見出し画像

『50歳からの人生を楽しむ法』を読んで

最近、貪るように「50代」または「定年後」に関する本を読んでいる。ミドルエイジ・クライシス気味の自分にとって、何か1つでも「50代」や「定年後」の生き方について、ヒントや気付きが欲しいためだ。

発行された年月を調べることなく購入したため、今とマッチしていない内容が多々あった(初版は1997年11月)。前半から中盤までは心に響くような内容は見つからなかった。

書籍の後半に、ヒントになるような内容が凝縮されていた。

「人間だれだって五十歳、六十歳になれば相当な経験を積んでいるもので、じつに幅広い適応力をもっているのではないでしょうか。たしかに「とし」をとれば、職場では専門から遠ざかっていきますが、それは逆にいうと応用範囲が広くなっていくということでもあります。私自身、そう考えていましたね」

私は、定年後は地元で働きたいと思っている。片道2時間弱の通勤は、時間の無駄が多いし、体力的にもどんどん辛くなってきている。また、可能なら週に3日程度働いて、残りの週4日は別の楽しみに使えればと、都合の良い夢かもしれない。しかし、下記のような勤務形態も私の理想に近い。

現在、三戸氏は、月曜から木曜までの週四日、午前十時から午後四時まで勤務して、ベンチャー企業の若い経営者達の指導にあたっている。
「時差出勤ですから千葉の自宅から都心まで、電車にすわってかよえる。新しいことを学びながら、得意なことも活かせる。帰宅してイッパイ飲りはじめるのが夕刻六時半、体もらくです。優雅な仕事環境といえるでしょうね」

上記とは矛盾するが、定年後、再就職する道以外に「なんらかの起業ができないか」も同時に考えている。蓄えが潤沢にあるわけではないし、大儲けしたいと目論んでいるわけではない。今のところのキーワードは『元気な高齢者が人に喜んでもらえる仕事』だ。どんな可能性があるか、これも今、「アイディア出し」中だ。年内に「これっ!」っていうものを決めて、来年から深掘りしていく予定だ。

マイスター60と言う会社は、その名のとおり六十歳以上を現場へ派遣し、ビルや工場などの空調、給排水設備の設計・施工・保守、メカトロニクス機器のメンテナンスといったエンジニアリングサービスを行っている。この会社のばあい、高齢者を全員「正社員」とし、七十歳選択定年制を導入していた。
「給料は、公的年金を”三割カット、七割支給”でもらっていただいたうえ、それをふくめた手取りの年収が最低でも四百万円になるよう支払っております。七十歳選択定年制というのは、働く本人が決めることでして、七十歳をすぎても、いくらでも勤めることができます。ちなみにいま最高年齢は七十八歳です」

この手の書籍をここしばらく読んでいて、逆に「余計に不安になる」こともある。大した贅沢もしていないし、収入も世の中の同世代の平均(正確な額はわからないが)を下回っていることはないと思う。しかも、住宅ローンもない。なのに、なぜ、こんなに「50代」「定年後」が心配なのだろう?「お金?」もちろん、これが一番だ。でもそれだけ?

<此世は自分を探しにきたところ 此世は自分を見にきたところ>
<新しい自分が見たいのだ - 仕事する>
なぜ仕事をするのか 出世のため、家族を養うため、豊に暮らすため、達成感を味わうため、仲間とふれあうため、健康のため、暇つぶしのため...と、人それぞれ、人生の折々において答えは異なるかと思う。しかし仕事をする究極は川井寛二郎の言葉にあるのではないのか。
この十六年、私が会った数多くの定年退職者のなかで、六十歳から独自性を持って仕事をしてきた人たちは、言葉をかえて「サラリーマン時代は人生という舞台の序幕、いまが第一幕であるとつくづく思いますね」「振りかえると、会社は”予備校”、いまが”本校”」と言ったりしている。

私は何度か転職をしている。最近はヘッドハンティングによる転職が多いが、若い頃はハローワークのお世話になったこともある。転職の目的はほとんどの場合、収入アップのためだったように思う。だから、転職後の会社も、業種を変えることなく、ずっと職業にしているIT系の会社だ。

六十歳からの仕事はカネもうけのためにだけあるのではなく、より充足して生きるためにもある。この考えをいっそう徹底させて仕事をする人たち、それまでの生活スタイルを一変させて農業やボランティアに挑む人たち、もう一人の自分に出会った人たちはまだまだいる。
六十歳からの仕事はじめは、「豊かさ」に倦んだ日本人の生き方始めでもある。

私は現在53歳であるが、「定年後の準備」は早く始めた方が良いと、この手の書籍に書いてあることが多い。まあ、そのために、私もこのような書籍を読んでいるのだが。。。

私は千五百人以上の定年退職者に長時間のインタビューを続け、魅力的な人物と出会ってきたが、いったい研修メニューどおりバランスよく生きようとする人たちはどれほどいたことか。
私が取材した限りでいえば、みなさん一点にこだわり、それを突破口にし、結果としてよきバランスを得ていた。そして新たな”結縁”づくりまえもやってのけたのである。
こだわる一点は、人それぞれに異なる。

そもそも、「どんな生き方」になれば「満足な50代」「満足な定年後」になるのだろう。実はそれ自体見つかっていない。正確には見つけている真っ最中だ。特に仕事については、「定年後」、何をしたいのか見つかっていない。

定年後、いきいきと暮らす人たちに共通するのは、だれがなんといおうとも「自分が好きなこと」に徹しているという事実である。ある人は仕事ある人は趣味、ある人はボランティア、ある人は創作活動...と各人各様の一点にのめり込んでいる。

「定年後」の時間は長い。平均的な寿命まで生きるとしたらだが。。。だから、「定年後」をダラダラと過ごすのではなく、メリハリのある「定年後」を生きていきたい。

五十八歳からはワゴン車を購入して、手さぐりで装備をととのえていった。もはや宿舎に泊まることもなく、日本列島を駆けめぐった。こうして旅するうちに北海道の自然に魅了され、六十歳をすぎてからは毎年夏ともなると北へ向かうようになった。

「定年後」のビジネスについてだが、上記以外に「地の利を活かしたビジネスはできないか」ということも考えている。
私が住んでいる場所の場合、
「都会から比較的近くて、農作業ができる」
だろうか。

**いま、全国各地の農村を歩くと、かならずといっていいほど、そこに都会から移り住んだ元サラリーマンの姿が見受けられる。年々、産業としての農業に従事する者の数は減少しているが、いきがいとして農業をもとめる人びとは確実に増加している。

雑草茫々の休耕地は全国各地にたくさんある。これらの土地を定年退職者に安く貸しあたえ、無農薬の野菜や果樹、花木、花などを栽培できるようにすれば、国土も農業も、そして定年退職者も蘇るのではないか、と私は考えている。**

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?