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熱力学・統計力学 熱力学極限とは

統計力学を扱うと、熱力学極限という概念を考える必要が生じる。系の大きさを無限大にする極限である。いろいろと誤解の余地がある概念なのであれこれ書こうと思ったのだが、図を描いた方が早い。ということで、以下の図である。

熱力学において、熱力学関数が存在することは要請によるものである。熱力学で熱力学極限を議論する必要はほとんどない(本書「熱力学・統計力学 熱をめぐる諸相」では熱力学を扱う第一部にも少しだけ議論を入れた(29、30ページ))。マクロ系を記述するとはいえ、用いる示量変数が大きいかどうかは実際のところ判断のしようがない。比較対象がないからである。ミクロ系を認めてはじめてそれらがきわめて大きいものであることがわかる。統計力学から見れば、ある意味、熱力学は初めから極限の世界にいるのである。

統計力学で得られた関数$${S_\mathrm{s}}$$を熱力学関数$${S_\mathrm{t}}$$に対応させるには極限操作が必要となる。その操作は不可逆であり、元に戻せない。統計力学の処方箋によって計算される有限系の関数には、熱力学と相容れない部分が含まれている。そういう余計なものを全て削ぎ落とすのが熱力学極限となる。したがって、「統計力学における「近似」」でも述べたように、それを近似とよぶのは誤解である。ただし、無限大にするのは途中の操作であり、熱力学関数に現れる示量変数は有限値である。上の図で言うと、熱力学量である$${N_\mathrm{t}}$$と極限をとる統計力学変数$${N}$$は別物と考えた方がわかりやすいかもしれない。

極限をとることによって解析性の破れる余地が生じうることは、とても重要である。それで相転移のある系も記述できるようになる。それを初めて認識したときはすごく感動した。


統計力学の理論研究を行っていると、統計力学にはバッファが多いと思うことがある。扱っているものが物理なのかそうでないのかよくわからなくなってくる。本書で「処方箋」と書いたように、あくまでも物理量を得るための道具と捉える方が自然である。

他の分野でも同じようなことはある。例えば、量子力学の波動関数は直接見えるものではないので、そこから観測量を引き出す必要がある。経路積分表示は意味があるのかないのかよくわからない多数の寄与からなり、いくらでも恣意的な結果を出せそうである(怪しい研究も多い)。電磁気学でも、ゲージ自由度という、現実には意味のない自由度が存在する。原則として、理論法則は物理量を計算するための道具であり、現実に対応していない部分はどうしても出てくる。現実と虚構の境界がどこにあるのかわからなくなってくる。

とはいえ、統計力学には他と異なる異質さを感じる。それは、統計力学がミクロな視点からマクロな問題を捉えようとしていることに問題の根があるのだろう。両面から法則体系が完璧に構築された例というのは他にはほとんどない(流体力学は、マクロはよいがミクロ側からのアプローチが難しい。結局のところ非平衡の問題を扱わなければいけなくなる。電磁気学は、マクロな電磁気学というべき(?)物質中の電磁気学について、マクロ側からの捉え方が難解である。単に筆者の知識不足による錯覚かもしれないが。超伝導の現象論はよくできていると思う)。

本書のサブタイトルとして、はじめ「マクロとミクロの×××」みたいなのも少し考えていたのだが、カタカナ英語はどうかと思うし、かといって巨視・微視では硬い。そうこうしているうちに「熱をめぐる諸相」という案に魅せられてしまった。この圧倒的なリリカルさには抗えない。ただ、前者の方が内容をより的確に表しうるのではないかと思う。マクロとミクロがいかにうまく結ばれているか、その凄さはいくら強調してもしすぎることはない。

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