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【番外編】宇宙好き?

宇宙は好きですか? と聞かれたらみなさんはなんと答えるだろうか。

この記事を見ているリーマンサットの当事者は「好き! 大好き!」と躊躇なく答えると思う。

当のぼくは? と聞かれれば、いつも書いている通り「宇宙に特別な興味はない」と躊躇なく答える。
そう、ぼくは「宇宙が好きではない」。

木星とか天王星の衛星に水があるかもしれない! とか
探査衛星が地球近傍小惑星から試料を持ち帰った、とか
ブラックホールの撮影に成功した、とか

興味がまったくのゼロではないが、「へえ、そうなんだ」くらいにしか思わない。
なぜならばぼくは今のこの人間社会を生き抜くことの方がよっぽど大事で大変で可及的速やかに対処が必要で絶対的な課題なので、スケールの大きすぎる話には構っていられない。

まあ、ビームを照射して亜高速まで加速して宇宙を旅するブレイクスルー・スターショット計画とか、
並行宇宙の話とか、
ブラックホールとか事象の地平線とはなんなのか、とか
そういう話は好きだ。
ただそれはサイエンスや新しいテクノロジーが好きなだけで、宇宙が好きなわけでは断じてない。

というわけで、ぼくは宇宙好きではない。
ずっとそう思っているし、これからも「宇宙好き! たまらなく好き! なかったら死ぬ!」みたいになることはないだろう。

ところが、この「リーマンサット創設手記(仮)」を書き始めてから奇妙なことが起こっている。

多くの人から「宇宙が好きなんだね」とよく言われる。

確かに、
「これから地球外に人間が住むことになったら、地球から大量に食料を運ぶ必要が出てきて、その容器どうするよ」とか、
「月に移住する人たちが出てきて月政府ができたら、地球政府と仲良くやっていくのだろうか」とか、
「アメリカが宇宙軍を作る構想をしている」とか、
これからの生活に結構近いような宇宙関連の話題には「お」となってしまう。

が、そんな反応を見せたぼくに多くの人は「宇宙好きなんですね」と言う。

これはどういうことなのか。

一つには、多くの人々がぼく以上に宇宙に興味がない可能性があげられる。
ぼくはサイエンスが好きなので、宇宙関係の話題を耳にすることはままあって、新しい画期的そうな技術とか理論とかでてくると、興味が湧く。
だが、宇宙にもサイエンスにも興味がなければそもそも宇宙の話題に触れることが圧倒的に少ないだろう。

好きかどうかを判断するのは、ある意味相対的な尺度でもあるので、
リーマンサット関係者の宇宙好き度を100
ぼくの宇宙好き度を10
とした場合、ぼく自身は圧倒的に宇宙好きではない側になる。
だが、宇宙好き度0.5とか1とかの人から見ると、宇宙好き度たった10のぼくでも「宇宙好き」に見えるかもしれない。
そして、世の中の大多数が宇宙好き度1前後だとしたら、世間一般的にはぼくは相対的に「宇宙好き」だ。

そしてもう一つは「実際に宇宙開発に関わった」という事実だ。
多くの人には「自発的に何かに関わる人はその何かが好きだからだろう」というバイアスがある。
ぼくがリーマンサットに関わったのは、宇宙そのものに思い入れがあるからではない。これまで誰でもできなかったことをできる世界を創ることに興味があって、それがぼく自身にとっても重要で面白いものだと思ったから関わっただけだ。
でも「宇宙開発に関わった人」は「宇宙が好きだから関わったんだろうな」と見えるのだろう。

・「宇宙への興味を(絶対数としては小さいとしても)ある程度持っている」
・「宇宙開発に自発的にかかわった」
うん、確かにこの二つの要素を取り合わせると、ぼくは十二分名実ともに「宇宙好き」と見えるかもしれない。

なるほど。
そう考えると、ぼくは世間的には「宇宙好き」と言えなくはないかもしれない。

いや、でもなあ。
ぼくの中で「好き」とは

熱狂的に情熱を覚える、とか
それがなかったら自分の人生においての重要な一部がなくなってしまう、
ていうかなかったら死ぬ、

みたいな状況を指すので(英語のHobbyとLikeの違いみたいなもの)、

別に宇宙開発が進まなくても、
近隣の惑星に探査機が飛ばなくても、
新型で簡易な人工衛星が作られようとも、

ぼくの人生の重要な一部がなくなったり熱狂を覚えたりすることはないので、ぼくは「宇宙好き」ではない。断じてない。

でもなあ、最近よく「宇宙好きなんですよねえ」って言われるんだよなあ……。
違う、って言っても「好きに見える」んだろうなあ……。

好き、とはなんなんでしょうね。


PHOTO by NASA

皆さまのご厚意が宇宙開発の促進につながることはたぶんないでしょうが、私の記事作成意欲促進に一助をいただけますと幸いでございます。