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小説

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「夏死」

 ピッチカートを弾く指先は命綱を断ち切る無情の刃のように、びん、と空気を振動させ、短く響いては少しの余韻だけを残して消えた。湊は顎を浮かせ、肩からバイオリンを離し、窓枠の形に切り取られた青空を見上げた。恐ろしいほど済んだ空は嘘のように蒼く、うっすらと残る飛行機雲だけがそこを横切っていた。  地獄のような暑さをどうにかするために、気休めのように隙間を開けた窓から風が入り込み、それらは前髪を揺らし、その場に未練など露ほどもない態度で去って行った。風はいつだって傍に留まっていてくれ

「奈落の底」

あらすじ  平成最後の夏。古い風習の残る田舎町で有名酒造店の長男として生まれた朔太郎は、店の後継ぎとして生きる負担から逃げるように東京の大学へ通っていた。ある日、両親から縁談の提案があり帰省すると、次男の操が出迎えてくれる。昔から唯一の心のよりどころだった操を頼り、決められた人生しか歩むことのできない家系を嘆くと、見かねた操から心中を提案され、操以外のものはどうでもいいと思っている朔太郎は承諾するが、心中は失敗し、操だけが死んでしまう。弟の死を受け入れられない日々を送ってい