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物理における数学の理不尽なまでの有効性あるいは非有効性

物理と数学

物理を学んでいると、あるいは研究していると、数学の威力に感銘を受けることが多々ある。多くのひとにとって、その最初の体験は、力学の運動方程式(微分方程式)を扱ったときであろう。たった一つの方程式を解くことで物体の落下や惑星の軌道、大学入試で出されるようなややこしい設定など、ありとあらゆる運動を記述できるのは、驚くほかない。

"The unreasonable effectiveness of mathematics in the natural sciences"
という有名な言葉を残したのは数理物理学者のWignerである(Wikipedia)。自然科学とは大きく出たものだと思うが、実際には物理のはなしをしているので、そこまで深い意味はないのかもしれない。

冒頭に、「確率分布を表すのになんで円周率を使うんだ?円なんて関係ないじゃないか!からかっているのかい?」(アメリカンな雰囲気で読んでもらいたい)という会話をするエピソードがある。どう答えたらよいだろう?

個人的に学部生のときに感銘を受けたのは、次の三つである。

  • Dirac方程式。波動関数を4成分に拡張することでKlein-Gordon方程式の問題点を解消するだけでなくスピンや負のエネルギーという概念が自然と生じる(図書館で何かの本を読んで勉強した。その印象は鮮烈で、そのときの情景をまだ覚えている)。

  • 統計力学の相転移。熱力学極限で解析性が破れる余地があり、相転移を扱える(4年生のときの輪講でIsing模型の解の項を担当したため、詳細な計算を追った。「相転移・臨界現象とくりこみ群」の付録Eはそのとき作ったノートを見ながら書いた)。

  • 量子統計およびそれがもたらす排他律やBECなどのさまざまな性質(3年次の実験の合間に、物理で何が面白いか雑談したのを思い出す。フェルミオン二つでボソンになることに感動した、と相手が言っていた)。

あとはMaxwell方程式も入るかもしれない。いずれも数学的な議論から出てくるのに、ちゃんと自然がそれに対応している。

大学の数学は高校のものとは全く異なるのだが、物理の数学は高校でやった数学の延長みたいなものである。数学本来の分野から見れば大したことはない。算数みたいなものである。それでも十分に面白い結果を導くことができる。

なぜ数学を用いるのか

数学を用いて議論を進めるのは、結局のところそれが一番信頼できるからである。あいまいさを排除した説明をすることができる。

一般向けのサイエンス記事は数式を用いずに全て言葉で説明しようとするせいか、どうしても不自然な部分が出てくる。説明している方ももやもやしているだろうし、される方も別の意味で同じである。これをどうするかはなかなか悩ましい問題である。

また、物理は具体性を捨てて抽象に徹することがある。具体的な物質、現象とそれらを記述する法則は微妙に異なっている。モノとコトを分離して理解する。昔行った講義(理工系1年生向けの電磁気学基礎)で次のようなことを話した。

数学はコトの領域を記述するのにきわめて適している。そしてその領域をできるだけ拡大しようとする。理論物理の野望はモノの領域全てをコトの領域によって完全に覆いつくすことであろう。「物理帝国主義」という言葉があるが、「数学帝国主義」とでもよべるかもしれない。

問題は、コトの領域内にあるがモノの領域外にある部分である。ここはどうしても出てくるバッファ領域である。「熱力学極限とは」でも述べた。そこで得られた結果に何を見出したらよいのだろうか。研究していると錯覚してしまうが、無理やり物理的意味があると思ってはいけない。慎重に考える必要がある。

抽象的であることは、他に転用しやすいという利点もある。Wignerも述べているように、全く物理的意味が異なる問題でも、数学的には等価な記述が得られることは多々ある。したがって、考えている問題においてモノの領域に入っていなくても、別の問題では入っているかもしれない。

例えば、スピングラスの理論において用いられるレプリカ対称性の破れという概念は、レプリカ法という特殊な理論的方法において現れる特殊な解である。それでスピングラスの熱力学的状態を得ることができる。1979、1980年ころ、Parisiによって示された。計算を実際追ってみるとわかるが、きわめて変態的な解である(ほめている)。なんでそんなものを思いつくのか理解できない(宣伝だが、その変態さを追求したのがこれである。個人的に気にいっている研究の一つである)。実際のスピングラス系で対応を観測するのは、間接的にはともかく、きわめて困難である。統計物理学の分野では金字塔的な業績であるのだが、Nobel賞の対象になるとはあまり考えられていなかった。ところが、他の分野によって対応する現象が観測されるようになり、それがきっかけとなったのかは定かではないが、2021年の受賞となったのである。詳しくはここを参照。虚構が現実を侵食しているような気がした。

数学をどのように用いるか

高度な数学を用いる数理物理の研究は、慣れていないものにとっては威厳があり、ひれ伏したくなる。

ただ、数学の能力がいくらあっても、それだけでは数理物理の研究はできない。直観や物理のセンスはかなり重要ではないかと思っている。数学の知識だけで突き進めてしまうだけに、絶えず正しい方向に進んでいるか自問しなければならない。上で数学抜きで物理を説明することは難しいと述べたが、一方で、そのような努力は忘れるべきではないとも思う。数学の海で漂流しないためには陸地の位置を把握しておく必要がある。

物理における数学の有効性は疑いようがないが、かといってそこに隙がないとも言えない。何かを数学的に証明するという研究はよくある。何かの問題について、ある設定の下で一般的な性質を証明するという研究である。その研究でまず注目すべき点は、前提・条件設定にある。いくら証明が厳密でも、用いた物理的設定が非現実的であったり前提が間違っていたら、意味がない。プレスリリースで何々を証明したとかいう宣伝をよく見かけるが、中身をよく見てみると限定的であったりする。

別の言い方をすれば、もしその結果を超えたかったら、異なる状況を考えればよいのである。現実は多様であり、異なる状況を考えることは意外と難しくない。物理的に真っ当な設定を用いたいのだが、証明の都合上、あえて不自然な選択をせざるを得ないこともある。そういう設定だったら証明できるということである。そして、たいていはそこに多くの問題がある。

研究は例外を追求することだと言われることもある。結果を尊ぶのをそこそこにして何か例外がないかと探るのが物理屋の性である。そしてどうやってもその結果を超えられないとわかると、その結果の真の崇拝者となる。

多くの場合、証明で用いる数学はそれほど高級なものではない。大学生でも理解できるちょっとした算数で証明をすることができる。数学的に大したことはない証明でもそれが与える影響がきわめて大きいことがある。逆に、いくら数学的に高級なテクニックを使おうとも、大したインパクトを与えないこともある。偉大な数理物理の研究は数学的な深さと物理的意味の重要性の両方を兼ね備えている。

数学の厳密性

数学は厳密さにこだわる学問であるが、物理で用いる場合、それほどこだわらない方がよいときもある。例えば、上述したレプリカ対称性の破れは次のようなレプリカトリックに基づいている。

$$
\ln Z = \lim_{n\to 0}\frac{Z^n-1}{n}
$$

$${Z}$$は統計力学で用いる分配関数である。分配関数の対数をとったものは熱力学関数となる。この式は$${n}$$が実数であれば何の問題もないが、実際には自然数として扱われる。$${Z}$$が$${n}$$個あるからレプリカというわけである。自然数として扱っておきながら最後に0極限をとるという無茶なことをする。それで大小がひっくり返ったりする。さらに言えば、統計力学では熱力学極限をとるが、二つの極限は交換しない。またさらに言えば、ランダム変数についての平均操作も必要となる。統計力学の平均操作とは別物である。レプリカ対称性の破れはそのようなややこしい状況で得られる解である。

40年以上用いられている方法であるから、数学的に理解しようとする研究も多数存在するし、その解が与える自由エネルギーが考えている模型の厳密解であるという証明も存在する(難しくて筆者は理解していない)。筆者自身も関連する研究論文を何本も書いてきた。それでもまだよくわからない。わからないけど論文は書けるのである。


というように数学にもいろいろある。この文章のタイトルにはあえて「非有効性」という語を入れたが、実際、検索するとそういうタイトルの文章も見つけられる(effectiveness → ineffectiveness)。物理以外の分野ではそれほど有効ではないですよ、ということらしい。ただ、それは使う側の問題である。数学が悪いわけではない。数学は適切な場所で適切な使い方をすれば威力を発揮する。仲良くなればこれほど頼もしい味方はいない。物理、あるいは自然科学各分野、の世界で数学を有効に活用するには、その分野特有の感覚をよく理解しておく必要がある。


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