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【第7話】訪問購入の目的|特定商取引法ストーリー

 郊外の一軒家に息子夫婦と孫と暮らして、敷地内の狭い畑で好きなように野菜を育てる日々を送っている。73歳の押田みねは、そんな平穏で緩やかな生活が気に入っている。やんちゃだった孫の健も大学を卒業して2年が経ち、前島電気という家電量販店で働いている。夫は闘病の末5年前に亡くなってたいへんであったが、それも過去になりつつあり、今のところは家族で懸念することない。
 午前の畑仕事が終わりリビングでくつろいでいる時に電話が鳴った。電話の相手は若い女性であった。
「不用品処分の大浜商事と申します。ご家庭の不用品の処分や買取をしていますが、何か処分をしたい物はございませんか?。」
「いえ、特にはないですね。」
「そうですか。古い冷蔵庫や洗濯機、タンスなどの処分も承っておりますが、もう使わない家電製品なんかもないでしょうか?。」
「そういえば孫が使っていたパソコンがあって、新しいのに変えたから邪魔になっていたわね。」
「パソコンの引き取りも承ります。処分料として一式1,000円かかりますが、パソコンリサイクル法に沿った処分をします。ぜひ、ご用命ください。」
「そうねえ。孫に確認を取らなきゃいけないから、すぐにお返事はできないわ。」
「わかりました。それなら明日の同じ時間に、またお電話をしてもよろしいですか?。」
「ええ。じゃあ孫に確認しておきますね。」
 そんな話をして受話器を置いた。リビングの片隅に置いてある古いパソコンはとにかく邪魔で、家族の中でも不評だった。ただ、法律の関係で粗大ごみとして出すわけにいかず、ずっと放置していたので、この機会に処分してもらうのはよいことに思えた。
 
 その晩の夕食後、ソファーに寝転んでスマートフォンに見入っていた健に声をかけた。
「健、誰かとやりとりしているの?。」
「ああ。職場の同僚の子とラインしてる。」
「そうかい。女の子?。」
「そうだよ。希美ちゃんから明日の朝イチで、頼まれごとがあって仕事が増えたよ。」
「たいへんだね。ところでリビングのパソコンだけど私が処分料を払ってあげるから業者さんに引き取ってもらってもいいかい?。」
「え?婆ちゃんが処分料を出してくれるの。悪いね。業者に持って行くの?。」
「いいえ。引取りに来てもらうのだよ。」
「そうなんだ。結構な料金になるんじゃないの?。」
「1,  000円だって。」
「それは安いね。それならいいと思うわ。」
「じゃあ。引取りしてもらうわね。」
「わかった。お願いするね。」
 どうやら健はラインの相手との交信に夢中で、こちらの用件はうわの空のようだ。まあ、いい。これで邪魔物の古いパソコンは処分できる。
 
 翌日の午前には大浜商事の女性から電話があり、パソコンの引き取りを依頼すると午後には男性社員が我が家に来ることになった。それまでにパソコンを玄関まで運び出しておいた。
 午後3時を回った頃、大浜商事の社員が来た。不用品処分の業者なので、汚れた作業着姿を想像していたが、小奇麗なスーツ姿のビジネスマンが来たので意外であった。年齢は30代半ばくらいであろうか。ビジネスマンは玄関に積んでおいたパソコンを台車に乗せて外の社用車に搬入させた後、青いネクタイを正しながら書類を取り出した。
「押田さん。こちらは機器処分の同意書になります。署名をお願いできますか。」
 すぐに署名を済ますと、ビジネスマンは玄関に腰を下ろして眼鏡を指で軽く持ち上げた。
「ありがとうございます。このパソコンは古くて廃棄処分になるので、処分料として1,000円を頂くのですが、申し訳ないですね。新しいパソコンなら、買取査定をして逆にお金をお支払いできるのですが。」
「いえいえ。始末に困っていた物だから、1,000円で片づけてもらえるならありがたいです。」
「そうですか。せっかくご訪問したので、何か買取できるような品物があれば、1,000円を頂かずにお金のお支払いが出来ますが。お使いになっていない新しい家電とか、着物とか、貴金属などはありませんか?。」
「いえ。そんな価値のある物は我が家にはありませんね。」
 するとビジネスマンは他愛のない世間話を始めた。それで畑で育てている野菜のこと、家族と暮らしていていること、夫は5年前に他界したことなどを話した。
「ご主人様が亡くなられたときは、さぞお辛かったことでしょう。」
「まあ、その時はそうね。でも、もう5年も経ったから。」
「形見の結婚指輪とかあれば見せて頂くことはできませんか?。」
「え?そんなもの見てどうするの?。」
「せっかくですから鑑定させて頂きますよ。別に買取に出さなくてもいいですから。価値を知っておくのは悪いことではないでしょう。」
「そうねえ。」
 少し迷いはあったが、婚約のときにもらったダイアモンドの指輪が、現在ではいくらくらいになるのか知りたいとも思った。それでタンスにしまっておいた指輪と鑑定書を取り出し、ビジネスマンに見せることにした。鑑定書を見ながらビジネスマンはカラットやクラリティなどの情報を手元の黒いタブレットに入力した。
「0.  5カラットのクラリティはSI2ですね。今の買取価格だと8万円ですね。」
「あら、主人は給料の3ヶ月分だと言ってましたが、ずいぶんと安いものですね。」
「そうですね。当時はそのくらいの金額で買ったというのは事実でしょうが、今の買取基準だとそうなっちゃいますね。」
「そうなんだ。」
「やはり思い入れの強い品なんですか?。」
「まあ、ねえ。でも、長いこと眺めることもしていなかったけど。」
「そうですか。それなら断捨離として売ってみるのはいかがですか?。私どもが責任をもって大事にしてくれる人に売るようにしますから。」
「え?。そんなつもりはなかったのに。」
 それからしばらく売る売らないという問答を繰り返したが、売ると言わないとビジネスマンが帰らない雰囲気でついに根負けしてしまった。とりあえず8万円で買取してもらう内容の訪問購入契約書を手渡され、そこに署名をした。指輪は8日後に引き取りに来るそうだ。その間によく考えよう。
 
 前島電気の食堂で休憩中の押田健は、同僚の南希美が通りかかると声をかけた。
「希美ちゃん。ちょっと相談があるのだけど。」
「どうしたの?。」
 希美は相向かいの席に腰掛けると両手をテーブルに置いて、健の瞳を覗き込んだ。
「前にさ、僕が副業ビジネスで、希美ちゃんが英会話教室でトラブって消費生活センターに行ったよね。」
「ああ、あったね。お互いに消費生活センターで鉢合わせて、翌日にどうした?って話したよね。」
「そうそう。それで今度はウチのお婆ちゃんが変な契約しちゃったみたいなんだよね。」
「えー。マジで?。」
「うん。マジ。なんかパソコンの引き取り処分に来た業者に、結婚指輪を買取される契約らしい。」
「お婆さんは納得してるの?。」
「いや、売りたくないらしいよ。」
「それなら断らないといけないね。クーリングオフできないのかな?。」
「うん。契約書を見たけど出来るっぽいね。」
「それなら消費生活センターに相談するのがいいかな。」
「そうだよね。それで明日、お婆ちゃんを連れて行こうかなと。」
「明日は店舗休業日だもんね。それなら私も行こうかな。相談員の林さんにお礼と報告もあるし。」
「本当に?。じゃあ、一緒の時間に行ってみる?。」
「いいよ。」
「それなら電話で予約をしておくね。14時くらいでいいかな?。」
「了解。」
 明日は三人で消費生活センターを訪問することになった。
 
 よく晴れた平日の午後、孫の健に連れられて市役所にある消費生活センターを訪問した。市役所には何度も行っているが消費生活センターは初めてだ。何だか緊張はするが健が一緒に行ってくれるので心強い。それから現地で健の同僚の希美ちゃんも合流するらしい。健からはよく聞く名前だが会うのは初めてだ。
 市役所に着くとロビーで希美ちゃんが待っていた。肩までの髪で白いシャツに青のミニスカートの清楚な感じのお嬢さんだった。健の意中の子なのだろう。軽く挨拶を済ませて相談室に向かった。
 相談室に通されて待機していると、目の大きなベテラン風の女性相談員が入室して来た。
「消費生活相談員の林明美です。今日は押田健さんからの予約で、お婆様の件でご相談と伺っております。」
「はい。祖母のみねです。よろしくお願いします。」
「婆ちゃんが指輪の買取の契約をさせられて困っているんです。」
「そうですか。それではみねさんに直接に伺います。指輪の買取は、ご自身で買取店を訪問したのか、業者がご自宅に来たのか、どちらですか?。」
「業者がウチに来ました。」
「それは広告を見て、みねさんが電話で来訪を要請したのか、業者から電話があってから来たのか、どういう流れでしたか?。」
「大浜商事という会社から電話があって、不用品の引き取り処分をやっていると言われて、孫の古いパソコンを引き取ってもらうようにお願いしたのです。」
「みねさんから呼んだわけではないということですね。」
「はい。」
「それで業者がパソコンの引き取りに来たのですね。」
「はい。それで処分料の1,000円を払いました。」
「なるほど。」
「それから着物とか貴金属の買取をしているから何かないかと聞かれて、何もないと答えたのですが・・・。」
「そうなんですね。」
「それから世間話になって、なかなか帰らないなと思っていたら、亡くなった夫の形見の指輪を見せてほしいといわれて、断れずに見せてしまったのです。」
「そうですか。先にがあってから業者が不用品の買取や処分のために訪問するのは、訪問購入といって適法なビジネスなのですが。でも、電話では説明のなかった貴金属や指輪の買取の話を訪問現場で持ち出すのは禁止されているのです。」
「そうなんですか。」
「ええ。その業者はその話を現場で持ち出した時点で違法なことをしたことになります。」
「それであまりにもしつこくて、私が根負けして指輪を売るという契約書に署名をしてしまいました。」
 その訪問購入契約書を林に手渡すと、林は眼を見開いてフンフンと鼻を鳴らしながらその書類を読み込んだ。
「まだクーリングオフ期間内ですね。指輪は業者に渡さずに手元に残っていますか?。」
「はい。8日後に大浜商事の方が引き取りに来る話になっています。」
「そうですね。それならクーリングオフをすれば指輪の引き渡しはしなくてよくなります。代金の8万円もまだ受け取っていないようですから、クーリングオフ通知書を郵送すれば、それだけで解決しますね。」
「それなら、よかったです。」
「婆ちゃん、よかったね。」
 そこから健と希美ちゃんが口を挟んだ。
「林さん、僕の副業ビジネスのクーリングオフの時もありがとうございました。また助けて頂いて感謝です。」
「私は南希美です。以前、英会話教室の中途解約の際にお世話になりました。おかげさまで残りの金額は返ってきたので、クレジットも一括清算しました。本当にありがとうございました。」
「いえいえ。ところで押田さんと南さんはお揃いになって、お付き合いされているんですか?。」
 そこに希美ちゃんが素早く返した。
「いえ。単なる職場の同僚なんですよ。」
 それを聞いた健の目が一瞬曇ったことを見逃さなかった。お付き合いまでには、まだまだハードルは高そうだ。
 
 大浜商事にクーリングオフ通知書を送ったところ、数日後にはキャンセルを受け付けるという書類が郵送されてきた。この件はこれで解決ということでよいようだ。孫の恋路はまだまだ発展途上でどうなるかはわからない。うまく想いが通じるといいけれど。
 
 
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【解説】
 
 特定商取引法では、以下の要件を満たす出張買取のビジネスを訪問購入として定義してルールを定めています(第58条の4)。
 
・物品の購入を業として営む者(購入事業者)が
・営業所等以外の場所において
・売買契約の申込みを受け、または売買契約を締結して行う物品の購入。
・ただし、政令で指定する物品の購入については適用除外とする。
 
 適用除外については、6物品(二輪を除く自動車・家庭用電気機械器具・家具・書籍・有価証券・DVDソフトなど)が指定されています。これらの6物品について訪問購入のルールは適用されません。
 
訪問購入については、「勧誘の要請をしていない者対し営業所等以外の場所において」勧誘をしてはならないと規定されています(第58条の6)。これは飛び込み営業の手法による訪問購入の勧誘を禁止するものです。つまり、消費者にとって不意打ち性のある(訪問購入の)勧誘を行うことは許されず、「訪問販売」よりも厳しい規制になっています。(「訪問販売」では、飛び込み営業は禁止されていません。)
 
 事業者が訪問購入契約の申込みを受けたときには、次の事項を記載した申込み書面と契約書面を消費者に対して交付する義務があります(第58条の7,第58条の8)。
 この申込み書面については、直ちに交付する必要があり、申込みがあった際には即時に交付しなくてはなりません。
 ただし、申込みと同時に契約を締結する場合には、申込書面を交付しなくても構いません。その場合には契約書面を交付する義務があります。
 
<申込み書面の記載事項>・・・58条の7および省令47条
・物品の種類
・物品の購入価格
・物品の代金の支払時期および方法
・物品の引き渡時期および引渡方法
・クーリングオフ(58条の14)に関する事項
・物品の引渡しの拒絶(58条の15)に関する事項
・購入業者の氏名又は名称、住所及び電話番号並びに法人にあっては代表者の氏名
・売買契約の申込み又は締結を担当した者の氏名
・売買契約の申込み又は締結の年月日
・物品名
・物品の特徴
・物品又はその附属品に商標、製造者名若しくは販売者名の記載があるとき又は型式があるときは、当該商標、製造者名若しくは販売者名又は型式
・契約の解除に関する定めがあるときは、その内容
・前号に掲げるもののほか特約があるときは、その内容
 
<契約書面の記載事項>・・・58条の8および省令48条
・物品の種類
・物品の購入価格
・クーリングオフ(58条の14)に関する事項
・購入業者の氏名又は名称、住所及び電話番号並びに法人にあっては代表者の氏名
・売買契約の締結を担当した者の氏名
・売買契約の締結の年月日
・物品名
・物品の特徴
・物品又はその附属品に商標、製造者名若しくは販売者名の記載があるとき又は型式があるときは、当該商標、製造者名若しくは販売者名又は型式
・契約の解除に関する定めがあるときは、その内容
・前号に掲げるもののほか特約があるときは、その内容
・売買契約を締結した際に、代金の全部を支払い、かつ全ての物品の引渡を受けたとき以外のときは、「物品の代金の支払時期および方法」と「物品の引渡時期および引渡方法」
 
 訪問購入に該当する取引については、契約書面の交付日から起算して8日以内に、消費者(売主)が書面により契約の解除の趣旨を事業者に通知した場合は、その通知書面を発送した日(発信主義)をもってクーリングオフによる契約解除が成立します(第58条の14)。
 

※筆者が書いた特定商取引法等の消費者法について解説するテキスト(PDF)を販売しております。
詳細は以下のテキストリンク先のページをご覧ください。

「インターネット取引と消費者法」(PDF)

 

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