見出し画像

感性と心身のボルテージ

心身の起伏は精神的人間のホメオスタシスと言える。

それは株価の変動のようで、劇的な出来ごと一つで急降下・急上昇することもある。
でもほとんどの場合、一見瑣末に見えることが累積し段階的に変化しているんだと思う。

本当に小さなことだ。

新しく始めたことを飽きずに3日続けられたとか、仲良くなりたかった人と一言だけ言葉を交わせたとか。
反対に、仕事で言われたことをちょっと捉え間違えたとか、満員電車で舌打ちをくらったとか。

何とも思っていないようで、実はそんなことが積み重なっていって、心身のボルテージは移り変わっていく。

今の自分のボルテージがどのようか、そうなった(いくつかの)きっかけが何だったのか考えるのは大切なことかもしれない。
上昇している時には、例えば誰かと交わることが多くなっている。目標達成の成功体験を連発している。新しいことに取り組んでいる…。
下降している時はどうだろうか。周りの人との比較ばかりしている。やりたいこととやらなければならないことにギャップを覚え始めている。自身の意見が皆に伝わらないことが増えている…。

しかし、少なくとも今の自分のボルテージがどうなのか、それを観ずることができているのならばそれだけで儲けものだ。
なぜならそれだけの感性が、自身のコンディションを把握するだけのアンテナが備わっていると確約されているのだから。

上がっているのならそのままの努力・習慣を続けていけばいいのだし、下がっているのなら他者や新たな取り組みを生活の中に入れ込んでいき、どんなことであれ変化をもたらす必要がある。

それだけなのだ。

忘れてはならないのは、ほとんどの場合において下降と上昇は段階的で微視的なもので、急激には変わらないということ。
博打打ちのように何の根拠もないアクション一つで一挙に変化を勝ち取ることなど、そうあるものではない。子どもの頃のように誰かがアクションを促してくれたり、受験やテストやスポーツ大会みたいな目に見える形で心身にインパクトを与える機会は待っていても巡ってはこない(仮に欲しければ、そのためまた別のアクションを起こさなくてはいけない)。
ボルテージを大幅に変化させる一発逆転の大技など最初から期待してはいけないのだ。

実は、そうは言ったのだけれども、その一発逆転の大技を今、少しずつ少しずつ仕込んでいっている。
私の心身の起伏は他の人と比べてとてつもないジェットコースターだし、態度や言動や作品づくりなど身体とその先にすぐに現れてくる。良い意味で感性的だ。そんなタイプな訳で、戦略的に仕込みをしていったところで上手くいく保証はどこにもない。ただ、そういう生き方をしてみたことがまだ無いだけで、もしかしたら案外合ってるやり方なのかもしれない。

都合の良いわけで、いつだったか大学生の頃かに誰かが「いつも感性ばっかりなんだから、たまには理性的で計画的な人生設計もやってみていいんじゃない」なんて言ってくれていたような記憶が立ち上ってきている。

現在進行形で、この今も、何もかもが渦を巻きもぞもぞと音を立てて上に昇ったり落下したりしていて、大忙しなふうだ。でも、これでいい。これでいいのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?