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あの時の決断はすべて間違ってなかった。

あの時の決断はすべて間違ってなかった。
と、歳を重ねてよく思うようになった。

交友関係、人間関係、進路、住む場所。
様々な場面で決断を迫られるように歳を重ねて増えてくる。

最初の大きな決断は、中学1年生の部活決め。
文化部、運動部多くの部活がある中私は吹奏楽部を選んだ。
理由は正直覚えていない。
周りの友達が吹奏楽部を選んだから、そんな他人任せな曖昧な理由。
そんな理由で選んだ吹奏楽部に私は簡単にどっぷりとハマった。
上の姉兄が部活より生徒会に勤しんでいる中、私は吹奏楽に没頭。
家族の中では異例だったはずだが家族の理解もあり中学はほぼ吹奏楽に没頭出来た。
その代わり勉強はさっぱりで塾でも爆睡。
今でも中学のその頃に勉強しなかったのを後悔している。

次の決断は高校入試。
吹奏楽しかしてなかった自分には恥ずかしながら行ける高校はあまりなかった。
吹奏楽で高校に行けるような実力も皆無。
頭のいい姉から勧められていた偏差値が高いが制服も可愛い、吹奏楽も強い高校は行けるわけもなく私立の合格した高校に入学した。

高校は何一つ魅力はなかったが、友人に恵まれ、中学と同様だが次は自分の意思で吹奏楽部に入部した。
中学とは楽器も変え、高校からはトロンボーンを担当した。中学の時に担当していたファゴットという楽器はあまり自分の中でも好きになれず、現に中学の時顧問にやめろと何回も言われていた。
トロンボーンに変えてからは毎日が楽しくて吹くのが苦ではなかった。
その時にトロンボーン奏者になってみたいと思うようになる。

次の決断は大学受験。
親が大学に行って欲しいというのもあり高校卒業の進路は大学入学と決まっていた。
大学くらいは自分が心から行きたい大学と思い、それなりの得意分野音楽系の大学を条件に出し、
親に聞くが音楽系は学費が高い、将来の就職先が少ないという理由で即反対された。
部活推薦や就職で周りの進路が決まっていく中自分は最後の最後まで親と先生と喧嘩をしていた。
大学は姉妹校の大学に指定校推薦で思いの外呆気なく決まった。
お前は最初から最後まで世話が焼けたと顧問にも担任の先生にも言われるくらいには問題児だった私だが卒業式の最後の挨拶の時まで吹奏楽部が昇降口で演奏しますと宣伝するような馬鹿な吹奏楽オタクのまま高校を卒業した。

大学に入っても私は編入してでも音楽の道が諦めれなかった。
そんな自分には大学の授業はつまらなくパソコンを使う授業はずっと音楽系の大学を調べた。
洗足学園音楽大学、響けユーフォニアムの学生の音を担当するくらい本格的な音楽大学。
わがままを言うなら、実力もあるなら、そこで音楽を習って卒業生として音楽家になりたかった。
桜美林大学、東京にあるよく箱根駅伝にも出場する芸術科もある大学。
当時の私は箱根駅伝が好きでその大学にとても惹かれた。
音楽も勉強出来て箱根駅伝選手のマネージャーも出来る、他の音楽大学より学費が安い。
今思えばそんな馬鹿らしい理由で桜美林大学に決め大学の友達に手伝って貰ってPowerPointでスライドを作った。
その時は実家から大学に通っていたので親にバレないようにスライドショーを作り何度も練習をして親にそのスライドショーに基づき、桜美林大学に行きたい旨を伝えた。
結果は惨敗。
私が現大学に入学した時点で音楽大学に入学させる気はなかったようだった。
遠回しにそのようなこと言われ、騙されたと親を憎み何日も口を聞かず自分は別の進路を探した。

親に反抗するように一人暮らしをする家を探し、一人暮らしを始めた。
親も反抗的な私から物理的に離れられ逆によかったのかもしれない。

元々子どもが苦手な私には当時いた子ども関係の学部はきつくて友達と一緒に心理学系の学部に専攻を変えた。
専攻を変える事について親はあまり言及せず音楽大学の件とは打って変わってあっさり了承してくれた。
心理学は楽しくて、もっと本格的な心理学が学びたい欲が出てきて他の大学も調べた。
警察を考えていた頃でもあった為、犯罪心理学を学びたかった私はそれが学べる大学を調べ、その大学に行けばよかったと後悔した。
顧問に言われた事を思い出す。
___音楽大学やなくても吹奏楽が強い大学に行けばいいやん

心理学は楽しかったが、女子大の雰囲気はキラキラしてて全然慣れないでいた。
大学祭でミスに選ばれる女の子はモデル顔負けの顔立ちで毎年びっくりした。
大学祭は隣の共学の大学と共同で毎年凄く賑わった。
ベリーグットマンさんなどの大物ミュージシャンさんも呼んだり、キャンドルナイトもしてみたり、工夫が凄かった。
私は茶道部の髪結として茶道部のアシストをしながらの参加。
茶道部さんの髪をアレンジしてし終わったら出店を見ながら、髪が崩れそうの連絡を受ければすぐに茶道室に帰るという仕事をしていた。
大学祭も終わりに近づいて茶道部の片付けも終わって自転車で隣の大学に寄り、その大学の人間になったつもりでぼーっと見るエイサーの展示が好きだった。
最後には周りも巻き込んで踊り狂う大学生のノリを手を打つだけで見るのが好きだった。
エイサーを見ると大学祭を思い出す。

そんなどうともない大学ライフを送っていた私だが密かに恋をしていた。
発達心理学担当のT先生。
当時は教授に恋?そんな馬鹿なと思っていたが、今思えばあれは間違いなく恋だった。
その先生の授業は遅刻せず出席した。
その先生の授業は自ら、発表した。
その先生がよく通る所で今の仕事の勉強をしたり、先生とすれ違う時は必ず挨拶をしたり、
バレンタインの日にはその先生にチョコまであげた。
先生の授業以外では不真面目な私を知っていたはずなのに先生は私の話をよく聞いてくれたし、どんなに離れた距離に私がいても見つけると大きく会釈をしてくれた。
授業中何かの拍子で恋愛の話になり、先生が恋愛話をしてくれた。
ずっと前のことなのでしっかりは覚えてはいないが、先生がバツ1だったことだけはしっかり覚えている。
元奥様とは研究発表会で出会ったらしい。別れた理由はさすがに教えてくれなかった。
先生は塩顔の綺麗な顔立ちで眼鏡をかけ、いつものんびりとした空気を放ち、のほほんとした話し方をする可愛らしくも時々口調が変わる少しミステリアスな人だった。
そんな人に恋人の1人や2人、奥様の1人や2人がいてもなんらおかしなことではない。
だが、まだ考え方が淡かった私には刺激が強すぎた。
彼氏がその時にいたものあって先生に抱きそうだった感情は捨てることに決めた。

当時のことをたくさん思い出して思うが、
当時彼氏がおらず、先生に恋している事を実感していたら私どうしていたのだろうか。
大学教授との恋愛など私には似合わないと諦めただろうか。
それか似合わないとか関係ないと踏み切っていただろうか。
どちらにしろ先生に抱きそうだった感情を捨てるという判断は間違ってはいなかった。

その頃の私は大学に行ってないことが親にばれ、母とも父とも大喧嘩の毎日だった。
休学をしてこれからを考えたいと言う私に両親は専攻を変えるのも許してやったのにまだ我儘を言うのかと怒った。
今考えれば本当に親不孝な娘だと思う。
それでも私は譲らず、休学した。

休学をして、これからの進路について迷った。
アメリカかイギリスに語学留学、警察官、今の仕事の試験を受ける。
音楽大学に行く、という選択が消えていることに少し寂しさを感じつつ、
まず留学することを大きく進めようとした。
元々英語には興味があり留学をして語学を高めてみたかった。
その旨を親に伝えようと帰省した日、兄が大学院に行く事が決まった。
大学院の試験に受かったらしい。
「受かったのは嬉しいけど、余裕なくなるわ〜」と嘆く母を目の前に留学の話は出来なかった。
昔からあまり関係も良くない上、もう私で負担をかけたくないがその時は勝った。
色々調べて迷って、最終的に今の仕事の試験を受けることに決めた。
受かれば大学を辞めそっちに行くそれを伝えた時母は絶対に行かせないと怒った。
父はお母さんを怒らせるなと怒った。
そんな両親も最後には認めてくれ嫌々試験会場に送ってくれたり、試験の状況を聞いてきたりと両親なりに支えてくれた。
試験に合格した日には心の底からのおめでとうをくれた。
進路や自分にあまり関心が無さそうな姉も兄もおめでとうをくれた。
その時やっと今までが報われた気がした。
入社式に向かう日、
「頑張ってね」と、諦めたような嬉しそうな顔でいう母、
「行ってらっしゃい」と、自分の孫が誇らしいと言わんばかりの顔で見送る祖母、
「頑張れよ」と、私が見えなくなるまで見送ってくれた父を今でも覚えている。

今の仕事に就職してからもたくさん決断をしたが、
1番大きな決断は2年11ヶ月付き合ってきた彼氏との決別。
入社と共に、関係はゆるゆると悪化していた。
喧嘩の度に自分の好きな仕事を貶され続けた私は自分でも知らずにメンタルが崩壊していたのかもしれない。
何かで長く付き合えば付き合う程別れる時ズルズル引きずると読んだ事がある。
本当にそのままだった。
周りの同期に別れろと言われ続けた人と2年11ヶ月付き合う羽目になる。
何かのきっかけを待っていたのかもしれない。
そのきっかけをくれたのが今の彼氏だった。
一時的に、なんの感情も湧かない彼氏と、
ずっと推していた先輩を選ぶという
何とも残酷な人生最大の決断に陥った。
情など湧かなかった、恋愛感情皆無、先が見えない、色々な言い訳という理由を並べ、
私は2年11ヶ月のお付き合いした人と別れた。

私は、今までたくさんの決断をした。
正直今でも音楽で吹奏楽でトロンボーンで食べていける人になりたかった。
高校の友人に聴く曲のジャンルが変わったと言われた時は正直、虚しくなった。
でも職場の上司に音楽大学に行かなくても音楽は出来たと言われても、でももう今は別の目標があるのでと言えるくらいには、諦めがついたし、今に納得している。
未だに吹奏楽より勉強をしとけばよかったと後悔する。
でも吹奏楽をした事に後悔はない。
合奏での一体感、高い音が出た時の高揚感、ソロを吹き終わった後の達成感。
吹奏楽をしたことある人しか知らないあの気持ちを経験出来てよかった。
いつになるか分からないが、
いつか吹奏楽の演奏を聴いても何も思わなくなるまでこの気持ちは持っていようと思う。

人にとって1番と言っても過言ではない、結婚
を私は侮ってほしくないと強く思う。
運命の人ではない人と今付き合っている、そんな人がいるかもしれない。
現に私はそうだった。
少しでも恋人に違和感がある人はちょっとだけ周りを見渡して欲しい。
その見渡した人の中に運命の人がいるかもしれない。
我ながら前の人には悪いことをしたと申し訳なく思う。
だが、どう足掻いても私達の結幕はこうだったと思う。
私の決断は今も昔も変わらない。
だからこそ、今の彼氏には感謝しかない。
彼がいなかったら、どうなっていたか想像するだけでも怖い。
未だにあの生き地獄が終わっていなかったのかもしれない。
結婚は焦って決めるものではない。
焦ってする結婚程、後に後悔する羽目になる。
その経験者にならなくてよかった。
結婚したい相手とは自然にしたくなるというのは本当で気付けば今の彼氏と結婚前提のお付き合いをしている。

私の人生はまだまだこれからだ。
まだまだたくさん大きな決断が待ち構えている。
昇級試験、結婚の時期、子どもを考える時期、マイホームを建てる時期、定年退職後の生活、、、
たくさんの決断をしても、いつか、
あの決断はすべて間違っていなかった。
と、笑いたい。


                    ___fin.

一生涯大切にするって決めた方
初めて2人暮らしの家に2人で行けた記念に
in高架橋
馬鹿騒ぎ大好きな同期が大好き






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