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【第5話】特定継続役務との切れ目|特定商取引法ストーリー

 駅前の繁華街に立地する家電量販店では外国人の来店も多く、日本語の他に英語や中国語など様々な言語が飛び交っていて賑やかだ。南希美はその前島電気駅前店に入社2年目の店員だが、他言語には苦手意識があって外国人の来店者に話しかけられても萎縮してしまうところがあった。3階の情報機器売場を担当していて商品知識には自信をもっているが、インバウンド来店者への対応が消極的なため、大きく売り上げで貢献できる機会が少ない。
 同じ売場に所属する同期入社の押田健は、英会話の語彙力はそれほどの差はないものの、クソ度胸のカタコト英会話で積極的に来店者に話しかけている。May I help you?とかCheaper than anywhereなどテキトーに話しかけて、あとはタブレットの翻訳機能だけでやり取りしているのは大したものだ。しかし、商品知識は抜けがあって、詳しいお客さんに対応していると返答に詰まってアタフタしている。そんな時は希美が交代してフォローしている。希美も外国人客に対応すると押田に交代してもらうからバーター取引のようなものだ。それでも販売成績は押田の方が圧倒的に良いので割り切れないものは感じている。
 
 そんな日々の仕事を終えて帰宅した後の楽しみといえば、大学時代からチェックしている同性アイドルグループのメンバーが運営するSNSの投稿を片っ端から閲覧することだ。大画面で楽曲鑑賞したいときはパソコンや大型液晶ディスプレイで、疲れ切った時はベッドに寝ころびながらスマートフォンを片手に手のひらサイズの画面を漠然と眺めている。これらの情報端末は全て前島電気の社員価格で買ったものだ。
 今夜は売場レイアウト変更の残業があって、疲れてしまってパソコンを起動しようとは思えない。残業中に押田が課長から販売成績について褒められている様子を見たときに、自分も英会話に自信があれば、もっと成績を上げられるのにと思うと少し悔しかった。
そんな思いを逡巡しながら、入浴後はベッドに寝転がってスマホでダラダラとSNSを巡回していた。そして推しのアイドルのアヤちゃんが投稿したインスタを見ていたときに、あるプロモーション広告が目に飛び込んできた。
 “仕事終わりに駅前英会話”というキャッチコピーだ。これは英会話スクールを検索エンジンで調べたことがあり、その時から何度も繰り返し表示される行動ターゲティング広告だ。その仕組みは知っているので、いつもは無視をするのだが今夜は何か気になってしまった。その広告画面をタップすると、若手ビジネスマンが金髪女性と会話している様子のトップ画像と共にテラという英会話スクールのロゴが表示された。
 受講生の体験談やカリキュラムを読むと自分の都合でレッスンを予約出来ること、仕事が終わってからの時間でも対応可能なこと、自宅に居ながらのオンラインレッスンがお勧めなことが強調されていた。売場での外国人客との応対という実践的なビジネス対話の経験を積みたいと思うので、オンラインレッスンよりは複数の講師との対面レッスンをしたいところだ。オンライン申込もできるようだが、直接に駅前のスクールに行って詳しい話を聞いてみたい。次の休日にスクールに行ってみよう。
 
 水曜の休日の午後に、駅前にあるテラが入居するビルに出向いた。前島電気からは徒歩5分の距離だ。以前からテラの看板は目にしていたが、この小さな雑居ビルに足を踏み入れるのは初めてだ。2階まで狭い階段を登ると大きなガラスにテラのロゴが貼られており、中の事務室の様子が見えた。事務室には男女二人のスタッフが相向かいに座ってパソコンの液晶画面を眺めていた。事務室のドアをノックするとアラサーの事務服の女性職員が近づいてきた。
「すいません。レッスンのことでお話を伺いたいのですが。」
「ようこそ。応接室でお話をしますので、こちらへどうぞ。」
 グレーの事務服の後ろをついていくと小さな円卓テーブルの席に案内された。青いチェアに腰かけると左手には2つの小部屋が見えた。一つは空室で、もう一つからは講師らしき男性が手振りを交えて何か喋っている様子がドアの小窓越しに見えた。
 女性職員は長い髪を揺らしながらパンフレットを広げて微笑んだ。
「英会話レッスンをご希望ですか?。」
「はい。仕事で外国人の方と接客することが多くて、英語の苦手意識を変えたいのです。」
「そうなんですね。では、普段から英語を使う機会が多いのですね。」
「はい。職場で英語ができる人に代わってもらうことはできるのですが、いつまでもそういう訳にもいきませんし。」
「なるほど。それならネイティブ・スピーカーとのレッスンを続けて自信をつけるのがいいかもしれません。」
「ええ。何人かのネイティブの方と直接に会話をしてみたいです。」
「対面レッスンをご希望ということですね。そうすると現在の体制では日中の17時までの予約制になってしまいます。」
「え?。ウェブサイトでは仕事終わりの時間でも大丈夫って書いてありましたが。」
「それはオンラインレッスンのことです。オンラインであれば登録講師も豊富ですから22時まで対応できますよ。」
「対面では夜間は無理ですか。」
「申し訳ありません。ご覧のとおり対面レッスンは二部屋だけで、予約もなかなか厳しい状態なんです。テラはオンラインレッスンが主力で、講師陣も豊富なスキルを持った人がたくさんいるんです。オンラインでもマンツーマンですから、自分のペースでじっくりスキルアップできますよ。」
「オンラインですか。でも、その方が時間も自由に選択できて良いかもしれないですね。」
「そうですよ。仕事終わりの時間帯でも、予約できる講師が大勢います。レッスンはZOOMを利用するので、スマホやパソコンがあれば大丈夫です。スマホが使えない場合にはちょっと値が張りますが専用端末をレンタルすることもできます。」
「それならノートパソコンがあるので、それで利用したいですね。」
「ネットに接続できるノートパソコンなら問題ありません。レッスン料はチケット制で、10回分の回数券を前払いで購入して頂き、必要に応じてチケットを買い足して頂く形になります。」
「そうなんですね。」
「チケット代はレッスン10回分で5万円です。クレジットカードや電子マネーも使えます。」
「わかりました。それならクレジットカードでお願いしたいと思います。」
「それでは当社より概要書と契約書をお渡しするので署名をお願いします。」
 その後にレッスンと契約についての説明を受けて、オンラインの英会話レッスン受講をすることになった。
 
 翌日の仕事を終えた帰宅後に、テーブルに用意したノートパソコンを起動し、テラのウェブサイトに会員番号を入力した。画面には講師の顔写真と予約可能な時間帯のリストが表示された。画面一杯に講師の顔が並んでいるが、すぐに予約できる人数は3人しかいなかった。さすがに急な手配は厳しいのであろう。その限られた選択肢の中で同年代のアジア系男性を選んでレッスン申し込みをした。
 画面に現れた男性講師は、浅黒い顔で口ひげを蓄えていた。黒ずんだ肌に映える白い眼のコントラストが強烈で、何となく威圧感がある。男性講師の日本語はカタコトで、意思疎通が難しかった。ショッピングのシミュレーション場面の会話を依頼したかったが、それを伝えることができず、業を煮やした講師がマニュアル通りの日常英会話を始めて、それに従うしかなかった。天気や時刻について中学生レベルの会話を繰り返しても、明日の仕事には役に立たない。これは講師選択を間違えたなと感じた。
 
 初回レッスンは期待外れ感があり、仕事も多忙な日々が続いたため、2回目のレッスンの予約をするのが億劫になり1ヶ月が経過した。そんな休日の午後に、久しぶりにテラのレッスンを受けたが、講師の金髪女性は早口過ぎて何を言っているのか聴き取れなかった。
 その日の夜に3回目のレッスンを受けたが、講師の碧眼男性がパートナーはいるのかとプライベートに踏み込んだ質問をしてくるのが気色悪かった。
 どうもテラのオンラインレッスンを続けるモチベーションが続かず、もう退会をしようと思い立った。しかし、クーリングオフ期間の8日間はとうに過ぎている。それでも契約書を眺めると中途解約ができることが記載されていた。中途解約をする場合はウェブサイトの中途解約フォームに入力することが必要なようだ。
 そこでスマートフォンに中途解約フォームを表示して、必要事項を入力して一気に送信をした。フォーム送信後に受付のメールが来ないことは気になったが、手続はこれで終わりなので、後は返金処理の連絡を待つのだろうと考えた。
 
 それから1週間が経過したがテラからのメールや電話はなく、残り7回のレッスンに関する返金処理はされなかった。こちらからテラの事務所に電話をしたところ、解約のメールを受け付けはしたが返金時期はわからないという。そのまま放置されたらお金は返ってこないのだろうか。22時過ぎにベッドに横たわりながら、漠然とそんなことを考えていたらスマートフォンからラインの着信音が鳴った。
 送信者は秋川唯だった。大学在学中に所属していたアイドル研究会の後輩だ。彼女はまだ現役学生だが、推しのアヤちゃん好きというところで気が合って、今でも情報交換をしている。ラインにはアヤちゃんの公演日程の画像がアップされていた。
「久々の公演やるみたいですよー。」
「情報ありがとう。仕事の都合をつけて行かないとね。」
「ですね。」
「そういえば先輩、私も英会話レッスンを受けようと思って。テラはどうですか?。」
 以前、唯に職場での語学コンプレックスとテラの受講の話をしたことを思い出した。
「えっとね。私的にはお勧めしないかな。」
「そうなんですか。どうして?。」
「対面レッスンがほとんど選択できないし、オンラインレッスンの講師と相性が合わないことが続いたの。」
「そうなんですね。」
「それに中途解約したいって手続したのに、なかなか返金されないのよね。」
「それなら消費生活センターに相談するといいかもです。私も定期購入の解約で相談して解決しました。」
「消費生活センターか。相談してみるか。」
「それがいいと思います。」
「わかった。ありがとう。」
 次の休日に消費生活センターに行ってみよう。
 
 消費生活センターに出向いてところ、意外な人物を見かけた。同僚の押田健が相談室から退出するところだった。
「あれ?。」
 そう声をかけると押田は、おうと応えてバツが悪そうに右手を挙げて足早に立ち去っていった。どうして健がここにいるのだろうと思ったが、明日の仕事の時に聞いてみることにしよう。
 それから別の相談室に通されて着席をしていると、アラフォーの背の高い女性相談員が遅れて入室してきた。女性相談員は大きな目を見開いて林明美と名乗った。持参したテラの契約書を広げて事情を説明すると、林はフンフンと鼻を鳴らしながら契約書に目を通した。
「なるほど。英会話教室の中途解約手続きをしたのに返金されないということですね。」
「はい。そうなんです。」
「英会話教室は特定商取引法の特定継続的役務というサービスに指定されているので、クーリングオフ期間が過ぎても中途解約はできるのですね。テラの契約書にも適法な返金についての説明がされています。」
「そうなんですね。」
「でも、特定商取引法は中途解約の返金基準についてのルールは定められていますが、返金時期については明確な定めはないのですよ。」
「えー。それって、返金すると言ったけど、いつ返すとは言っていない。10年後かもしれないってマンガのセリフみたいなヤツですか?。」
「南さん、面白いこと言いますね。10年は大袈裟だけど、ある程度の時間がかかることは許容しなくてはならないことはあります。それでも時期の目安は知りたいですよね。」
「はい。それほどの金額ではないけど、いつまでも待たされるのはイヤですね。」
「そうですよね。この契約書に基づいて計算すると返金額は28,000円になりますね。返金がいつ頃になるか、私がテラに電話して聞いてみましょうか?。」
「ぜひお願いします。」
「わかりました。」
 林はそう言うと相談室の電話機を手に取り、テラの事務所に電話を架した。そして消費生活センターからの電話であることを告げた。続けて契約書に書かれている契約者番号と契約者氏名を読み上げ、中途解約の手続が済んでいるのに返金時期が不明確であることを伝え、返金時期についての回答を求めた。
 2~3分ほどのやり取りを終えて、林は微笑みながら語りかけてきた。
「返金の確認が取れました。クレジット決済はそのままにして、来週末までにはテラから南さんの銀行口座に28,000円の送金をするそうです。」
「そうなんですね。私が電話した時には素っ気ない返事でいつになるかわからないって言っていたのに、消費生活センターの方が電話すると違うのですね。」
「まあ、そういう事業者の方もいますね。」
「クレジットの引き落としはもう済んでいるので、私の口座に返金されるなら問題ありません。来週でいいです。」
「それなら解決ですね。もし、期限までに振り込みがなければ、ご連絡ください。」
「わかりました。ありがとうございます。」
 自分だけが電話をしていたら、これほど早く処理をされたかどうかわからない。とにかく相談員が間に入ってくれたことで心理的なストレスは多少緩和された気がした。28,000円が返ってきたら、アヤちゃんの公演チケットを買うことにしよう。
 
 
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【解説】
 
 特定商取引法の特定継続的役務提供とは、事業者が政令で指定される特定継続的役務を一定の期間を超える期間にわたり提供することを約し、消費者が一定の金額以上の支払いをする契約です。具体的には以下のサービスが特定継続的役務に指定されています。

<エステティックサロン>
「人の皮膚を清潔にし若しくは美化し、体型を整え、又は体重を減ずるための施術を行うこと」と定義されています。
 
<語学教室>
「語学の教授」と定義されています。
高校や大学の入試対策としての英語教習は学習塾に分類され、英検等の資格試験の教習は語学教室に分類されます。
 
<家庭教師・通信指導>
「入学試験準備や高校等の補習のための学力の教授で、学習塾等以外の場所で提供されるもの」と定義されています。
 
<学習塾>
「入学試験準備や高校等の補習のための学力の教授で、小中学校・高校生等を対象にして、業者が用意する場所で提供されるもの」と定義されています。
 
<パソコン教室>
「電子計算機又はワードプロセッサーの操作に係る知識又は技能の教授」と定義されています。
 
<結婚情報サービス>
「結婚を希望する者を対象とした異性の紹介」と定義されています。
 
<美容医療サービス>
「人の皮膚を清潔にし若しくは美化し、体型を整え、体重を減じ、又は歯牙を漂白するための医学的処置、手術及びその他の治療を行うこと」であって、次の5つに該当するものと定義されています。(以下、5つの方法が特定継続的役務に指定され、それ以外については適用除外)。
(1)脱毛 
光の照射又は針を通じて電気を流すことによる方法
(2)にきび、しみ、そばかす、ほくろ、入れ墨その他皮膚に付着しているものの除去又は皮膚の活性化
光若しくは音波の照射の照射、薬剤の使用又は機器を用いた刺激による方法
(3)皮膚のしわ又はたるみの症状の軽減 
  薬剤の使用又は糸の挿入による方法
(4)脂肪の減少
  光若しくは音波の照射、薬剤の使用又は機器を用いた刺激による方法
(5)歯牙の漂白
  歯牙の漂白剤の塗布による方法
 
特定継続的役務提供の契約では、契約の説明時(契約の締結をするまで)に契約の概要について記載した書面(概要書面)の交付が特定商取引法第42条にて義務づけられています。また、契約締結段階には契約の内容を明らかにする書面(契約書面)の交付が義務づけられています。
 その2つの書面には、サービスの内容の他にクーリングオフ(同法第48条)や中途解約(同法第49条)に関する事項を記載することが義務づけられています。
 
 特定継続的役務提供の契約では、クーリングオフ期間(8日間)を経過した場合にも、消費者には中途解約を行うことが認められています。
 中途解約の際に発生する違約金については、以下のように上限が定められています。契約書面等にこの基準を超える違約金が記載されている場合でも、以下の基準が優先されます。消費者が代金を先払いしている場合は、下記の違約金の金額を差し引いて返還請求をすることができます。
 
<サービス提供後の違約金の上限(計算式)>
・「提供済みのサービス料金」+「政令指定金額」+「遅延損害金(年利6%)」
  ※遅延損害金は消費者が違約金の支払いを著しく遅延した場合のみに発生するものです。
  ※遅延損害金の年利は商法第 514 条による。
 
 なお、語学教室の中途解約では、サービスの提供を開始した以後の「政令指定金額」については、5万円または契約残額の20%のいずれか低い額とされています。
 この事例では、1回あたりのレッスン料が5,000円の10回コースで合計50,000円の契約になります。3回のレッスンを受講しているので「提供済みのサービス料金」は15,000円です。「政令指定金額」は契約残額(50,000円-15,000円=35,000円)の20%(7,000円)になります。
 消費者の総支払額(50,000円)から「提供済みのサービス料金(15,000円)」と「政令指定金額(7,000円)」を差し引くと、返金額は28,000円になります。
 

※筆者が書いた特定商取引法等の消費者法について解説するテキスト(PDF)を販売しております。
詳細は以下のテキストリンク先のページをご覧ください。

「インターネット取引と消費者法」(PDF)

 

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