「最悪の答え」について

芸人として、というか一般生活におけるTipsとして、質問に対する「最悪の答え」というのがある。

一例を挙げると、「好きな女性芸能人は?」に対する「新垣結衣」だ。俺みたいに社交性のない人間はこれをよくやるのだが、何が最悪かというと、ここで会話がストップしてしまうのだ。

新垣結衣を嫌いな人は少ない。いたとしても「あざとい」「わざとらしい」というような、可愛さを認めたうえでのdisにしかならない。この時点で「賛否が分かれる」というルートの会話の盛り上がりがなくなる。「お前それはねーよ」「いや、俺は分かるよ!分かる分かる!」というような会話の芽は摘まれて枯れる。

また「良さを共有して盛り上がる」というパターンもない。ガッキーのよさなんてポッキーの頃から語りつくされており、どれだけほじくっても搾りかすしか降臨しない。

このように、賛否も分かれないし、今更語りつくされているし、話題が広がらない答えを「最悪の答え」としてストックしている。それは他人を貶めるためではなく、俺が雑なコミュニケーションをしてしまう側の人間だからだ。

「好きな映画」に対する『ショーシャンクの空に』や、「好きな作家」に対する「村上春樹」がネットでなんとなく馬鹿にされているのもそういう理由だろう。どちらも「あ~いいよね……」で話が終わってしまうのだ。

「犬派?猫派?」というような手垢のつきまくった質問は、実は非常に機能的で、みんなどちらかに分かれるし、結構半々に分かれるし、どんなに口下手でもある程度は犬や猫の魅力を語ることができる。

「好きな食べ物は?」の答えとしてこれまでに見た最悪の答えは「海鮮丼」だった。海鮮丼を嫌いな人は少ない。また「どこの海鮮丼が好きか?」「どんな具の組み合わせが好きか?」という会話の広がりも難しい。そんなトークテーマで盛り上がるのは海鮮丼同好会くらいだ。それに海鮮丼の良さを語ろうとすると、それは実質的に「刺身」の話になる。ツッコミを入れるほど変でもない。となると、全員が「あ~……なるほど」としか言えなくなる。

考えて最悪の答えを回避することは簡単なのだが、その分ノータイムで「最高の答え」を出せる人というのは、なんと才能にあふれていることか、と感心する。

昔テスラのCEOであるイーロン・マスクが、いかにも意識の高そうなカンファレンスで

「あなたはここにいる様々な人に影響を与えています。では、あなたが影響を受けた人物は誰ですか?」

という質問に対し、ノータイムで

「カニエ・ウェスト」

と答えたのは笑った。「なんでやねん!」と「なんでだろう?」が同時に、会場の全員の胸に去来したことだろう。最高の答えだと思う。

お笑いライブでも、昔とある芸人さんが「好きな飲み物は?」と聞かれて即「ゲータレード」と答えたのは震えた。なぜかは分からないがすごく面白かったし、実際めちゃくちゃウケていた。これが「ソルティライチ」とかだと最悪の答えだと思う。

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