ゲーム依存症対策条例について~短略的な規制は未来の可能性を殺す~

今話題再燃中のゲーム依存対策条例。ゲーム依存症といえばWHOも正式に認めるもの。ではどうしてこの条例が四方八方からボッコボコに批判されるのでしょうか。まずこれの内容を噛み砕いて言うと、「最近ガキ共の一部がゲーム依存になっとるなぁ」「せや、全部のガキ共のゲーム時間をめっちゃ制限したろ」という感じでしょうか。あのさあ...。なぜこれが問題なのか?という問いかけも、する気にならないほど無茶苦茶に見えますが、仕方ないので紐解いていきましょう。

この条例はいわば、一匹病気にかかった肉牛がいたので、その都道府県の全ての牛を殺処分するようなものです。
これの何が問題かというと、感染が確認された牛あるいは、可能性が高い牛だけに対象を絞れば良いものを関係のない大半の牛も殺処分することです。
これをゲームに置き換えると、毎日8時間ゲームをしている依存症患者を取り締まるため、毎日2時間ほどゲームをする非依存症患者も共に取り締まるといった感じです。明らかに取り締まる範囲が大きすぎるのです。

この条例はゲーム依存症対策条例ではなく、ゲーム対策条例のように見えます。ゲーム絶対殺すマンです。あまりにゲームに対する理解がなく、毛嫌いしているかのようにさえ感じます。漫画や小説が批判の的になりながらも、徐々に芸術として、作品として、そして文化として大いに受け入れられてきたのは、内容に対する規制はあっても、そのもの自体に対する規制がなかったからなのです。ゲームも将来はそれらと同類に扱われるかもしれません。また、Eスポーツが世界的にメジャーな競技となるかもしれません。毎日ゲームの練習に励んだ少年少女がEスポーツの世界大会で優勝する可能性もあるのです。もしそうなれば、これをゲーム依存と言えるのでしょうか。
あまりに短略的なこの条例は依存症患者とともに大きな未来の可能性を殺すかもしれません。