米軍撤退 これからのこと

米国の最長の戦争という表現で言われているアフガニスタンでの米軍の侵略と収奪、殺人の数々。米軍が出ていったことはポジティブな側面ではあるが、それで過去と決別出来るわけではない。それにしても、長い長い20年だったと改めて思う。
 戦争というのは、通常は対立する勢力なり国なりが互いに戦う意思を持ち、宣戦布告し、始まるものだが、アフガニスタンでは一方的に米国が攻撃を仕掛け、当時アフガニスタンを統治していたターリバーンを攻撃し、国を占領して傀儡政権をつくり、民主主義という幻想を植え付けようとした。米国が浪費した資金、失った兵士の数など、知ったことではない。彼らが無意味に始めたことであり、必要も必然もないことに勝手に費やしたものであり人命だからだ。
 しかしアフガニスタンの人たちの失ったものの大きさはどうだ。どれだけの人命が失われ、それ以上の人々の暮らしが奪われ、財産が収奪されたことだろう。そして「対テロ戦争」の名の下に無意味に過ぎた20年..... 
 米国はどう責任を取れるのだろう。彼らが責任を取る気がないのはわかっている。なんのための責任なのか、理解も出来ないだろう。しかし、責任は取らねばならない。罪は贖わねばならない。それなしには、何も前に進まないからだ。

わたしは、米軍がアフガニスタンに侵攻し、圧倒的な火力の下、たちまちのうちにカブールまで占領したときのことを憶えている。あのときに、米軍が来たことをチャンスとして、アフガニスタンの北部同盟の盗賊たちが(そう、ああいう連中のことを盗賊という)逃げ遅れたターリバーンの兵士を追い詰め、カメラの前で射殺した光景を覚えている。それを行った連中への怒り、それを嬉々としてカメラに収めていた外国のメディアへの怒り、が沸き上がったが、それ以上にターリバーン兵士の表情にわたしは悲しみを禁じ得なかった。彼らを聖人君子だとはいわない。しかし、彼らはあのような死に直面しなければいけないような罪など何も犯してはいなかった。罪があったとすれば、それはターリバーンに属していたというそのことだけなのだろうが、それは罪ではない。

あれから20年。

米軍が完全撤退した。何を成し遂げるために来たのか。何も良いことはしていない。アフガニスタンの文化を破壊し、人々の疑心暗鬼を煽り、自由と正義、民主主義をもたらすという彼らの勝手な論理を掲げ、それに抵抗する人々にテロリストのレッテルを貼り、人々を殺し、破壊の限りを尽くし、多くの人々に悲しみと憎悪を残して去って行った。

アフガニスタンがこれからどうなるのか。今の混沌とした状況から、ただちに明るい未来を思い描くことは容易ではない。欧米の支援を期待してか、一部の軍閥らがターリバーンへの抵抗を呼びかけたりしているが、これらの問題は大したことではないだろう。問題は先に自爆テロを起こしたIS系列の組織の存在であり、またアフガニスタンの資源や地政学的な位置故に影響力を確保しようとしている国があること。この数ヶ月のうちには何らかの展望が見えてくるかと思うが、ターリバーンには厳しい国家運営や外交が山積している。

この状況で少しでもアフガニスタンの人々の事を思うなら、また20年という長きにわたってアフガニスタンに何ももたらさなかった反省をも踏まえて、欧米諸国、もちろん日本もだが、速やかにターリバーン政府を承認し、新しい国作りに協力してほしい。そういうことが、戦乱を終わらせ、アフガニスタンが無秩序な「テロの温床」へとなっていくことを回避する最良の手段だと信じる。自らの心情や思い込みの価値観を押しつけるのではなく、互いに歴史や文化などを尊重し、真の共存へ向けての一歩を踏み出して欲しいと願う。

ターリバーンは、現在様々な形での支援を求めている。イスラームの基づいた国家を作ると言明しているが、これはイスラーム的な民主国家を作るという意味合いにとらえるべきだし、自分たちの価値観や宗教と違うというだけではねつけることは賢明ではないだろう。

欧米諸国、日本、あるいは中国やロシア含め、自分たちが想定していなかった形での国が出来たことへの違和感や拒否感があることは間違いないが、どんな形であれ、今少なからずの人々から支持されている組織が国の統治を始めたのだ。まずは国家承認して、外交関係を持ち、過去の反省の上で互いに尊重しあう関係を築いていくべきだと思う。


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