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松田聖子;名演奏の歴史(昭和から令和へ)

名曲の宝庫

世代でもファンでもない僕が急に松田聖子を聴き始めた話を前回しました。

色々な演奏を観るにつけて、聖子ちゃん本人も当然すごいけど、曲のクオリティも、聴けば聴くだけすべてが名曲なことに気づくんですよね。聖子ちゃんは当時からファンとアンチがハッキリ分かれていたようなのですが、

ファンの見解:数々の名曲の魅力を聖子ちゃんが素晴らしいパフォーマンスで引き出した。その相乗効果でこれだけの活躍ができた。さすがは聖子ちゃん。

アンチの見解:歌唱力自体は同時期のアイドルと比べて大したことはない。曲に恵まれたから活躍できただけで、トップに立てたのは事務所やレコード会社の力や、それを取り巻く聖子プロジェクトの貢献が大きい。

といった感じで、曲がどれも名曲であることにはどちらの陣営も異論はないんですよね(笑)。この名曲たちをくまなく紹介するためには、聖子ちゃんのこれまでの歩みを振り返る必要があると思うので、独断により時期を区切って分類してみたいと思います。ダイジェストでいいからとりあえず聴きたいんじゃ、という欲張りな人はこちらを観ましょう。

デビュー初期[裸足の季節(1980.4)〜夏の扉(1981.4)]

デビュー初期の聖子ちゃんは、圧倒的な声量とパワフルで暴力的とも言える歌唱力が魅力。シングル第3作の『風は秋色』でオリコン週間1位を獲得します(意外なことに、第2作の『青い珊瑚礁』は1位を取れていない)。

この曲の決定版とも言える名演

良くも悪くも、初期の曲は初期のスペックの聖子ちゃんに合わせて作られているので、ある意味完全に歌えていたのはこの時期だけとも言えます。このスタイルは喉への負担が大きく、多忙をきわめた聖子ちゃんに試練が訪れます。

第一次低迷期[白いパラソル(1981.7)〜赤いスイートピー(1982.1)]

初期の爆発的な歌唱とオーバーワークによる負担により、聖子ちゃんの喉の調子が不安定になります。

喉の調子は悪くとも名演奏なのはさすが

他の番組ではほとんど歌えなくなり泣き出してしまうことも。さすがにそういうときくらいは口パクでやらせてあげれば良いのに……。

そういう背景から、この時期は聖子ちゃんの喉への負担の少ない曲が作られるようになります。そのような制約がありながらも、この時期の曲も名曲揃いなのがすごい(個人的には、この時期の曲たちが一番好きです)。その際たるものが、呉田軽穂こと、ユーミンこと、松任谷由美作曲の『赤いスイートピー』でしょう。しかし、いまでも永遠の名曲として歌い続けられている赤いスイートピーは、当時のセールス的にはそこまで大きなヒットはしていないようです。パッと聴いた感じ地味だからでしょうか。

模索期[渚のバルコニー(1982.4)〜天国のキッス(1983.4)]

曲調や歌唱法のモデルチェンジが奏功し、聖子ちゃんの代名詞となる、キャンディボイスと言われる歌い方を身につけることに成功します。この時期の曲はリリースのたびにガラッと雰囲気が変わる、模索期と言える時期だと思います。ひとつは、喉の調子が安定したので曲調を冒険できるようになったというポジティブな理由、もうひとつのネガティブな理由は、デビューから2年が経ち、聖子ちゃんが飽きられてきたことによるレコードセールスの下降があると思います。

ときにはこんなお色気路線も

ガラス期[ガラスの林檎(1983.8)〜ピンクのモーツァルト(1984.8)]

そんな模索を続ける中、『ガラスの林檎/SWEET MEMORIES』が当時の松田聖子のシングル最大のヒットを上げることに成功します。ガラスの林檎も素晴らしい曲ですが、B面(後に両A面)のSWEET MEMORIESの貢献も大きい。

この時期の聖子ちゃんの楽曲や歌唱スタイルは、透明感がありクセのない、ストレートなものであることが特徴かなと思うので、ガラス期と名付けました。ガラスの林檎から、ピンクのモーツァルトのB面の『硝子のプリズム』までということで。厳かで宗教的な敬虔さが魅力。

『瞳はダイヤモンド』も外せない

強い女期[ハートのイアリング(1984.11)〜ボーイの季節(1985.5)]

この辺からなんとなくバブルの息吹を感じると言いますか、聖子ちゃんのメイクや格好ですとか曲調に女性としての強さを感じます。1985年1月に郷ひろみとの嘘泣き破局会見ですとか、その後ソッコーで神田正輝と結婚ですとか、事実だけ見ると私生活がトンでもないことになってますが、世間は祝福ムード一色だったそうです。ソニーと石原事務所のちからってすげー!

尾崎亜美は天才

第二次低迷(ママドル)期[1986〜1991]

これ以降の聖子ちゃんの新曲をちゃんと聴いていないので、年譜のみのくくりにします。結婚や神田沙也加の出産で聖子ちゃんも家庭に入る……かと思いきや、1987年には本格的に復帰します。しかも事務所から独立し、SEIKOとして海外進出など、むしろ以前よりアクティブに。

歌唱という点で見ると、以前の聖子ちゃんでは考えられないようなピッチの不安定さや不調が露呈されており、第二次低迷期と言えます。まあ、子育てと両立しながらは大変ですよ普通に考えて。

伝説の大ハプニング

円熟期[1992〜2005]

その後はスキャンダルの女王になったり、離婚、再婚、また離婚と、まあ色々ありましたということで。しかし、そういうスキャンダルを笑い飛ばして推進力に変えてしまうのが聖子ちゃんのすごさ。

いつものコメディエンヌかと思いきや、
最後のセリフと表情が最高にカッコいい。

しかし、この時期のパフォーマンスは見るべきものが多く、過去の名曲メドレーの演奏も、歌唱スタイルは変われど、これはこれで味わいがあるなと思います。この時期が全盛期だったと言うファンもいるでしょう。松田聖子最大のヒット曲、『あなたに逢いたくて〜Missing You〜』もこの時期の曲です(僕はあまり良い曲とは……)。

第三次低迷期[2006〜2021]

あまり言いたくはないのですが、現在の聖子ちゃんは低迷期だと思います。声が伸びなくなっていることを歌い方でカバーしているのですが、完全には機能していないというのが正直なところだと思います。

しかしいままでどんな障害もガッツと努力で乗り越えてきた聖子ちゃんなら、また輝きが復活するんじゃないか、という期待はあります。ネット上では終わった終わった言われてても、60歳は歌手としてはそんなに老け込むような歳ではないです。そもそも将棋の羽生善治と一緒で、30年くらい前から衰えた衰えた終わった終わった言われ続けてるので。

衝撃の聖子ちゃんカット。よく整形整形言われるけど、
少なくとも歯以外はそんなにいじってないと思う。
または、仮にいじったとしても元に戻ってる。

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