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台北・バスキング・デイズ vol. 1

ただの旅行記回

 台湾は、日本列島の南に位置し、時差は1時間ほど、緯度で言えば石垣島と同じぐらいで、飛行機を使えば関空から3時間ほどで来れてしまう。

昔、沖縄で地元のうみんちゅと釣り対決したことがあったが、その時と変わらない移動時間だったと思う。何せ夕方5時に関空を出発して夜の9時には台北のホテルに着いていたのだから、オーストラリアやアメリカよりもお手軽に遊びに来れる国じゃないだろうか。

そして、航空券が片道5000円という破格の安さで、勿論私の場合は機材などで荷物がそこそこ重いので、その価格より少しは払っているのだがそれでも安い。

今回の宿泊先はやはりバッパーのドミトリー、つまり相部屋なのだが、たまたま宿泊サイトを眺めていたら一泊800円というのを見つけてしまい、すぐに一ヶ月分の予約を取ってしまった。実際にはセール価格なのだが、一ヶ月で三万円切っているのは価格が崩壊してるんでは。

今回の主戦場になるであろう西門町より徒歩20分ほど離れた場所に位置する宿に到着した時、時刻は夜の9時ごろ。宿側に受付が閉まる10時には間に合わないかもしれないということをあらかじめメールで伝えておいたのだが、意外にも入国審査がすんなり済んでしまい、思っていた時間より早く到着してしまった。

ガイドブックには帰りの航空券がなければ入国できない旨が書いてあり、若干の緊張感があったのだが、何一つチェックされずに入国してしまったのだ。

スタッフに案内された部屋には二段ベッドがぎりぎり人が歩けるスペースを残して、並んでいて、自分のベッドは上の段でカプセルホテルのように奥の方向にベッドが広がっていた。見た感じはとても窮屈そうであった。

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ただ、ロッカーが与えられているので、その中にスピーカー類はしまってしまい、ギターと衣類と機材の詰まったスーツケースは寝床に並べて余ったスペースで寝ころがってみることにした。この狭い空間に一ヶ月も寝るのかと少し億劫になったが、案外、横になってみると寝れそうな感じがするので、少し安堵した。と言うよりも、元々ある程度の整った環境ならどこでも寝れる体質なのかもしれない。

このまま眠ってしまうには少し時間が早いと思ったので、西門町に行ってみようと思い、カバンを引っさげ外出した。

昆明(クンミン)通りという南北に伸びた通りをひたすら北上していくと、すぐ近くにセブンイレブンがあった。

何と言うか、とても親近感を感じてしまう。

さらに北上していくと通りの両側には古いコンクリートのビルが立ち並び、おそらくお店の名前が書かれている漢字の看板がずらりと並んでいた。

二車線を挟んだ歩道を覆うようにして屋根が建物から突き出ていて、歩行者は雨に濡れることはない。ただ、止められているバイクの数が尋常ではなく、若干の狭苦しさを覚えてしまう。

建物の一階部分はお店になっていて、およそ半分近くが飲食店、それも食材や厨房が歩行者から見れるようになっていて、その奥には簡素なイスとテーブルが並んでいる空間がある。壁に貼ってあるメニューは漢字で書かれていてその下に70元とか100元とか値段が表記されている。

空港で両替した時に1万円札でだいたい2600元ほどで、レートは1元が3.6円、つまり70元だったら250円ほどで、100元だと360円。お札は赤い100元札が一番安い紙幣だ。日本人が漢字が得意とはいえ、使用している文字が違うためか、どんな料理か皆目見当がつかない。牛とか、麺とか、飯ぐらいはわかる。

そのまま、どんどんと北上していく。旅のバイブル「地球の歩き方」を片手にどこで右手に曲がるかを確認しながら、歩いていく。しかし、地図のページを開くたびに、ついつい目がいってしまうのだが、「台北牛乳大王」って。

スターバックスのある交差点を右手に折れ、向かいにその看板を見つけた。これは是非とも後日参拝せねばなるまいな。

そう言えば、こう行った漢字文化に馴染む日本人の心をちょいちょいくすぐるような表記というが散見されるのだ。台北の桃園空港からのリムジンバスが到着した台北駅で、地下鉄(MRT)に乗り換えた際に、路線の駅名に「南港」とあった。大阪かな。そして、台北の街中を走り回るバスの行き先には「三重」と出ていた。もう大阪じゃん。

西門(シーメン)町は、台湾のサブカルチャー発信地らしく、日本で言うところの渋谷とか原宿にあたるらしい。「台北牛乳大王」の鎮座する通りをそのまま東に進んでいくと、上下反転したひらがなの「て」をなぞるように、北側にカーブするような通りが出現した。

通りの手前側はコンビニやホテル、映画館が並ぶ小さな広場になっていて、その向かいは地下鉄(MRT)の西門駅の出口となっていた。この道に沿って北側に歩いていくと大きな門があり、我らが西門町に入っていく。

道は車道であり、進んでいくと南北に走る昆明通りと並行にまっすぐな道となり、東西に走る、車が一台通れるほどの小さな道が垂直に交差するように並んでいる。この区画はさすが台湾サブカルの中枢を担うとだけあって道の両側には色々な店がひしめいていた。

食べ歩きの文化だからなのか、タピオカ入りのジュースだったり、座布団のようなチキンカツであったり、そして、ちらほらと屋台も見られる。中には、強烈な匂いを放つ屋台があり、看板を見てみると「臭豆腐」とある。発酵食品だから仕方ないとしても、その名に恥じない強烈な匂いだ。

それにしてもこの人の数よ。メルボルンだったら、町中がホコ天になっていたホワイトナイトフェスティバルに相当する賑わいっぷりである。こんなところでバスキングできたらウハウハだろうね。

そんなことを思いながら、とりあえず屋台で、一口餃子、一口ソーセージを、「幸福堂」と書かれたお店でタピオカ入りミルクジュースを購入し、堪能した。

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タピオカって何でできているかねと思いつつ、戦場視察および食料調達に満足した私は、宿に帰り、翌日に備えることにした。

台湾は日本より南に位置しているので、本州より先に暖かくなる。とは言え、夜はTシャツの上にパーカーを羽織って眠った。それにしてもなんか寒くないかと思い、寝床でちょうど足元を見やるとエアコンが三分の一ほど私のスペースに突っ込んでいるのだ。

本来なら部屋全体を適温に保つはずのエアコンが、その三分の一の冷気を私のスペースに送ってきているのだ。道理で冷え込むわけだ。でも、800円だしいいかと思い、眠りについた。

続く。

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