがオーストリア個別で、ハンガリーがなんやったかな。

K ヌイイやっけ。4つあるやつやな。

Y ヌイイはブルガリア。ハンガリーはトリアノンやな。ハングリー、お腹すいたからとりあえずなんかトリアノン。

K そんなんやった(笑)それまた覚えさせなあかんわ(笑)

T サン=ジェルマン、ヌイイ、トリアノン、セーブル。

Y それはオスマン。

K セーブルがオスマンやな。

Y 押すな押すな、セーフ。これを動きつきでやらなあかん。満員電車で。

T ヌイイは何?

Y ブルガリアをボロ絹として。

T 縫いい、ってことね(笑)

K ははっ(笑)

Y ボロ絹は縫わなあかんな。

K なんかYがそんなん言うてたん思い出したわ。

Y これは植島先生やで。

K そうやったっけ? そういう記憶に残ることをせなあかんな。

T 今思い出したわ。完全に忘れてた。ぼくの記憶には残ってなかった(笑)

K サン=ジェルマンで解体して、このときに未回収のイタリアもイタリアにあげてんな。だからゲルマン人じゃないところをちゃんと整理したという見方ができるわけやな。ゲルマン人というか、ドイツっぽくないところを切り離した。

T 非ゲルマン、非ドイツを切り離したということね。

K 領内のポーランド、チェコ、セルブクロアート、スロヴェーン、ハンガリーの独立ってあるから。

Y 切り離させられたというのが実情ですね。民族自決で。

K 敗戦国やからな。

T ポツダム宣言で日本が四島に押し込められたようなものね。

Y そやね。

K そうみると面白いな、オーストリア。

Y オーストリアは面白いよ。16世紀くらいからが一番面白い。

T それは論文を書いたからでしょ(笑)

K 一番人々が敬遠したがる時代やけどね(笑)

T 土地勘もあんまりないしな。

Y 世界史のテキストでも扱いが雑やけど。

T 後に、オーストリアとハンガリーの間で鉄のカーテンが下りるじゃないですか。

Y ああ、トルーマン。バルト海のステッティンから、アドリア海のトリエステまで。

K そのへんになるんか。

T だからオーストリア=ハンガリー二重帝国が残存していれば、鉄のカーテンはそこじゃなかったということね。

Y ifの話だけど、第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリーが参戦していないもしくは中立を維持していたら、こんなことにはなっていなかった。

T ハンガリーの東側に、鉄のカーテンが下りていたことになる。

K ほんとやな。場所が変わっていたかも知れない。

T でも、汎ヨーロッパピクニックが成立したのは、やっぱりオーストリア=ハンガリー二重帝国の時代があったからなのかな。

Y それは確実に。ハンガリーが協力的だったのは、ハプスブルク家の当主が主催者だったからというのはあるんじゃないかな。

T それが冷戦に一撃を加えるというのは面白い。どれだけ国際条約によって切り離されても、いつまでも続いていた盟約みたいな感じがするよね。君主の。

Y 昔馴染みの。

T そうそう。

K 長い時代をタテで見るのは面白いな。意外と。

Y そりゃまあ中東欧に800年間存在し続けた王家ですから。

◆紳士が支配したイギリス

T 第一次世界大戦の戦後処理の話が出たので、p162,163あたりで、イギリスのジェントルマンによる政治社会改革という記述がありますが、ぼくはこれを読んで、『日の名残り』カズオ・イシグロという小説を思い出したんですけど、ノーベル文学賞の。

K そのへんの話なん?

T 1920年代を思い出している1950年代くらいの執事の話かな。

K イギリスが舞台?

T そうそう。イギリスのダーリントン卿の屋敷、ダーリントンホールが舞台。

K ストックトン。

T その人が自分の屋敷に色々なセレブリティを呼んで、そこで外交を繰り広げる。確かに彼らは貴族院の議員ではあるんだけれど、彼らが自分の屋敷で、執事たちに給仕させて茶会を開いて、話し合って、国際体制について議論するというのが、どれほどの政治的インパクトがあるのかなと思っていたけど、この記述を読むと、そういう動きにも多少の意味があったのかなと思った。

K どの記述?

T 「支配階級であるジェントルマンが中心になって、政治や社会の改革が進められた。」とか、「支配階層であるジェントルマンは政治的に自由主義を採用し、新興の産業資本家や労働者階級の政治参加を図ることで社会の安定を図ろうとした」とか。

Y 宥和的な感じがするよね。

T で、第一次世界大戦の後に、ドイツに対して厳しい条約が結ばれて、それはフランスのドイツに対する恨みに端を発するものだった。という問題意識から、イギリス人はもうちょっと宥和的な条約にした方が良いんじゃないかと思っていた。ダーリントン卿もそう思って、フランスから上院議員を呼び寄せて、もうちょっと宥和的にしようぜという外交戦略を仕掛けていくのを、政府の意図を関係なく、独自にやっている。この時代ってそういう風に政治してたのねと、ここの記述に対する一つの事例かな。

それがだんだんと批判されるようになっていく。イギリスとフランスの話に、アメリカが入ってくる。ダーリントンホールにアメリカの上院議員が入ってきて、演説を打って、その場では大ブーイングを食らうわけですよね。

「率直に言わせていただきましょう、ここにおられるみなさんは誠に申し訳ないが、ナイーブな夢想家に過ぎない。」
「全世界に影響する大問題に首を突っ込みさえしなければみなさんはなかなか魅力的な存在である事をわたしも認めましょう。」
「古典的な英国紳士、上品で、正直で、善意に満ちている。だが所詮はアマチュアに過ぎない。」
「今日の国際関係はもはやアマチュア紳士の手に負えるものではなくなっている。わたしとしてはヨーロッパがはやくそのことに気づいて欲しいと願っているのですよ。」
「諸君にはおわかりか、周囲の世界がどんな世界になりつつあるか。高貴な本能から行動できる時代はとうに終わっているのですよ。ただヨーロッパにいるみなさんがそれを知らないだけの話だ。」

でもそれが社会の潮流になってきている。ジェントルマンによる高貴な政治は終わりを告げて、国際外交の時代になっていく。だからRemains of Day、日の名残りというタイトルなんですね。

K 名残りなんやな。

Y その小説におけるいわゆる太陽にあたるのが、ヴィクトリア朝ということね。

T そうね。

Y 逸れるかもしれないけど、昔Tさんのツイッターかミクシィのコメントでめちゃめちゃ覚えているのがあって、日英同盟の覚え方で「日暮れに(1902)結ぶ日英同盟」というのが、その日暮れは、「ヴィクトリア女王崩御が1901年だから、日暮れとはヴィクトリア女王の時代が終わったことを指していたのか!」というコメントを記憶している。

T ぼくが? 覚えてないな。でも、良いこと言うなその人(笑)

Y ちなみにヴィクトリア時代の覚え方は植島先生が、「ひとはみないくれい!(1837-1901)」と。

K それなんか聞いたことあるな。

T 1901年は昭和天皇が生まれた年じゃないですか。

Y そうなんですよ。さすが。

K いい年やな。

T 日暮れに生まれた昭和天皇。イギリス、他に論点はありますか。

K 新しみはないな。この章を書いた先生のゼミやったから(笑)そんなん言うてたなみたいな。

Y 秋田先生か。

K そやと思う。ちゃうにしてもこういうの懐かしいなという感じ。

T 自由貿易主義を大真面目にやったイギリス、という感じはする。それがアメリカ南部に対しては歓迎されたけれども、実際には官僚制を敷き詰めたアメリカとドイツが覇権を握っていった。自由貿易に転換することで却って投資が外国に流出した側面があったかもしれないね。

K インドとかにってこと?

T インドもそやし、アメリカも。

K インドにお金が行って、綿織物が栄えて、タタ財閥に繋がっていく気はした。

T ナポレオンがアムステルダムが占拠して、副読本に書いていたけど、そこで経済に疎いナポレオンがアムステルダムを抑圧したから、同じ金融機能を持つロンドンにシフトが進んでいったと。

K シティにお金が集まったのはそういう背景もあった。

T ナポレオンがアムステルダムを抑圧したことによってロンドンが地位を確立した。大陸国家、大陸都市が金融センターになり得なかった。

Y ナポレオンが暴れたから。

T そう、さっきのオーストリア=ハンガリー二重帝国もそうだけど、長いスパンで見ていると、国境線って確かなものではないじゃないですか、大陸においては。島国の人ってあんまりそういう風に思わない。半島もそうかな。いまなお日韓、日ロ、日中で、領土問題が生じているけど、国境というものは歴史において可変だと思っていたら、どっちが先にあの時代占有していたとか、そんなのは論点になり得ないよね。

K ヨーロッパではそれ通用せんよな。フランスとドイツとか変わりまくりやし。そういう意識の差はあるよな。

T そういう意識の差があって、大陸都市が金融センターになろうとしても、国境線が可変であるがゆえに、別勢力のものになったり、抑圧の時期を迎えたりして安定しない状態になるので、島国みたいな国家としての統合があまり揺らがない土地に金融センターが移っていく。ロンドン然り、シンガポール然り、アメリカはどうか分からないけど。

K イギリスはいちはやくイングランド銀行が成立していたというのもあるけど、アムステルダムがやられていたというのは、それもあったんやという感じ。第二次英仏百年戦争の段階でイングランド銀行を整備できていたのが、シティが優位に立った理由としては大きいと思うけれど。

◆グレートゲーム

K グレートゲームは、みんなは新しかった? そやなって思ってた?

T グレートゲームは『屍者の帝国』伊藤計劃・円城塔に出てきましたよね。

K また新しい作品が・・・(笑)

T それは読まなくて良いと思うけど(笑)

Y アフガニスタン、中東・中央アジアに下りていったというのは印象になかったな。高校の時に習ったのは、西と東の話だけだった。

T アフガニスタンって、ワトソンが行ってましたよね、確か。

Y あ、そうか。

T 彼は医者だから、従軍医として行って、帰国してから「アフガニスタンでは大変だったでしょう」とか言われて「我が国がアフガニスタンで係争している事実はありません」みたいなブリカス発言をするんじゃなかったっけ。

K それは確かにブリカスやな。ロシアは今は三方向という感じで教えているけど、いつごろからそう教えるようになったのかな。

Y 西は露土戦争、東は日英同盟と日露戦争というイメージがあるけど。

K でもやっぱりイランとか、カージャール朝も英露で割ってるよな。独立したいのに、イギリスとロシアに切り取られて終わるという切ない感じになってるねん。

T グレートゲームの資料集はあるんですか。

K グレートゲームという言い方はしないけど、わたしらが勉強したときよりは、イギリスとロシアの対立を分からせようとしている。三方向で起こった、と扱っている。バルカン半島・小アジアと、イラン・アフガニスタンと、東アジアの三箇所だったから、それぞれどこで対立したかを整理していこう、という授業を、世界史Aでは去年やったけど。西と東でもいいねんけど、オスマンからアフガニスタンまで含めると西が広すぎるので、西と真ん中に分けて言ってるかな。

T イラン書いてあるわ。トルコマンチャーイ条約とか、あったな。

Y ああ、あった。トルコマンチャーイなのにイランのこと。

K そうそう。そのややこしい名前。まあひたすら不凍港求める。

Y 村治先生のプリントは「不凍港を求めて」っていうタイトルやったもんな。

K あのプリントいっつもタイトルがオシャレやったよな。

T 「東方問題は西の問題?」とかな。

K 「チャパティを焼いて村々に配れ」とか。何の話? みたいな。

Y 結局不凍港はどっか手に入ったんでしたっけ。

K 手に入ってないんちゃう。

T 最終的には、旅順が終わったから、ウラジオストックか。

Y 三国干渉の後、勝手に入ってきた。

T そうそう、三国干渉後の10年間は旅順があったよね。

K そういうのはあるな。いったん取ったけど、国際社会によって阻止されるみたいな。

T ブルガリアもそうか。あれはサン=ステファノ条約だっけ。

Y 大富豪をしているときに3を捨てながらサン=ステファノ条約って言ってたわ。

T あれはベルリン条約か。ベルリン条約でブルガリア領を変えた。

K 黒海を通れるようになったんやっけ。

T ヴォスポラス海峡を取れないのは諦めて、ブルガリアを経由して地中海に出ようとしたけれど、ブルガリアの領土を変えられて出られなくなった話だね。

K それがベルリンやっけ。

Y そのベルリン会議は露土戦争後の方?

K 2回あるよな。アフリカ分割のベルリン会議と、そうじゃない方。

T そうか、アフリカ分割のベルリン会議は、露土戦争のベルリン会議と違うのか。それ、覚えたな。なんか。

Y ベルリン会議が全部でいくつ出てくる? という。

T いまわたしの中で2つですね。3つ目はどこにあるんですか。

Y 2回です。1878と1884。

K その辺苦手やったな。

Y そのあたりは首都名+会議、条約の名前が多すぎて、嫌やった。パリ条約何個あるねんという。

K そうそう、パリ条約はやばい。

T だいたいパリかベルリンに集まるのね。ロンドンにはあまり集まらない。

K 外交の舞台は大陸だったということか。

T ロンドンは軍縮条約くらいやね。海軍軍縮条約がロンドンだったのは象徴的というか、海の話はイギリスでやる。

K 確かに。

Y ロンドンには浜口雄幸が行ってたよね。

T せやね。

K 日本史は全然分からんわ。

Y 浜口雄幸が狙撃される理由になった。天皇陛下の軍隊を誰の許可を得て縮小しているのだという。

T シビリアンコントロールが不十分だった時代だね。

K 誰の許可を得てって、イギリスも陛下おるやん。それはあかんの。

Y 天皇陛下の持ち物である軍隊を、隣に住んでる一般人が勝手に削ってるんだから、それは怒るでしょう。

T 統帥権干犯ってやつ。

Y 隣の家の人にいきなり一部屋占領されるとか、あんたんち広すぎるから2LDKにしなさいとか言われるとか、そういうこと。

K そういうことか。

Y アフガニスタンにはあまり親しみがなかったというか、ムガル帝国がカイバル峠からの侵入で始まったとかはあったけど。

T アジア・ハイウェイ、って分かりますかね。首都高速の日本橋の上に、看板が出ている。AH1って。

K アジア・ハイウェイってこと。

Y ほうほう。

T アジア・ハイウェイ1号線。で、よく見ると、吹田ジャンクションにもAH1っていう同じ看板がある

K えぇ?

T で、神戸ジャンクションにもAH1がある。東名高速から、名神高速、山陽自動車道で博多まで行って、そこから船で韓国に渡って、という高速道路がアジア・ハイウェイ1号線に指定されている。日本の東京が起点で、実はカイバル峠もアジア・ハイウェイ1号線なんですよね。

K え、マジで? ホンマや。アジア32カ国を横断する全長14.1万キロメートルに渡る高速道路。現代のシルクロードを目指して計画。

T 首都高速公団も国土交通省もそれに乗っかって、看板立てとると。

Y 日本から韓国へ船で移動という時点でどうなん? とは思うけど(笑)

T そこはね、国道というのは結構フェリー路線を指定していることも多くて、海の上の国道というのは一般的やねん。

Y なるほどね。

K すごい。

T そう考えるとカイバル峠にもちょっと親しみを持てるでしょ。

K 親しみ持てる持てる。なんなんこれ。AH2とか3とか色々あるで。8まである。

T AH2以降は全然知らんな(笑)日本を走ってるのって、1だけ?

K 1だけやな。東京―福岡―釜山―ソウルー平壌―北京―武漢―長沙―広州―南寧―ハノイーホーチミンープノンペンーバンコク。なんかえらい。

T くねくね曲がっとるな。

K ヤンゴンーインパールーダッカーコルカターニューデリーーイスラマバードーカブールーテヘランーアンカラーイスタンブールーカプクレ。

T ニューデリーのあとは?

K イスラマバードーカブール。

T そこがカイバル峠やな。

Y イスラマバードってパキスタン?

T パキスタン。

K これは知らんかったな。カイバル峠のときに言わなあかん。

T カイバル峠言うときある?

K もう終わったな(笑)古代史か出てこないかな。

T バーブルがカイバル峠を越えてインドに侵入した話とか、グレートゲームの時に、ワハン回廊ってのがありますよね。ポーランド回廊、ワハン回廊、氷上回廊。

Y ちょっと待てよ、ワハン回廊、めちゃくちゃ聞き覚えがあるぞ。

K オアシスの道の一部をなす重要な経路であった。グレートゲームの主要な舞台となる。イギリスとロシアの緩衝地帯。

T グレートゲームの文脈だと、ワハン回廊は連想されるかな。地形を見るとパッと分かるけど、アフガニスタンと中国を繋げている。中国の奥地を繋げることにどれほど意味があるか分からないけれど、ここを取るとアフガンとインドの緩衝地帯になると。

で、なんでアフガンがこんなに熱視線なのかなという話だけど、石油よりもむしろ鉱物資源の方がよく産出されるみたいね。

K アフガンが?

T うん。そうでなければ冷戦期のソ連侵攻とか、21世紀入ってからのアメリカの侵攻とかが説明つかないしな。これだけ熱視線でとりあわれるのは。

Y リチウム、コバルト、金、水銀・・・

K それってそんなに使うんかな。リチウム、今使うんかな。

T リチウム使うでしょ、電池に。

K リチウムイオン電池か。もっとパッとした資源じゃないんかと思って。

Y レアメタルだから。

K そうか、レアだから逆にいいのか。

T アフガニスタンの話題で盛り上がりすぎましたが。

K 未知のエリアだから。

T だったら『屍者の帝国』を読んでいただいても良いかもね。興味あるなら。ペシャワール周辺で人造人間みたいなのを探しに行く話です。

K 面白そうやん(笑)世界史勉強していて、未知の部分は面白みを感じる。何周もした地域とかはまたかぁという感じだけど、アフガンはまだ自分でも理解が進んでいないから。

◆ダーウィニズム、フランス文学

T 後半はどうでしたか。近代化と大衆社会の萌芽。

Y 文化に関しては申し訳ない、わたし高校の頃から大嫌いで。

K わたしは逆にこのへん好きやけどな。

Y ご教授いただきたい。

T どういう教え方をしているのか、あるいは自分の関心分野として。

K やっぱりダーウィンが書いてあって、ダーウィンの進化論は生物学的な面白さだけじゃなく、社会ダーウィニズムに繋がりますよね。

T スペンサーね。

K それが帝国主義の理論的な支えになっている。西洋人の方が優れているから、劣っている非西洋人を支配するのは正しいことであるというみたいになっていくあたりが面白いと思う。ダーウィンは多分そんなことを思っていないのに、えらいことにされてしまっている。科学がそういうふうに使われている。

去年、自民党かどっかの政党の四コマ漫画に、社会ダーウィニズム的なことが書かれていて炎上したやんか。

T あったなそんなこと。炎上したした。

K そのときにちょうどダーウィンを世界史Aで教えていたから、その炎上事件について触れたな。モノを配布したり政党名に触れたりまではしなかったけど、今もダーウィニズムの考え方をきちんと理解していないことがありますよねみたいな。これはちょっと今の高校生にちゃんと教えておきたいと思う。

T 優勝劣敗・適者生存ってやつですね。これは日本の富国強兵のイデオローグにもなったと言われている。

ただ、初期においては優勝劣敗・適者生存だったけれど、だんだんと人と獣は同じ祖であるという人獣同祖説の方がクローズアップされてきた。本来の進化論は人獣同祖説がメインで、それがキリスト教の教えにコンフリクトしたから、キリスト教徒たちは人獣同祖性を切り離して、優勝劣敗・適者生存だけを抽出して、社会ダーウィニズムに繋げていった。

しかし、20世紀に入ると人獣同祖説がぶり返してくる。日本においても、富国強兵のイデオローグになってきた優勝劣敗・適者生存が一段落して、日露戦争に勝ちましたと。その段階で人獣同祖説がぶり返してきて、「人と獣が同祖なら、天皇って何なの?」という話になってくる。

Y なるほど。

K ああ。日本においては。

T という、それまで自分たちの国を豊かにしてきた考え方というのが、実は国体に対する危うさを孕んでいることに気づき始める。

K 天皇とは何かを上手く説明できなくなってしまった。

T だから明治期の教育だとダーウィニズムがすごく導入されて、教えられているけれども、明治後期から大正にかけては、ダーウィニズム教育が封印されていくことになる。それが天皇制の否定に繋がるということで。

K 日本はそうやったんや。それは知らんかった。天皇機関説はいつだっけ。

Y 美濃部達吉。

T 京都大学の美濃部先生が弾圧されたのは、1930年代だね。

K 繰り返しそういう天皇とは、みたいなことを問い出すようになってきて、その一つがダーウィニズムからの視点やってんな。

T そういう転換はあった。日本においては特にかな。

K 外国においてはどうだったのか。

T イギリスは立憲君主だから、ハーマジェスティではあるけれど、ロイヤルな人たち、あくまで人だから。日本は神だからね。

K そうか、西洋は、神は別でいるからな。で、神の機関を取り扱う代表としての国王、君主やもんな。そこがちがうよな。

T 日本はやっぱり特異に危うかったんだろうなと。人を神にしてしまったが故に。

K ダーウィンはそういう拡がりで。ロマン主義とかは単純に好きやけどな。

T 日本のロマン主義ってもっと後な気がするけど、西洋のロマン主義は結構早いね。

K なんとなく『レ・ミゼラブル』みたいな感じかなと。ああいうイメージはあったけれど、それを分かりやすく説明してくれたのがp171で、理性重視の啓蒙主義に反発して、感情とか個性を重視しているから、醜いモノ、恐ろしいモノを含めるんだなと。単なる美しさ、ルネサンスのときの人間賛歌だけじゃなくて、醜さにも美を見いだすのは、確かにレ・ミゼラブルやなと言う気がして。

T なるほど、醜さにも美を。

K 醜さとかダークな部分に。だからレ・ミゼラブルは群像劇で色々な人が出てくるけど、醜い感じの人にもよさを見つけている。

T テナルディエ軍曹とか出てくるもんね。

K 善とか悪とかで二元化するのではなくて、醜さの中にも尊さや美しさがあるというのが、それがロマン主義なんやというのが、この説明でなるほどとなった。

T トクヴィルの時代だなとは思っていた。

K トクヴィル毎回出てくるな(笑)

T トクヴィルの時代だし、『赤と黒』の時代ですよね。

K イメージする作品はそれぞれ違うよな。

T フランス革命でいったん身分制が崩壊したのに、ウィーン体制でまた反動的抑圧が始まって、でも抑圧された人たちは、自分たちだって上に行けるという流動化した身分制が幻想ではないことを知ってしまったゆえに、反動的抑圧が意味を成さない時代になった。

K そういう時代ですよね。ジャン・バルジャンも工場を経営しちゃうから。

T 彼は市長になっちゃうもんね。

K あれがまさに、この頃育ってきた市民層やな。

T 身分制の流動化。犯罪者も市長になれる。

K でもジャベールは割に昔ながら枠みたいな。

T 彼は保守枠だね。

K そうそう。保守枠で対比させつつ、でもジャベールにも良いところがあるみたいな。

T 話飛ぶけど、ジャベール役のラッセル・クロウの新作、『アオラレ』っていう煽り運転の映画が公開される。

K 何それ(笑)

T 煽り運転のハリウッド映画が公開されるらしい。

K なんかさ、仕事選んで欲しかった。ジャベールそんでええんか。ほんまや、ジャベールの顔で煽ってる。スリラーって、どんな話や。

T 一回クラクション鳴らして、ラッセル・クロウを怒らせちゃって、そこから延々と追いかけてくる。

K ある意味ジャベールやな。

T そう、ある意味ジャベール(笑)

K この時期は文化も結構新しいものがでてきて、例えばカメラが出てきたことで、それまでの画家たちはそっくりに描くことが素晴らしいという価値観でいたから、それをカメラが破壊したことで様々なアートが生まれた。写実的なものを描いても仕方ない。それは写真でいいやんということだから、それによって印象派、キュビズムやピカソが典型的な例だと思うけど、様々な派閥ができてきて、20世紀には若干とっつきにくいアートが出てくるけど、こうしたアートが出てきたのはカメラの登場の影響だなと。そういう見方で見ると、「なぜこんなアートなのだろう」というのが面白くなる、という話を生徒にはしている。キュビズムとかゲルニカは資料集に出てくるから、「この人たちはカメラに対抗して何をしたかったのだろう」とかを考えさせる。

T 世界史でそこまでやんねや。

K 余裕があれば。世界史Aではやるな。Bではちょっとその余裕はないかな。

Y プリント1枚にひたすら、誰が何をつくった、誰がなんとか派やとかが書かれていた記憶があって。

T それは苦手意識を惹起するよね。

K プリント上はどうしてもそう書かざるを得ない。こう問われがちみたいな要素を入れて。けどお話はちゃんとしたいな。大きな流れというか。なんでこんなけったいなアートが並んでいるかというと、みたいな。

Y 多分植島先生も嫌いだったと思うよ。このへんの文化系は。

K 文化は自分でやっとけ感があったよな。

T あの人は何が好きだったんだろう。

K その分寸劇とかが多めやったから、わたしはそれで良かった。

T やっぱりあれか、政治劇が好きだったのか。

Y やと思う。国際関係とか。

T それがYに引き継がれているわけね。

Y 素直やったからな、当時は。

K うえたまは寸劇がいっつも可愛かった。木から下りた瞬間で大好きになったな。人類が誕生して。

T アウストラロピテクスね。

Y あれを1回目の授業でやるのがすごいよな。

K あと謎にアメリカ史になるとボブおじさんが出てくる。友だちの、アメリカに行ってボブおじさんと一緒にどっかに出かけた話とか。全然歴史と関係ない(笑)

Y 「友だちのボブがね」みたいなやつだっけ。

K そうそう。実在するのか分からない(笑)

T ぼくもあの授業は好きだったけど、お二人に比べると記憶力の差を感じるわ。

Y おれらは大学入試の3科目中の1科目が世界史やったからな。

K 世界史で受かったもんなわたしらは。あとが壊滅的やったから。

Y 阪大の数学ってめちゃくちゃ簡単だからみんな結構点数をとるから、それに世界史で対抗しようとしたら、授業をそのまま再現できるくらいでないと厳しい。

K あの記述でうちらは7,8割とらないと受からない。

Y 絶望していたよ。

K 国語と英語でとれへんもんな。でも自分がそれでも受かったから、そう言って受験生を励ましてるよ。好きな科目で9割取れって。

T そのページでジュール・ヴェルヌが出てくるよね。わたしはSF好きなので。

K そう? わたしもジュール・ヴェルヌめっちゃ好きやった。小さいとき『地底旅行』とか『海底二万マイル』も読んだな。
T 『奇異譚とユートピア』長山靖生という本があって、それでジュール・ヴェルヌが日本にどう紹介されたかみたいな話を知ったんやけど、『月世界旅行』がやっぱりインパクトがあったみたいで、ここにも書いてあるけど、単なる空想ではなく、その時代の科学的知識や技術を踏まえた実現可能な近未来の技術を予見して、っていう。

K せやねん。だからなんかワクワクするよな。

T 月世界旅行とか、月に行って宇宙人に会ってみたいな話じゃなくて、月に行くまでのロケットの研究で8割方終わっているという、今から考えると異色の小説だけど、当時はそういうのがウケたんやなと。

K 地底旅行も地底の入り口に行くまでの描写が長くて、具体的にレイキャビクのフィヨルドの隙間から入れるみたいな、小中学生なりにフィヨルドって何やろとか調べて、ホンマに隙間から行けたりするんかなとかさ。

T あー、そういう意味では小学生とか、子どもに対して、科学の知識を深めるのに今なお役立つ教材かも知れないな。

K そうそう。すごい好きやった。地学選択にしたのはそんな影響もある。地底旅行もフィヨルドだけじゃなくて火山もあったから。アイスランドは火山もあるやんか。新規造山帯あたりが入り口やった気がするけど、ようわからん地形に興味をもつきっかけにはなったな。もう一回読みたいくらい子どもの頃は好きやったな。

T 子ども向け文庫みたいな読みやすいやつね。

K たまたま図書館でチョイスしたのがジュール・ヴェルヌとか巌窟王とか、フランス小説ばっかりやった。当時はフランス志向やったわ。

T 国民国家の統合がこの時代にあって、これまでの章でも先走って国民国家に言及して、「それはナポレオン後だよ」と言われましたけれども、フランスの話で言うとグランゼコールができたのもウィーン体制の時代だし、p171の「初等教育を義務化し推進する政策が推し進められた」「工業化のために識字能力を有する均質で良質な労働力を大量に必要とした」というあたり、均質な労働力も必要だけど、やっぱり教育によって神話やハイカルチャーを共有することが国民国家の統合のためには必要ですよね。それを読んですごく思ったのは、福島県の話ですけど、『八重の桜』っていう大河ドラマあったじゃないですか。

K あったな。

T あれは八重さんがすごい女豪傑で、子どもたちからなんやあいつみたいな目で見られていたけど、そのときに「わたしは安達ヶ原の鬼婆じゃねえぞ!」みたいなことを言う。それって「お前らが受けている教育と同じ教育をわたしも受けている」という表明ですよね。「君たちの持っている神話をわたしも共有している」と。それによって異質ではないのだと反論して、統合を図っていく、仲間に入ろうとする。それがハイカルチャーの共有だなと思っていました。

K 具体例がすごく具体的やな。

T 綾瀬はるかがそう言ってたから。

K そっちの記憶力の方が凄いと思うねんけど。ならぬものはならぬとかしか覚えてないわ。

T 白虎隊の悲劇ね。

K でも国民国家と初等教育とかはちょうど授業でやっていて、国民国家がつくられているときのことを世界史Aでいまやっていて、どのようにして国民国家の形成を図ったかというと、選挙権の拡大や、義務教育化等があります、と書いているから、なんでこの二つが国民国家に繋がるかという話をしている。

T それ大事。

K で、いまのようなことを言ったな。あとは国語という話もした。同じ言葉を。方言とか、多民族国家だったらそれぞれの言語があるけど、同じ標準語を共有して、この標準語を喋る人はフランス人だとかいうことをやった。母国語の形成を図ったことも、国民国家の流れでの義務教育の果たした役割かな。でもその分喪われたものもありますよね。方言とか、多様性が。

T それぼく、あとで『ゴールデンカムイ』送るわ(笑)

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K アイヌ民族のコラムも載ってるよ、世界史の教科書にも。国民国家の形成の時に、西洋の話が中心になるけど、日本はどうだと思いますか、日本は単一の民族だとみなさんはお考えですかと投げかけるためにそのコラムがある。

T あとは創氏改名みたいな台湾や韓国への強要の話もあるよね。

K そのへんの話をすると高校生は結構面白がるねんな。日本が占領した先でどんな感じだったかを、教科書に載ってる範囲でしかよう言わんねんけど、紹介したら、「中学校の歴史やったら太平洋戦争において日本は被害者っていうイメージが強かったけれど、日本もそういうことを行っててんなと、高校生になって初めて知りました」という人が居て、若干おいおい・・・ってなってる。

T それはおいおいやな。

K 中学校の教師、ちゃんと教えてくれよそこはと。義務教育課程でそれ知っとかなあかんやろと。まあ仕方ないから高校で教えるけど。

T まあ戦争は二度とやりませんみたいな平和教育に重点を置きすぎているきらいはあるのかもしれんな。でもまあそっからやもんな。

K でも変にフォーカスするのもあれやけど、そのへんも知っとかなあかんもんな。それを世界史でやらなあかんようになってる。国民国家の流れで、日本のことも知っておこうみたいな。

【終】

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