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【休職奮闘記】「仕事を休みます」の罪悪感と戦う

先週のことである。

私は、止まない目まいを止めるべく、病院の予約をした。

そしてその朝、突然吐き気を催したため仕事を欠勤。

続けて、発熱、下痢、頭痛、便秘と、ありとあらゆる体の不調が発生。

もともと、まともに眠れない日々がずっと続いていたこともあり、いつかこういう日が来るかもしれないとは思っていたけど。



同時に

これまで、首の皮一枚でもっていた仕事への「緊張感」がプツりと切れた。

「まったく、仕事をしたくない。即、辞めたい。治っても、行きたくない。」


私の頭の中は、仕事に対するネガティブキャンペーンが止まなくなった。

いや、もともとそうだった。
この一年は、そのキャンペーンに対して必死に戦ってきたのである。

しかし、今回ばかりは、これまで我慢して動かしてきた体が、全く動かなくなった。

数日の休みをもらって迎えた金曜日。

「このままではさすがにまずい!!」

私の中で、次は罪悪感キャンペーンがはじまり、一日でも仕事に行くことを決意した。

「責任」「甘え」

自分を責め、奮い立たせ、なんとか翌日の用意をして寝た。



が、眠れない。


もらった睡眠薬も、まるで効果を発揮しない。
眠っても、中途覚醒がひっきりなしで起きる。

結局、朝の体の重さが尋常じゃなく、結局行くのを辞めた。
そのまま、今週も休みをもらった。

体だけでなく、心の療養もしている。

心療内科には行っていないけど、軽い鬱みたいなもんだろうと診断され、睡眠薬、胃薬、目まい止め薬、吐き気止め薬などを飲んでやっとこさ生き延びた。


今では、食欲も戻り、かなり元気になった。


でも


仕事には行きたくない。


今日も休みながら、ふとしたときに罪悪感が溢れてくる。

脳ではわかっていても、体が全く動かない。

体がダメになって、心は地に落ちた。
体はまだ「休みたい」と言っている。
例えみんなが働いていても、


今は休むことが仕事なのだ。


それに、今気力を振り絞って働いたとする。

そのあと全く動けない体になったらどうする??
誰かが俺の人生を肩代わりするだろうか??
誰かが給料くれるだろうか??


4月から「しんどい」を、なんとか振り切って今日までやってきた10か月。自分でも「よくやったね。偉かったね。」と言ってあげられる。「あと2か月は?」ではない。「よく10か月も頑張ったね」そう、自分に言い聞かせる。


いつの間にか、仕事がつまらなくなった。

あんなに、寝食も忘れて熱中していたのに。


確実に残さなければならない結果、成果、良好な人間関係ばかりを意識して、何もかもに気を張るようになった。

「誰にとってもいい先生なんて存在しない」

頭の中ではわかっていたが、やはり「いい先生」になりたかった。



いや、正確には「嫌われるのが怖った」のだ。

そして今でも、怖い。


いつも笑顔で、いつも優しくて、いつも情熱的。
はじめはそれが「素の自分」であった。
はずなのに、いつからかそんな自分でいなければいけないというギャップが発生しはじめた。

全身全霊を子どもたちに向けると、周囲の先生方とぶつかった。
周囲の先生方に合わせると、教育がつまらなくなった。


あれ、俺の気持ちは??


考えてみたら、外側ばかりを見ていて、自分の内面を見ていなかった。
すごい実践も、輝く子どもの笑顔も、それは自分のためではなく、周囲に納得させようとするから生まれたものだったのかもしれない。



あれ??なんで仕事をしているのだろう??


外側に気持ちを向けすぎて、今は自分が何をしたらいいかもわからない。
将来への希望も、ほぼ消滅している。

しかし、ダラダラと弱音を連ねたってなにも変わらない。

元気が出てきたので、今は心の療養を徹底している。

好きな本を読み、感動系の映画を見て、何年ぶりかに美術館へ行った。
心療の本で休み方を研究し、おいしいものを食べて、好きな場所へ行く。
好きな人と過ごし、甘えられる人にとことん甘えている。

つまり

とことん「わがまま」を貫くことにした。


ずっと誰かのために生きてきた。
我慢もいっぱいして、おかしくもなった。

小さい頃から「思いやり」を大事にしてきた。それはそれでよかったけど、自分を後回しにすることが正しいことなのだと勘違いしてきた。違う。別に自分を一番に考えても、思いやりは持てるんじゃないか。そのやり方はイメージできないけど、これから身に着けていけばいい。


あと2か月。
俺は帰れるか、それもわからない。

だけど、今できるBESTな生き方で、前向きに進んでいきたい。


頑張れ、俺!!
君ならきっと、大丈夫!!

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