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【第3話】電話勧誘販売の押しに負けて|特定商取引法ストーリー

 今日はアパート暮らしをしている孫の颯太が帰ってくる。1ヶ月程前に一人暮らしをしたいからと言って、引っ越しをしていった。同じ市内のアパートだが、大学生でお金もないのに無茶をするものだ。家にいたらだらしない生活ぶりが目について小言も言いたくなるところだが、いざいなくなると寂しいものだ。それが1ヶ月ぶりの帰還である。楽しみだ。

 長尾久志は定年退職後に再就職した会社も辞めて、今は年金暮らしの75歳だ。そうはいっても妻も健在で息子夫婦と同居していて孤独とは無縁だ。そこに颯太が加わって、今夜の夕食は賑やかになるだろう。

 家族は皆、出かけて留守番をするのは自分の役割になっている。のんびりと新聞を広げていた午後に固定電話の呼び出し音が鳴った。固定電話での連絡は親戚か自治会の用件くらいしかなく、いずれも自分が対応する役割になっている。仕方がないなという思いで受話器を取った。

「はい。長尾です。」

「こちら健康食品の取り扱いをしている砂田商事と申します。」

電話の相手は選挙のウグイス嬢のような明るい声の女性だった。40代くらいだろうか。セールスの電話だと思うと、ハアと生返事をするしかない。

「お父様は眼がショボショボしたり、かすむことはありませんか?」

「まあ老眼ではあるけど、かすむことはないですね。」

「それはよかったですね。いつまでも健康な眼を維持できるようにサプリメントをお勧めしています。」

もう返事をする気力も湧かないので話を聞き流すことにした。

「眼にはブルーベリーがよいと聞いたことはあるかと思いますが、それはアントシアニンという成分が含まれているからなのですね。でも、ブルーベリーばかり食べるわけにはいかないですから、その成分が豊富に含まれているサプリメントがお勧めなのです。

今、健康な眼ですから、その状態を長く続けられるよう、飲みやすいサプリメントでアントシアニンを摂って頂きたいのです。」

こちらは聞く気がないのに、よくもまあ一方的に喋ることができるものだと感心する。

「いや、わざわざサプリメントを買うつもりはありません。」

「いえいえ、買って頂く必要はありません。お試し商品をお届けしますので、それでご判断頂ければ結構です。」

「お試しってことは、無料ということ?」

「はい。無料です。お試しでのご利用なので、買って頂くのはお気に召したらで結構です。」

「そうなんだ。でも、いらないかな。」

「そうおっしゃらずに。お父様に負担はかかりませんので、受け取るだけでもお願いできませんか?」

「うーん。無料で間違いないのだね?」

「はい。もちろんです。ぜひ、お試しになってください。」

「送ってもらっても、使わないかもしれないよ。」

「それでも結構です。まずは受け取ってください。」

「そこまで言うなら、わかったよ。」

その後に聞かれるまま住所を伝えて受話器を置いた。まったく面倒な電話を取ってしまった。お試しのサプリメントなど飲むことはないと思うが、無料なら放っておいても害はないだろう。そんなことを考えながら、読みかけの新聞を手に取った。

 

 夕方になると颯太が帰宅した。顔を見なかったのは1ヶ月程だが、よく日焼けしており充実した夏休みを過ごしているようだ。

「じいちゃん、ただいま。」

「おう、すっかり日焼けしたな。海でも行ったのか?」

「うん。1回だけ行ったかな。でも、それ以外はバイトと就活のインターンで遊んでいないけどね。」

「そうか。それはつまらないな。海は彼女と行ったのか?」

「彼女なんていないし。周りも付き合っている奴とかはいないなぁ。そういえば先輩の押田さんが、会社の同期の女の子と付き合うかもとか言ってたけど、僕の周りで浮いた話はそのくらいかな。」

「まあ、そのうちに出会いもあるさ。他に変わったことはなかったか?」

「そういえば布団の押し売りが来て買わされそうになったけど、なんとかクーリングオフができて助かったよ。」

「押し売り?物騒だな。クーリングオフは一人でやったのか?」

「いや。実は消費生活センターに行って相談して手伝ってもらったよ。」

「そうか。それも立派な社会勉強だったな。」

「そうかもね。父さんと母さんはうるさいから、このことは言わないでね。」

「ああ、わかった。そういえば今日、ウチにもセールスの電話がかかってきたよ。ああいうのは対応するのが面倒だよな。」

「そうだよね。マジで止めてほしいよね。」

「ところで家にはいつまで居るんだ?」

「そうだな。3日くらい。」

「そうか。婆さんもそろそろ帰って来るから、喜ぶと思うよ。」

家族が揃うのは嬉しいものだ。自分の部屋に入っていく颯太の背中を眺めながら、そんなことを思った。

 

 賑やかだった3日間は過ぎ去り、颯太は今日の午後にはアパートに帰る。明日からは、また静かな日々になるのだろう。

 そんなことを思いながら郵便ボックスを開けると、A4サイズの白い封筒が入っていた。あて先は長尾久志と印字されているから自分宛の郵便物だ。差出人は砂田商事と印字されている。

 ああ、先日のセールス電話の件だなと察しはついた。封筒を開けるとサプリメントの試供品が入った小袋と数枚の書類が同封されていた。元からサプリメントを食べるつもりはないし、セールスの書類を読む気もしないので、後でゴミ箱に捨てようと思い、そのまま居間のテーブルの上に放置しておいた。そして、新聞を広げて読み始めた。

 

 テーブルの上に無造作に放置したサプリメントと書類を、真昼に起きてきた颯太が怪訝なそうな表情で見つめた。

「じいちゃん、これって何?」

「ああ、目によいサプリメントらしいぞ。俺はいらないから食べてもいいよ。」

「いらないって、買ったんじゃないの?」

「いや、電話がかかってきて、試供品だから無料だと言っていたよ。」

「ふーん、そうなんだ。砂田商事という会社なんだね。何枚か書類が入っているけど、それは読んだの?」

「面倒だから読んでないよ。何なら代わりに読んでくれ。」

「マジかよ。じゃあ代わりに読むね。」

そう言いながら颯太は鬱陶しそうに書類に目を通した。

「えっと、試供品は無料だけど、製品版は有料で5,000円と書いてあるね。」

「そうか。製品版は買うつもりがないから、このまま放っておけば大丈夫だよな。」

「いや、そうでもないみたい。契約書が入っていて、それには何もしないと1ヶ月後に製品版が配達されるって書いてある。しかも毎月、定期的に配達するって。」

「はあ? そんなバカな話があるか。無料だというから住所を教えたんだ。有料だとわかっていたら断っていたよ。」

「そうだよね。でも、有料の契約を止めるにはクーリングオフしてくださいって書いてあるよ。」

「どうして買うって言っていないものに、クーリングオフなんて面倒な手続きをしなくちゃならないんだ。そんなバカな話があるか。」

「そうなんだけど、手続しないと配達されちゃうみたいだよ。」

「納得できないな。でも、手続しないとダメならするしかないか。どうすればいいんだ?」

「えっと解約専用の電話番号に架ける必要があるみたい。」

「そうか。すまないが架けてくれないか。」

「マジで?勘弁してよ。じいちゃんが自分で架けなよ。」

颯太が電話を架けることを渋るので、仕方なく自分でやることにした。そして、携帯電話でダイヤルするとツーという通話中の音がした。

「つながらないな。話し中だ。」

「そうなんだ。つながるまで架けるしかないよ。」

「そうだな。」

それから続けて3回リダイヤルしたがつながらない。5分後にリダイヤルしてもつながらない。その10分後にリダイヤルしてもつながらない。颯太がその場から去った後も何度リダイヤルしてもつながらない。これはワザとつながらないようにしているのではないかという疑念が湧く。

 

 その日の午後、颯太に伴われて市役所に出かけた。消費生活センターに相談するためだ。颯太が以前にお世話になった相談員に面談の予約をしてくれた。

「消費生活相談員の林明美です。今日はどうされましたか?」

「ああ、林さん。以前は布団のクーリングオフでお世話になりました。今日は僕のじいちゃんのことで相談をお願いします。」

「孫がお世話になったそうで、ありがとうございます。長尾久志と申します。今日は私のことになりますが、砂田商事という業者からブルーベリーのサプリメントが届いたのです。」

「サプリメントが配達されたのですね。それはネットで注文したとか、電話勧誘があったとか、何かきっかけがありましたか?」

「どこから話せばいいのかわかりませんが、私から注文したものではないのですよ。」

「何もしていないのに送り付けられてきたのですか?」

「いや、送り付けということでもないですね。最初は電話が架かってきたのです。でも、注文はしていないです。」

「電話勧誘の業者が、長尾さんが注文をしていないのに送ってきたということですか?」

「そうなのですが、無料の試供品を送るというから、それは承知したのですよ。でも、有料なら要らないって言いました。」

「なるほど。それなのに有料の商品と請求書が送られてきたのですか?」

そこで黙っていた颯太が口を挟んだ。

「いえ。送られてきたのは無料のお試し商品です。ただ、同封された書類に解約の手続をしないと月々5,000円の定期購入が自動的にスタートするって書いてあったのです。それで解約するために専用ダイヤルに何十回と架けているのに全くつながらないのです。」

林は眼を見開いて呟いた。

「それは悪質で厄介ですね。結論から言えば契約は成立していないと主張できるし、代金を払う必要も無いのですが、業者と連絡が取れずに解決まで時間がかかる可能性はあります。」

「電話をかけても通じない業者に、どうやって定期購入は必要ないと伝えるのでしょうか?」

「そうなんですよね。電話が通じない業者は消費生活センターから電話をしても同じことですから。そうなると電子メールか手紙を書いて郵便で送ることになります。」

「でも、業者は解約は専用ダイヤルで受付するって書いていますけど。」

「ええ。だから何日間に合計何回以上の電話をしたが通じないので文書で解約の手続を申し入れると書いて送ることになりますね。」

「なんか面倒ですよね。試供品で無料と聞いていたから受け取っただけで、解約の手続が必要なんて話は聞いてなかったですよ。」

「全く仰る通りです。ところで業者が送って来た書類を見せて頂けませんか。」

「はい。いいですよ。」

林は砂田商事が送って来たパンフレットや契約書をフンフンと頷きながら目を通した。

「契約書は特定商取引法という法律の電話勧誘に関するルールに沿ったものですね。8日間のクーリングオフができると書いてあるので、解約自体は問題なくできますね。」

「はい。」

「でも、解約は電話で受付していて、その電話が通じないという落とし穴なんですよね。」

「その通りです。」

「そもそも勧誘時の電話では、有料の定期購入契約の説明をされていなくて、消費者側から断りの手続をしないと勝手に有料の契約がスタートするというのは、消費者契約法という法律で無効とされているのですよね。」

「そうなんですか。それなら無視しておいてもよいのですか?」

「ただ無視をすると、恐らく砂田商事は契約が成立していると主張して、代金の支払い請求をしてくるでしょうね。だからアリバイとして、クーリングオフ手続をしておく方が安心できると思います。」

「なるほど。面倒だけどクーリングオフの文書を郵便で送った方がよさそうですね。わかりました。それはどうやって書けばよいですか?」

そこで林からクーリングオフの文書の書き方を教えてもらい、その帰路に郵便局に寄って文書を投函した。クーリングオフ手続をした証拠を残すために、文書のコピーを保管し、特定記録郵便を利用することで投函日時の証明をするというアドバイスにも従った。

 

 それから2ヶ月程が経過し年の瀬となった。久々に帰宅した颯太が開口一番に小声で言った。

「じいちゃん、サプリの定期購入ってどうなった?」

 そう言われるまで、砂田商事のことは忘れていた。実は何の音沙汰もない。

「ああ、そんなこともあったな。何の連絡もないし、商品も届かないからクーリングオフが出来たということだろう。」

「そうなんだ。それならよかったね。」

 定期購入の申込をしたつもりもないし、電話もつながらない、クーリングオフの文書を郵送しても何の反応もない。全く納得はいかないが、相手からの請求も無いから解決したということなのだろう。こんな対応をする業者が放置されてよいはずはない。窓の外に舞う粉雪を眺めながら、そんな業者は取り締まりをしてほしいと切に思った。

 

 

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【解説】

 

 電話勧誘販売を行う事業者には、特定商取引法で定められたルールを守ることが義務付けられています。

 電話勧誘販売をする場合には、事業者は勧誘行為をするに先立って、販売事業者名・勧誘担当者の氏名・勧誘をする商品(または権利・サービス)の種類・勧誘をする目的であることを告げる必要がありますが、サプリメントの定期購入契約の勧誘をする目的を隠して、試供品を送ることに同意を得るという手口は、このルールに違反することになります。(ただし、勧誘目的の明示義務違反については行政処分の対象にはなりますが、消費者の契約取消権は認められていません)。

 

 また、事業者が電話勧誘販売によって、郵便等で商品・サービスの契約を締結した場合には、次の事項を記載した契約書面を消費者に対して交付する義務があります。
 
  <契約書面の記載事項>
・商品(権利・サービス)の種類
・商品(権利・サービス)の価格
・クーリングオフに関する事項
・事業者の名称、住所、電話番号、代表者氏名
・契約担当者の氏名
・契約を締結した日付
・商品の名称、商標、製造者名
・商品の形式があるときは、その型番
・商品の数量
・契約不適合責任の特約があれば、その内容
・契約解除の特約があれば、その内容
・その他に特約があれば、その内容

 

 電話勧誘販売による契約には、契約書の交付日から8日間のクーリングオフ期間が設けられており、その内容を契約書に赤文字・赤枠囲いで記載することも義務付けられています。

 

 この事例では、試供品の配達を装って定期購入契約の契約書を同封し、消費者から解約の手続をしなければ定期購入契約の申し込みがあったとみなす行為が問題となっています。

 消費者契約法第10条では「消費者の不作為をもって当該消費者が新たな消費者契約の申込みをしたものとみなす条項であって、民法の基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するものは、無効とする」という規定があります。

 これは消費者から解約の手続をしなければ契約に同意したものとみなし、消費者に不利益をもたらす契約条項は無効と扱うものです。この消費者契約法第10条の規定を根拠に、事例にあるような契約条項の無効を主張することを検討できます。

 ただ、事業者が電話やメールに応答しない場合には、消費者が解約手続きの事実証明を行う手間が生じるため、このようなケースに対応するためには消費者の問合せへの応答義務などの事業者規制の追加も必要かもしれません。


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詳細は以下のテキストリンク先のページをご覧ください。

「インターネット取引と消費者法」(PDF)

 

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