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異国での、汽車旅。【プロローグ】

鉄道が好きな、私。
今の旅行好きは、鉄道好きが高じて「そうなった」ものです。
まあ、子供の頃はご近所の私鉄電車が中心で、国鉄というものを認識できる機会もほとんどなく、狭い世界の中のこと、でした。

しかし、国鉄-JRに触れる機会も増え、ほかの「世界(地域)」の鉄道が、少しずつ身近になると言いましょうか、あぁ、つながっているんだなぁ…と実感できるようになりました。

こういうのに乗れば、「どこか」に、行けるんだなぁ…、と。

そして高校に上がり、写真部に所属し、その撮影旅行ということで、少しずつ、遠くへ出かけられるようになりました。初めての遠出は、名古屋だったかな…。新名古屋駅で見た、目まぐるしく行き来する真っ赤な電車、神宮前駅の懐かしさを感じるホームといかついパノラマカーの様子は、刺激的でした。

そして初めての本格的な旅行は、広島の祖母宅を訪れる名目で足を延ばした福岡でした。図鑑で見ていた西鉄電車の実物を見て「こんなに綺麗な緑色だったのか…」と驚嘆した旧福岡駅でのひと時は、今でも思い出します。

西鉄電車のアイスグリーン、フィルム写真が一番苦手とする色合いだったんですよね。そして印刷でも、なかなか再現が難しい色です。なので現地で見た「生の西鉄電車」は、印象的でした…。

そして、電車好きが旅行好きに高じるきっかけは、高校の修学旅行でした。ワイワイ楽しい貸切夜行列車、そして乗り換えたバスの車窓に拡がる信州・白馬の雪山に映る朝陽の色。日本にこんな光景があったのか…。そして食事に出る現地の食材、異なる味付け。たくあんの味まで違うんや…と、これまた感動したり。そこから「いろんなところに行ってみたい!」となり大学時代は色々と放浪しました。

とはいえ、嵌ったら割としつこく粘着するタイプで、基本は信州・ときどき浮気というような感じでの行程で、これは後のソウル粘着にもつながる訳ですね(苦笑)。長野には、何度も行きましたねぇ…。ワイド周遊券があった時代は、特に目的なくエリア内で汽車旅をしていました。

これが海外に拡がる「きっかけ」は、2010年の韓国訪問時の行動からでした。初海外は2005年の中国(海南島&広州3泊4日の団体旅行)で、その際にチラッと中国の鉄道を見て、地下鉄にちょっとだけ乗ったりはしたのですが「鉄道」への興味はさほど膨らんでいませんでした。

初海外から5年後の2010年3月、今度もまた団体旅行ですが韓国へ行くことになり、このとき初めて本格的に海外の鉄道に「乗車」することになります。

初めて訪れた海外の駅は、地方都市の駅なのに、ほぼ空港のターミナルビルでした。そして初めての「低い鉄道ホーム」、目の前に停まっている海運用コンテナをそのまま積める貨物列車、軍人さんが待つホームに滑り込むTGVそのもののKTX-I…。かなりのカルチャーショックでした。大陸規格すげぇ、と。そして…

この光景です。ソウル駅の構造は見聞きしていましたが、実際に見ると、その大陸的なスケール感に圧倒され…

その欧州的な雰囲気の中に停まる、日本でも馴染みのあるスタイルの客車。あぁ、なんか、すごい…。いろんなものが混じってる…。と。

そしてその数か月後…

なぜか烏山駅に立つ、私。

電車に乗る、私。

ソウルの都市交通を調べるということで、初めての「個人旅行」としての海外渡航となった2010年6月。バスについて調査乗車していたら流れ流れてソウルから数十キロ離れた烏山市に。ソウルに戻るため電車に乗ったのですが、個人的には通勤タイプの電車が好きなのでそのままソウルまで…と思っていましたが同行者曰く「各停の電車かったるいから乗り換えよう」と。
水原から「列車」に乗ることになり、次の「列車」は…

セマウル号でした。うわ~アメリカンなステンレス客車はじめてだ~!(そのとき外観写真は撮れなかったので別の機会の画像を…)

車内に入ると日本っぽい厚めの座席、一昔前の高速車両だと実感できる天井の低さ(低重心にするため)、座ればグリーン車並のゆったり感。すげぇなセマウル号…。
そしてセマウル号と言えば、食堂車あったんじゃない?ということで、探検に…。

残念ながら食堂車は廃止され簡易ラウンジ・ビュッフェ車に改造されていました。しかし日本では消えて久しいラウンジカーや簡易とはいえビュッフェカウンターのある様子には、ついついはしゃいでしまうのでした。そしてこの内装のセンスに、なんというか、度肝を抜かれるというか…(苦笑)

海外の鉄道、これ、おもしろいやん…。

これが、始まりでした。

(つづく)

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