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「虚数は存在するか」論争の根っこにあるもの

2ちゃんねる創設者のひろゆきがYouTubeでの配信で「虚数は存在しない」「位置エネルギーは存在しない」と発言し、さらにそこから専門家に突っ込まれても引き下がらないという豪胆を見せつけて理系界隈で若干燃えている。

虚数の件も位置エネルギーの件もちゃんと勉強すれば理解が進むでしょう、ということでひろゆきの件については置いておく。今回はひろゆきに関係なく、これまで延々と繰り返されてきた「虚数は存在するか」論争についてちょっと書いてみたいと思う。

ちなみに虚数というのは「2乗すると負になる数」として定義されていて、記号「i」であらわされる。二次方程式などを解こうとすると、実数の範囲だけでは解けない場合があるので架空の数を導入する、みたいに習った人もいるだろう。iは「imaginary(想像上の)」という意味がある。なので「存在しない数」として認識している人も多いはずだ。

そもそも実数が存在していない

「虚数は存在しない」論争でよくある反論が「じゃあ負の数も存在しないだろ」というものだ。たとえば1個のリンゴは存在するけど「マイナス1個のリンゴ」は存在しない。たしかにそう考えると負の数も存在していない。

だがそれで言うならば、そもそも実数はどこに存在しているのだろうか?

時計を分解して電池を取り出すことはできても、時計から「時間」を取り出すことはできない。同じように、1個のリンゴから「1」という数だけを取り出して実際に指でつまむことはできない。一休さんではないが「では将軍様、捕まえますので、その実数とやらを屏風から出してください」という話になってしまう。

あくまで個数や量を計算するために使っている便利な概念に過ぎないので、その意味では虚数も負の数も実数も同じように「存在しない」といえるし、すべて「頭の中にだけ存在する」ともいえる。

「虚数は物理現象に存在しているよ」派

たとえば交流回路のインピーダンスシュレーディンガー方程式などの事例を挙げ、「物理現象が虚数を使って表されているのだから虚数は存在する」という反論もよく見る。

でも表現できるから虚数が存在するというのも「それなら屏風から出してください」という話になる。マクスウェル方程式は四元数やテンソルを使うとすっきりと表現ができるそうだが、四元数やテンソルも実在するということなのだろうか?俺はどちらも見たことがないぞ。

……こうなってくると「存在する」という言葉の定義を問う遊びになってしまうのでこの辺にしよう。

問題はそもそも「なぜ虚数を使わないと物理現象が記述できないか」というところだ。それが単なる「計算の便利のため」なのか、はたまた「実際にこの宇宙のどこかに虚数が存在しているから」なのか、そのあたりに踏み込まないとこの反論は分が悪いように思う。

iなんていらねえよ、夏

ここで考えたいのは「なぜ実数では2乗すると負になる数が表現できないのか」という根本の問題である。

虚数の表現は、なにも「i」という新しい記号をつかわないといけないわけではない。たとえば行列p進数という数学の手法を使うと、我々のよく知っている0・1・2・3などの数字だけで「2乗すると負になる数」が書けてしまう。

【参考】
虚数単位 #行列表現 - Wikipedia 
p-進世界へようこそ(リンク先pdf)

実数単体ではできないことが、実数をふんだんに使って行列やp進数という形に料理してあげるとなぜできるのかというところに、数学的なおもしろさがひそんでいる。

順序がある数・順序がない数

「実数を2乗すると0以上になる」ことの証明は簡単である。

【証明】
任意の実数xは ①x<0 ②x=0 ③x>0 のいずれかである。
①の両辺にxをかけると、xは負の数なので不等号が逆になりx^2>0となる。
②の両辺にxをかけると、x^2=0となる。
③の両辺にxをかけると、xは正の数なので不等号は変わらずx^2>0となる。
よって、任意の実数は2乗すると0以上になる。

では2乗すると負になる数がつくれない原因は、「実数のどんな性質」にあるのだろうか。

それは「順序」だ。

実数は数学的には「順序体」というものの一つで、文字通り「要素を二つもってきたら順序をきめることができる」という集合である。たとえば2と3という数をとりだして、どちらが大きいか、あるいは同じかを決めることができる。

上の証明では不等式を用いて「実数を2乗すると0以上になる」ことを証明したが、この「順序関係が毎回決まる」というのが虚数をつくれない元凶なのである。

「二つを比べると必ず大小関係を決めることができる」というのは、小学校から整数や実数にずっと慣れ親しんだわれわれにとっては当たり前に思える。だが数学の対象としてはそうでないものの方が多い。

例えば「大きい三角形」と「小さい五角形」に優劣をつけられるだろうか?面積や辺の数などを取り出せば比較できるが、それは実数を比較していることに他ならない。図形そのもののあいだには、何の順序もないのだ。

もう一つ順序関係の例を挙げよう。「東京都」と「世田谷区」には、集合としての包含関係(どっちがどっちに含まれるか)を決めることができる。しかし「世田谷区の田中さん」と「世田谷区の山本さん」には、包含関係や大小関係を与えることができない。

虚数を作るには順序を壊すしかない

実数というものは、二つの間に必ず順序が決まってしまう。これが虚数を作れない元凶だったので、順序が存在しない世界にとび出せば作れるというわけだ。

(※語弊のないように書いておくと、実数と同じく四則演算と調和する大小関係のことを以下に「順序」として用いていく)

「5+2i」のように虚数と実数をまぜたものを「複素数」という。複素数には順序がない。「2+i」と「1+2i」という二つの複素数の関係は、「実数は前者の方が多い」「ノルムは等しい」など一部の特徴をピックアップして比較することはできても、複素数世界のメンバーとしては「どっちもどっち」ということになる。

先ほど虚数がつくれる例として挙げた「行列」や「p進数」といったものも、順序を持たないので虚数に似たものが作れてしまう、というわけだ。

こうしてみると、虚数というものが突拍子もない変わった数なのではなく、むしろ実数がかなり融通の利かない集合だともいえるだろう。

順序がない世界から実際に虚数のようなものをつくってみる

たとえば「整数を5で割ったあまり」だけの世界、というものを考えてみる。この世界では「3」という数字が虚数のようになる。

この世界を構成するメンバーは、5で割った余りの数なので

0 1 2 3 4

の5人だけである。

またこいつらの中には順序がない。なぜなら

2+4=6=6÷5のあまり=1

となって、正の数を足して”大きく”なったはずなのに”小さく”なっていることが起きるからだ。別の例でいうと、時計盤の「1時」からみた「11時」の関係が、「2時間前」なのか「10時間後」なのか決められないのと同じである。

さて、ここで「3」という数を2乗してみよう。3×3=9であることは明らかだ。ではこの数に1を足してみると、9+1=10=10÷5のあまり=0となった。

「1足すと0になる数」というのは-1と同じ性質である。なのでこの世界では2乗すると-1になる3が虚数のようにふるまう。また3を4乗すると3×3×3×3=81=81÷5のあまり=1なので、虚数と同じ計算結果になっている。

順序がなくなった世界に行けば、小学生でも知っている数字で虚数が表現できた。やったね!

補足1:ただ困った(?)ことに、この世界では「2」も同じように2乗すると4になるので、虚数みたいな数が複数存在してしまうことになる。
補足2:順序体でない体からはx^2+1=0の解が作れるかのような書き方をしたが、必ずしもそうというわけではない。有限体は順序体ではないが、例えば有限体F_11には解が存在しない。

「虚数が存在する」のではなく「実数は融通が利かない」だけ

このように数学的には虚数というものはさまざまに表現ができる。ただ実数だけではそれを用意できないので、虚数単位iというもので表現するしかないという事情だった。

その元凶は実数に「順序」があることだった。しかし自然界や数学の対象に必ずしも順序が決まっていないものがたくさんあり、それを数式で記述するには実数では足りない。つまり実数は親しみやすい概念であると同時に、数学の道具としては融通が利かないものなのだ。

よって虚数も実数も存在しないが、実数という道具の女房役として優秀すぎるためあたかも存在しているように見える、と結論するのがよいと思う。それゆえに様々な数式に登場し、複雑怪奇な我々の世界をうまく表現してくれるのだ。

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