悠希は綾乃と、2度横浜へ行ったことがある。2度目に立ち寄った横浜の商業ビルの1階に、花屋が営業しており、その前で綾乃はふと立ち止まった。店先には様々な花が所狭しと並べられていて、鉢植えから小さなブーケまで、初夏の光をあびて輝いていた。

綾乃は、華道をしている母親の影響で、自身も華道をしており、花を見かけると見入ることがよくあった。綾乃は、首を伸ばして店の奥の枝物を見ていた。綾乃がとつぜん立ち止まったため、悠希も立ち止まったが、彼は花に詳しいわけではなかったので、所在なく、店先の切り花を眺めていた。そこに、手のひらほどのサイズの、茶色がかったひまわりがあった。なんだか枯れかけているようにも見えて、悠希がその花を見ていると、近くで花を並べていた若い女の店員が、愛想よく声をかけた。

「そのひまわりは、ゴッホのひまわりといって、絵画シリーズの花なんですよ」
ゴッホというのが画家だということは悠希も知っていたし、ゴッホのひまわりという絵をどこかで見たこともあったと思うが、そういう花が存在するのを彼は知らなかったので、「そんな花があるんですね」と店員に答えた。店員は笑顔で「モネのひまわり、という花もあります。こちらです。モネという画家の描く絵のイメージで作られた花なんですよ」と説明してくれた。
綾乃は笑顔で、「可愛らしいひまわりね」と店員に言って、ゴッホのひまわりとモネのひまわりを、3本ずつ包装するようお願いした。

帰り道、下を向いた茶色がかったゴッホのひまわりと、レモンイエローで柔らかそうな花弁がふわふわとたくさんついているモネのひまわりの、小さな花束を膝にのせて、悠希は助手席に座った。ゴッホとかモネとか、画家の名前のついた花があるなんて知らなかったと悠希が言うと、それが絵画のイメージにあわせて品種改良されたものだと綾乃は説明してくれた。

綾乃の小さなフランス車は、ゆっくりと高速道路を走っていたが、幌を開けていたので、その小さな花束は風に花弁を震わせていた。悠希は、花の水分が風に奪われて枯れてしまう気がして不安になった。しかし覆いかぶさるわけにもいかない。強く花を握りしめるのもよくない気がして、膝に置いた花束に軽く手を添えていたが、そのせいなのか悠希は落ち着かなかった。

悠希の住む部屋の近くで綾乃は車を停め、幌を閉めた。悠希は車から降り、花束を助手席にそっと置いた。綾乃が言った。「そのお花、悠希くんのお部屋にかざってね」
悠希は、自分の部屋には花瓶もないと一瞬思ったが、素直に「ありがとうございます」と助手席の花束を手に取った。綾乃は薄く微笑んで目を細めて悠希を見た。綾乃はいつも、別れ際には悲しそうに見えた。けれど今日はにっこりと笑顔になり、いつもより嬉しそうに「今日もありがとう。楽しかった」とはっきりと言った。

綾乃から悠希に、最後の電話がかかってきたのは、その翌日だった。


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