Vol21.井戸堀りで覗く街の景色
ついに冬将軍が到来し、井戸堀りは春を待つことになる。
春以降の記録も随時アップしていく予定だが、井戸堀りが一旦お休みに入ったところで、いつもとは少し違った話題に触れてみようと思う。
今回、井戸を掘り始めて分かったことがある。
それは、井戸で水の出る深さや良質の水が出るかというのは、掘る場所の地層・地質に大きく左右されるということである。そして、その地層・地質というのは、その地域ができた歴史と大きく関係しているということである。
市街地がある平らな土地は、概ね付近に大きな川が流れている。川が長い年月をかけて山を削り、削られた土砂が下流で扇状地となり、平坦で農作物の栽培に適した肥沃な土壌と豊富な水を供給するからである。
自分が住む札幌も、豊平川という大きな川が作った扇状地に都市基盤が作られ、そこを中心に発展していった歴史を持つ。
札幌の扇状地の成り立ちについては、この記事がとても分かりやすい。「札幌、扇状地、歴史」とかで見ると結構面白いブログが出てくるので他にも是非みてみて欲しい。
扇状地は川が運んだ大きな石や砂が厚い層を形成し、その上の土地は地盤が安定し水はけも良い。地盤が安定しているので、大きな建物を建てるのにも向いている。
札幌開拓の中心となった開拓本府が置かれた今の大通~札幌あたりは、まさにこの扇状地の上にある。東西に線路が走っているが、ちょうどこのあたりが扇状地の最終地点(扇端)のあたりなのである。
川を見るとき、目に見える水の流れだけを意識してしまうが、その直下や周辺の地下の地層には大量の水がいくつもの層になって流れているのだ。なので扇状地の下には大量の水が流れている。
そして、上流からの勢いを失った川の流れは扇状地の最終地点、扇端と呼ばれる場所を作る。大きな石や砂が運ばれるのはそこまでで、そこから先は川が運んだ砂礫は急に少なく、泥に近い細かい砂が積もる地層へと変わる。
この急激な地層の変化が、扇状地の地下を流れる水に大きな変化を与える。地下を大量に勢いよく流れていた水が地層の変化により急に行き場を無くすことで、湧き水となって地上に現れてくるのである。
札幌の扇状地先端でもこの現象が起きていた。先住していたアイヌの人たちはこの水の湧く場所をメムと呼んでいたそうだ。メムと呼ばれた水の湧く場所は、実は今でも北海道庁や知事公館の池、植物園の池、そして北大構内を流れる川にその痕跡を見ることができる。
メムは少し東に目を移すと現在の苗穂駅のあたりにも沸いていたそうだ。苗穂はアイヌ語のナイ・ポ(小川・小さい川)という言葉が語源になったと言われていて、豊富に水が得られるこの地にはサッポロビールの工場跡を見ることができる。
このように札幌の開拓・発展の歴史は扇状地の場所とほぼ一致する。ちなみに、扇状地の扇端よりも先の(今の北区・東区あたり)、泥炭と呼ばれるような枯れた草木が腐らずに積もった湿地が広がっていたそうで、当時は人が歩くこともままならない湿地だったそうだ。
現在の札幌では、土地開発や地下水のくみ上げ増によって地下水位が低下し、当時のメムの地で水が湧くのを見ることはできない。北区・東区も暗渠整備や開拓が進み、そこが湿地だったとは想像しにくいだろう。
しかし、そこになぜ池があるのか、そこになぜこの建物が建てられているのか、歴史と地層という眼鏡を通して現代の街を見ると、その痕跡は随所に残されているのだ。
今回、井戸を掘り始めたことで、地層に興味がわき、そこから自分の住む街をいつもと違う視点で見ることができるようになった。いつもと違う視点でみる街は実に味わい深く愛着がわくものだ。
これから井戸を掘ろうと思っている人は、これから掘ろうとしている地層を調べてみて欲しい。そしてなぜそのような地層になっているのかということに目を向けてみて欲しい。そしてそこから、自分の住む場所の成り立ちや歴史に目を向けて見て欲しい。
自分の街に興味を持つことが街を好きになるきっかけになる。街を好きな人たちが増え、その人たちの力が集まることが、街を持続させ、発展させていく地盤になっていくはずだから。
と、今回は井戸堀りからここまで妄想をふくらませたところで終わりたい。次は春の井戸堀り再開記事になる・・はずである。
(Vol22に続く)