見出し画像

これは、チャンス。


雲一つ見つからない空。
それが嫌味とさえ思えた。


トレーニングが終わり、昼食を食べていると後ろからスタッフの声が聞こえた。
「深谷、後から部屋に来て」
「わかりました」

小さな部屋の扉をたたいた。
「失礼します。」
目の前にあった椅子に腰をかけた。目の前には強化部の方々。
窓から入る光のせいで、空中に散らばる塵たちが鮮明に見える。
やけにこの部屋は明るいな。そう感じた。

眩しそうな私の目を見たスタッフがブラインドカーテンを締めて光を遮った。
一気に部屋は暗くなった。






10月14日 13時15分
『来季の契約はしません。』

そう告げられた。

外は雲一つ見つからない空。
それが嫌味とさえ思えた。




契約満了


リリースの通り、私は今シーズンを以って契約満了となった。
要するに、来季はサガン鳥栖の一員としてサッカーができないということ。
もし、来季のチームが決まらなければJリーガーという職業すらも失うということ。

私は戦力外(クビ)である。

(語弊がないように一応伝える。契約満了にはいろいろなパターンがある。なので、一概には言えないが、多くが戦力外であると言えるだろう。違うパターンでいうと、戦力としては必要だが高額の年俸を払えないからやむなく満了というケースなどがある)

煌びやかにグラウンドを舞っている選手たちは、こんなにも厳しい世界を生き抜いている猛者であることを、ぜひ認識していただきたい。

本当に尊敬する。

そんな選手と反して、私は、いとも簡単に脱落者となった。

想像してみてほしい。

もし、あなたが今の職場からクビを宣告されたら。

来年の給料はどうしよう。
家族は、どうやって養おう。
恋人にご飯をご馳走することもできない。
固定費、、、。
お先、真っ暗だな。

一気にリアリティが増し、この世界から色を失う感覚を味わうだろう。

そんな感覚を、毎年多くの選手が味わう。
これが、Jリーガーという職業が『ギャンブル』と揶揄される所以である。

普通に就職をして、社会経験を積んでいく高校や大学の同期たちを横目に、小さくない焦りを感じます。それでも、Jリーガーになり、Jリーガーであり続けるには、相当量の時間を投下する必要があるので、これまでもこれからも、ほとんど社会との接点を持たないまま30代へと向かっていきます。そうして怪我やクビといったきっかけで突然、社会にリリース(放流)され、路頭に迷うわけです。

敗北のスポーツ学/井筒陸也

しかし、私の意思で、プロサッカー選手という職業を選んだ以上、嘆くことは許されない。

何故、私はクビを宣告されたのか。
それは、火を見るより明らかである。

「チームにとって必要なかったから。」
「もっと良い選手が他にいるから。」

サガン鳥栖の強化部の方は、優しいからオブラートに包んで、傷つけないように僕に伝えてくれたが、本音はきっとコレである。

正直、契約満了を告げられた時に驚きは一切なかった。

何故なら「予測ができてしまっていたから。」

今シーズン、1試合も公式戦のピッチに立つことが出来なかった。

プロの世界は、高校の3年間や大学の4年間のように、年数が担保されているわけではない。

単年契約である以上、この1年で結果を残さなければいけなかった。
チームに必要なピースであることを示さなければいけなかった。
深谷が居ないといけない理由を作り上げなければいけなかった。

しかし、結果を残すことも示すことも作ることもできなかった。

だから、容易に予測ができた。
クビになると。

感謝と謝罪


『感謝しかない。』

これは強がりでも何でもない。心の底から出た言葉だ。
クラブの強化部に契約満了を告げられた時にも、実際にこの言葉を口にした。

感謝という感情は、時間が経過した今も新鮮な感情として胸中を埋め尽くしている。

なぜなら、親が私を産んでくれたからこの世界に居られるように、
サガン鳥栖というクラブがなければ、Jリーグという世界に踏み入れることすらできなかったのだから。

この理由だけで十分すぎる。

そして、感謝の裏側には「謝りたい」気持ちが埋め尽くしている。

サガン鳥栖というクラブにプレーという形で貢献できなかったこと。
私に可能性を見出してくれた谷口さん、試合に出ていない私にも温かい声援をくださったファン・サポーター、学生時代のコーチや監督、1番応援をしてくれた親の期待に応えることができなかったこと。

本当に申し訳ありません。

俺は24歳


契約満了になったことを、すぐに打ち明けた先輩が二人いた。慶くん(小泉慶)と、こーへいくん(手塚康平)だ。その二人の先輩は、「圭佑なら大丈夫だよ」と真剣な顔で言ってくれた。
「だって、まだ24歳だろ」って。心が救われた。

みんなの前での契約満了の挨拶では、自然と涙が溢れた。そして、たしくん(田代雅也)やグッピーさん(岡本昌弘)の優しすぎる声かけで涙が止まらなかった。いつか恩返しできるように頑張ります。



Creepy Nutsの音源にこんなリリックがある。

かつて天才だった俺たちへ
神童だった貴方へ
似たような形に整えられて
見る影も無い



生まれてこの方
一体いくつ分岐点を見過ごして来たんだろうか?
墓場に入るまで
後一体いくつ可能性の芽を摘んでしまうだろうか?

Creepy Nuts/かつて天才だった俺たちへ

私は、実は幼少期から臆病者だった。
せっかく訪れたチャンスに対して、いつもバットを振らずに逃げてきた。

小学生の時の県選抜も、中学生の時のチーム練習も、高校生の時の高校選抜も、大学生の時のプロの練習参加も、社会人の時の起業も。

全てで100%のパフォーマンスをしようとはしなかった。その舞台に立つ事すら辞めたこともある。

でも、いつも優しい大人の方が肩を叩いてくれた。道を示してくれた。
だから、なんとかこの社会にしがみついて生きていけている。

私は臆病者だ。
そして、もう24歳。

私は臆病者だ。
でも、まだ24歳。


音源のように、何者でもなれる天才と言える年齢ではないかもしれないが、
天才でなくても何者かになれることを証明しよう。
今からでも、人は変われることを証明しよう。


いつも私は決断の際に大事にしている言葉がある。

99人が右に行くなら迷わずに俺は左を選んだ。それが社会不適合者? いや社会が俺に適合してみなよ

gadoro/いつかのヒーロー


私は、この24年間、ちょっと変わった生き方をしている。
中学を卒業した時から親元を離れたり、youtuberになってみたり、いきなりJリーガーになったり、、、一年で契約満了になったり、、

誰にでもわかる通り、安定とは無縁の生き方だ。
こんな私でも、やりたくもない職業に就いて「やりたくないことを我慢して行うこと。」が大人になるってことなのではないかと思う夜がいくつもあった。いつかそうなってしまうのではないかと思う度に、結果が現れない毎日に胸が痛くなる夜ばかりだった。


でも、いつも同じ結論に至る。

『一度きりの人生なのだから、まだまだ挑戦しよう。成功と言えるまで、この生き方を貫こう。』と。


今後について


私にも、今後はわからない。

でも、私は夢を追い続ける。それだけは確かだ。

なりたい自分になるために、毎日を必死に生きる。

以上。

こちらもご覧ください

【ご報告】深谷圭佑 サガン鳥栖退団のお知らせ 

https://youtu.be/P9cjySoMyu8

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?