写真家の岩永は、画家の黒川が新しく経営するという画廊の打ち合わせに向かっていた。画廊近くの路上には、またあの若者がいた。岩永は彼に声をかけ、先日、被写体になってもらったお礼にコーヒーをご馳走するから、と、黒川の画廊に同行するよう誘ってみた。若者は少し首をかしげ考えているようだったが、スケッチブックを閉じて岩永についてきた。岩永は、「この前、僕が名刺を渡したときに君の名前を聞いたと思うけれど、忘れちゃってさ、申し訳ないけど名前をもう一度教えてくれる?」と笑顔できいた。彼は自分のことを中野悠希と名乗った。

画廊に着くと受付の女性が、黒川から少し到着が遅れる連絡があったというので、岩永は悠希に、いまこの画廊に展示してある写真は自分が撮影したものなので、よかったら見てくれないかと言った。

悠希は、展示してある写真を見て、どうやら岩永というのは、ただの写真好きの中年男ではなく、本物の写真家なのだと感じた。芸術の世界のことは何も知らなかった悠希だが、岩永の撮る写真の力強さには感動するものがあった。

悠希は、自分が絵を描き始めたときのことを思い出した。絵なんて、自分には縁がないと思っていたのに、なぜ僕は絵を描こうと考えたのだろう。それが、あの、画家の名がついたひまわりと、綾乃との別れがきっかけだということはわかっていた。あの時、悠希は、自分の気持ちを言葉で表すことができなかった。けれど悠希の内面には、とてつもなく大きな塊があって息がつまるようで、じっとしていることができないほどだった。何かしないとおかしくなってしまうと思った。
綾乃からの最後の電話を切ったあと、悠希はコップに活けたひまわりをじっと見ていた。そして、スマートフォンでゴッホの絵や、モネの絵を探した。綾乃の贈り物のひまわりが、いつか枯れてしまうのが悲しくて、悠希はスマートフォンでひまわりの写真を撮ってみたが、それはただの花の写真で、そこに自分の気持ちは込められていないと感じた。そこで、このひまわりの絵を描いてみようと思った。絵を描くなんて学校の授業以来だけど、これは誰かに見せるわけでも点がつくわけでもない。絵を描くための紙や鉛筆を買おうと、悠希は街に出かけた。

外に出ると、どうしても綾乃の住むタワーマンションを目が探してしまう。スケッチブックと鉛筆を買って、悠希は路上からタワーマンションを見つめた。そうだ。あのタワーマンションを描こう。それから悠希はスケッチを始め、描くことにとりつかれていった。描いていると、自分の気持ちが解放されるように感じた。そこには自由があった。絵の中の世界は、自分だけの世界だった。描いてさえいれば、いくらでも綾乃のことを想うことができた。

岩永の写真を見て、悠希は、スマートフォンでひまわりを撮影したことを思い出した。写真にも、撮る人の気持ちを込めることができるのだと、悠希は岩永の写真に感動した。岩永の写真は、ほとんどがモノクロームで、撮影されているのは建物や人物など様々だったが、その写真の中の光と影は、とても力強く岩永の気持ちを表しているように思えた。

ひととおり写真を見終わった悠希をソファに座らせ、岩永は雑談を交えながら悠希に路上で絵を描くことになったきっかけをたずねてみた。

彼は、大学に入学したばかりの時に、あることで考え方が変わってしまい、それから学校に行かず、2ヶ月ほど路上で絵を描いていると言った。街から見えるタワーマンションを何度もスケッチしているうちに、自然と自分の気持ちを、スケッチだけではなく、抽象画のような形で表現するようになったらしい。

彼の入学した大学は優秀なところだったし、岩永は、悠希の両親が心配しているのではないかと聞いてみた。家には何も説明していないので、親は何も知らない、これからどうするのかも考えていない。悠希はそう答えた。晴れた日は路上で、雨の日は建物の影で絵を描き、悪天候すぎる時は自宅にこもって描いていたらしい。「もう毎日同じものを描いているので、目を閉じていてもその景色だけが見えます」と悠希は言った。

悠希が学校に行かなくなったのは、五月病のようなものなのか。岩永はそう考えたが、あまり追及するのもどうかと思い、自分の写真についての感想もたずねてみた。悠希は素直に感動を述べた。そこへ黒川が到着した。
「やあ岩永くん、待たせて申し訳ないね」黒川はいつものように笑顔で挨拶をしながら、目を細めて悠希のことを見ていた。岩永が「先生。彼、この前写真を撮らせてもらった若者ですよ。勝手に連れてきてしまい申し訳ありません」と言うと、黒川はソファに座りながら、「いやいや、いいんだよ。君の絵を岩永くんに写真で見せてもらってね、おもしろいなと思っていたところだった」と悠希に笑顔を向けた。

岩永は、さきほど聞いた、悠希が絵を描いている理由を黒川に簡単に説明し、黒川は終始にこやかにその話を聞いていた。初対面だったが、黒川の人間としての大きさや懐の深さを話から感じて、悠希は久しぶりに落ち着いた気持ちになった。

ひとしきり岩永が話をしたあとに、黒川は悠希のスケッチブックの絵を見ながら言った。自分は悠希の絵を見て、才能を感じたが、だからといって、今すぐに悠希が画家として生きていけるものではない。悠希がもし絵を続けたければ、もっと勉強が必要だ。経済的な問題もあるし、ご両親の意向もあると思うが、もし悠希が今から道を変えて大学を受けなおし、美大に行きたいというのなら、ご両親に一言、自分から悠希の才能について話してもよいと思う。ただ、今の悠希に才能の一片があったとしても、それを成長させることができるかどうかは自分次第だ。芸術で生きていくなんてことは、簡単に実現できることではない。だから、それで生活の糧を得ることを目標とするよりも、自分が描きたいと、いま思うかどうかで道を決めればいいと思う。先のことはわからない。絵を描くことに飽きてしまうかもしれない。才能は枯れてしまうかもしれない。わからないことを理由に、今を決めるのはむずかしい。だから、今どう思うかだけで道を決めればよいと思う。将来を考えずに今の気持ちで道を決める、なんていうアドバイスは、まっとうな大人として良いアドバイスとは言えないかもしれないが、私はそう考える。黒川はそう話した。

黒川は、いつか孫の由衣に経営を託すために買う新しい画廊にも、若い画家の絵を飾りたいと考えていた。悠希の絵は、今すぐにそこに飾るほどの技量はないが、いつか彼の絵をそこへ飾る日が来るかもしれない。黒川はいつも、可能性を信じることを信条としてきた。可能性を信じることは、あきらめないことだ。その信条が、黒川を一流の画家として作り上げてきたと言えるだろう。

黒川は日ごろから、可能性をあきらめることが安定の道だと思っている若者が多すぎると感じていた。景気の悪さを反映しているのかもしれないが、それでもこの若者のように、生活を顧みずに路上で絵を描き続ける者もいる。そういった熱意は、若い時にしか持ちえない人が多い。若い頃に持った、向こう見ずともいえるような熱意を育てることが、人を成長させることにもつながると黒川は伝えたかった。食べることだけを考えていたら、芸術などこの世からなくなってしまうだろう。しかし、戦争が起きても災害が起きても、絵も音楽もこの世からなくならないのだ。それは、人間が、食べるだけでは生きていけないことの証明だと黒川は思う。どんな形にしろ表現することが、人間の証なのだ。そして自ら表現できずとも、人の表現したものにふれることで、人は生きる力を得ることができる。つらいときに歌をきき、絵を見ることで救われる人もいるのだ。

悠希は、岩永と黒川に、長い間自分の世界を追求してきた人の強さを感じ、自分もいつかこうなりたいと思った。そのような大人に会うのは初めてだった。ひとり路上でただ絵を描くだけで、先のことなんて考えられなかったが、悠希は、これからの道を考える力をふたりにもらったと感じ、心からお礼を言って、画廊を後にした。


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