どうしようもないのだから祝ってしまおう

昔からイベントとしての誕生日が不可解だった。子どもの頃はプレゼントがもらえる日としてウキウキしていたが、大人になるにつれ「どうして止まることなく流れる時間に区切りをつけて祝ったりするのだろう?」という思いが強くなっていき、だんだんと自分の誕生日を気にしなくなっていった。大学生の頃には親から届いた「おめでとう」のメッセージでその日が自分の誕生日だと気づくような調子。

別に年齢を重ねることが嫌なのではなく、何かを達成したわけでもないのに、不可避で制御不能な「日付」の何がハッピーなもんか!と思っていた。でもここ数年は、「どうしようもないことを、なぜ祝うのか」から「どうしようもないんだから、祝っておくか」という風に考えられるようになった。

どうしようもないことは、せっかくどうしようもないのだから、額縁に入れて飾っておくことにした。シニシズムが治ったというより、「全部がどうでもいい」のフェーズ2に突入しただけだと思う。フェーズ3まで行くと、「同じ阿呆なら踊らにゃ損損」だとか、「ええじゃないか」とか言い出すのだと思う。

ここ3日ほど、祖母の葬儀のために帰省していた。電車は1時間に1本しか来ないような町だ。昔はこんな何もない町、絶対に出て行ってやると思っていた。大学に行って都会の人々に交じれば、自分もそこの住人になれるような気がしたのだ。別にそれが目的で勉強したわけではなかったが、うっすらと人生が変容することを期待していた。

でも、都会のエリートに触れてみたら、彼ら彼女らは完全に違う人間だった。私が肥溜めに落ちたりカヤツリグサを裂いて遊んでいた頃、彼らはすでに受験を経験して、オペラや歌舞伎を鑑賞して、綺麗な服を着ていた。こびりついた過去があるので、彼らにはなれない。私はどうしようもなく野良犬だと思い知り、せっかくどうしようもないのだから、それっきり故郷を愛することにした。20代の後半あたりからだ。

祖母は私が面会した次の日に亡くなった。親族からは「公汰に会って安心したんやろ」と言われた。たぶん、偶然だろう。何人がかりでも開かないビンのフタを開けた人は、回ってくる頃にたまたまフタが緩んでいただけだったりする。でも、最後に彼女が安心していたのだとしたら、その方がいいに決まっている。

私は死後の世界も死後の審判も信じる証拠がないから保留している。でも祖母の生涯が安心や達成感で満ち、苦痛のないものであったのならば、と祈らずにはいられない。だってどうしようもないのだから。祈るくらいしかできることがない。この祈りは、祈るべき神の名を知らない者による、仮定法的祝福だ。便利だぞ。

どうしようもないのだから祈る、愛する、祝うというのは、じつはこの世に溢れかえっているのかもしれない。たとえば結婚式とか。人が勝手に愛しあって、場合によっては子どもも授かっていて、こんなにどうしようもないことが他にあるだろうか。もっといい相手がいるだろうとか、子どもが心配とか、うるさいやつはいるけど、とりあえず祈っとけ祝っとけって感じだ。お祭りでバカでかいものを燃やしたり壊したりするのも、「どうしようもなさ」の象徴なのかも。

冒頭の写真は、遺品を整理していて見つかった私と祖母のひとコマである。オムツをしているのに、すでに生え際が「どうしようもなさ」の片鱗を見せている。合掌!

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