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「やりたいこと」なんて分かんないあなたへ

…みたいなタイトルの書籍なりブログなりって星の数ほどあって今さら感満載なんだけど、

同じ事を伝えたいにしても、誰がそれを言ってるか、どんな風に言ってるか、によって伝わりかたは結構違うよな。と思う。ので書く。


好きなことで、生きていく時代

そんな時代だと囁かれている。

そんな時代に生きているのか、と思うと、すごく、「新しい」感じがする。すごく「自由」な感じがする。すごく「クリエイティブ」で、

そして、

すごく

すごく

すごく

「生きづらい」。


生きづらい。

自分は何をしたい人なんです。なんて、簡単には言葉にできない。

この気持ちを、どういう言葉を使ったら、ちゃんとあらわせているかもわからないし、そもそも自分がどんな気持ちでいるのかも、正直わからない。


分からないのに、

会社では「お前は何がしたいの?」と毎日問いかけられ。

帰ってyoutubeを見ていても、
「私は好きなことで生きてるけど、あなたは?」
と言われているような気がする。

爆速で億を稼いで好き勝手やってる(ように見える)人を見るたびに、
サラリーマンながらに好きなことをして有名になって、っていう人を見るたびに、

やりたいことに生きるのが当たり前だよ?
そうしないと損だよ?
あなたのやりたい事は?

って言われてるような、そんな気がしてしまって。
雪のように、静かにゆっくり、でも確実に胸のあたりが重くなってゆく。

画面の向こうのあの人みたいに、
自分はそんな一歩を踏み出せないし、
そもそも踏み出し方もわからないし、
もっと言えばどの方向に踏み出していいかもわからないし、
なんなら今どこに立っているかもわからない。

わからないんだよ!

だから、
「私やりたいことがない人間なんで」って居直るか、
悩み続けるかしながら、
とにかく目の前の「他人にやれと命じられたこと」を、
抽象度を上げれば自分のやりたい事とつながってる、と信じてマジメにやる、くらいしか選択肢がなくって。
(そもそもやりたいことなんて分かんないのに。)

少なくとも僕にとってそれは、
自分がそうだと認識することすらできなくなる程度には過ごしづらい時間だった。

自転車がなかったら、
乗り切れなかっただろうな
、と思う。
(とかって急に自転車のCMを挟んでみる。自転車が好きなんだ)


僕がそれを見つけるに至った経緯、の前に

先に言っておくと、僕が最終的に言いたいのは、

(多くの同タイトルの文章のように)
「キミも僕のように、やりたいことを見つけよう!」

ではない。断じてない。

ないんだけど、でも僕は見つけてしまったから。

もうすぐ子どもも生まれるっていうのに、
社員数1,000人以上の会社からいきなり5人とかの会社に転職するくらい、
そして同じ月に自分で会社まで作っちゃうくらい、
熱量をかけたい、というか、放っておくと勝手にかけちゃうものを見つけてしまった。

だから。

とりあえずは僕がそうなるに至った経緯を、ここにまとめておこうと思う。
これを轍となってどこかに抜けられる人も出てくるかもしれないから。


リクルートをやめる時に驚いたこと

↓の記事にも書いたとおり、僕はついこの間、リクルートキャリアという会社を退職したんだけど、そのときにちょっと驚いたことがある。

「僕は自転車が大好きで、寝ても覚めても自転車の事ばかり考えています。

ただ好きだと言うだけでなく、自転車は人のこころを救うことを僕は知っています。

だから自転車に乗る人を増やせば、それだけ世界は良くなると心から信じています。

これは僕にしか実現できないし、僕が実現させることが使命だと思っています。

これは僕にとっては、リクルートに残って、素敵な就職や転職する人を増やすことよりも、大切なことです。」

誰からも絶対に聞かれる「なんで辞めるの?」「次何するの?」という質問には、こんなような趣旨のことを返すのが定型文化していた。

心から思っていることを人に言うのは、ちょっと恥ずかしい。
だから、今ちょっと恥ずかしいってことは、これは自分が本当に思っていることなんだな、って分かって、少し誇らしさを覚えながら。


そうすると、さすが、定年退職した人がこれまでにヒトケタ台(らしい)なリクルート。僕がこうやって言って、ネガティブなことを言う人は、一人もいなかった。

リスクがーとか、収入がーとか、家庭がーとか水を差す人は誰一人いなかった。

全員がこころから応援してくれたし、今もしてくれていると確信できる。
なぜなら僕も、これまで先に退職していった人たちのことを心から応援しているし、これから独立するんだって後輩がいたら、何ができることはないか聞くと思うから。
そう思えるくらいには僕も「リクルートの人」になったんだなーと思った。

だから退職に際して、誰もネガティブなことを言わなかったのは、
嬉しくはあったけど、驚くことではなかった。


じゃあ逆に、驚いたことは何だったか。
って言うと。

この話をしたほとんど全ての人に

「そこまで好きになれるものが見つかるなんて、うらやましい」

って言われたということだった。

若手に言われるのはまだ分かるんだけど、割とエライ役職付きの人や、勤続10年以上のベテランにも言われたのには正直驚いた。

僕に仕事を教えてくれた、尊敬するこの人達でさえ。
毎日僕に、僕はどうしたいのかを問い続けてくれたこの人達でさえ。

もしかすると、かつての僕と同じなのかもしれない。

僕がそうだったように、

つぎつぎに「やりたいこと」を見つけて辞めていく同僚に、
こころから頑張れって言いながら、
「自分はまだここで力をつけるターンだ」と思いながら、

でもこころの奥で、何かがちょっとだけ、ズシッと重みを持つのを感じながら、コーヒーを飲みすぎたときみたいに、胸のあたりがチリチリする感覚を持ちながら、働いているのかもしれない。

そう思ったのもあって、急にこういうnoteを書いてみようって思った。


僕がそれを見つけるに至った経緯

もともと僕は、たぶん今のあなたと何も変わらなくって。
スティーブ・ジョブズとか孫正義みたいになれると思うほどは自信家じゃない。だけど、何者にもなれない、と諦めるほど悲観的でもなかった。

この世のどこかに、
まるでパズルのピースがはまるように、
かけていた歯車がピタッとはまるように、

自分が自分のまま、ありのまま輝ける仕事が。
それなりにお金も儲かって、クールで、
人からも羨ましがられるような仕事が。

この世のどこかに、絶対にあるはず。

だけど、自分はまだそれに出会ってない。

今ないのなら作ってやろう、くらいの気概は、ある。

あるんだけど、でも肝心のそれが、何なのかはまだ分からない。

今から振り返るとそんな状態だった。

ハンターハンターに憧れて

だから僕はまず、安直だけど、
「自分が気付いてないだけで実はめっちゃ高い能力」ってないのかな、と探し始めた。

何故か。

能力を見いだされる、ということは、人の道がひらけるときの一つ王道なおパターンだから。

例えが漫画で申し訳ないんだけど、
例えば「ハンターハンター」っていう漫画があって、
主人公格の人が何人かいるんだけど、とにかくチートなの。ズルいの。

島で動物と一緒に育った。
今まで島から出たことなかったし、戦ったこともないから自分では分からなかったけど、実は野生のカンが冴えまくってて、戦闘になると超強い

とか

殺し屋一族に育てられたからそれが普通だと思ってたけど、毒とか電撃とか喰らっても死なない。

とか。
で、それって要は何が起きてるかって言うと、

「えっ?これくらい普通じゃないんすか?
いや全然オレ頑張ったりとか、いやいやしてないっすけど笑
あっそうなんだ〜世間だとこういうのできるだけで?
あっ割と能力高いとか、へぇー言ってもらえる感じなんすね〜ふぅーん」

ってこと。

つまりは、これまでは自覚していなかった強みを認められる、見出される、ということ。

そういうのに憧れて、まずはとにかく自分に隠れた強みはないか、またそれを最大限に活かせる仕事はないか、探してみることに。

やり方はシンプルで、とにかく世の中にあるありとあらゆる自己分析系サービスを使いまってみる、ということだった。

実際に調べて、ほとんどは試したサービスは下記。(ヤバいくらい長かったので別の記事を作ったけど、見る必要はない)

結果どうだったか。

自己分析サービスにめっちゃ詳しい人が出来上がった。

どのサービスをやるとどれくらいの粒感の診断がいくらで出るか、どんな感じで出てくるか、瞬時に答えられる能力を手に入れた。


でも、肝心のやりたいことは見つからなかった。
アーティストに向いてるとか今更言われてもなあ。。


モチベーションの源泉を探る旅へ

ここに至ると、リクルートっていう会社にいたのは割とラッキーだったな、って思う。

成果を出すことに命かける、
みたいな文化はそんなに珍しくないと思うんだけど、

この会社はそれに加えて、
成果を出した人を褒めるということにかけて、マジで狂ってるのかというくらい時間も魂も注ぎ込む会社だった。

例えばあなたが、何か人よりも秀でた成績を残したとする。

そうすると当然、具体的にどんな行動をしたことがその成果に結びついたか、を上司が聞きにくる。ここまでは普通(だよね?)なんだけど、

そこから、
・他の選択肢もあった中でそれを選んだ理由は何か?
・3ヶ月前までの自分でも同じ選択をしたと思うか?
・違うならば何が変化したのか?
・その行動を選ぶ背景にはどのような価値観やその変化があったのか?
・その価値観の形成はいかにして成されたのか?

みたいなことを何時間もかけて深掘られまくる。
で、それをたかだか7分くらいのスライドにまとめて、発表してください!と。

そうすると、自分はどんなときに「燃える」ヤツなんだ?なんでそんな風になったんだ?っていうことに、向き合わざるをえない。

この、「結果の背後にある行動を見、行動の背後にある価値観とその変化を見、価値観の背後にある原体験や環境を見る」という突き詰めかたは、やりたいことを見つける上ではひとつヒントになった気がする。

ただ僕は入社してから2年くらいはほぼ褒められることなんてなかったので、笑
そういう機会に恵まれたのは割と最近になってだったけど。


既に「やりたいこと」の中に生きていると気づく

わかる。
こう言われると「あーはいはいそーゆーのいいから」ってなる。
足るを知る的な?今そーゆーのいらないんですよはいはい仏教仏教。と。

僕も初めにこう言われたとき、正直理解ができなくって。
「はっ?」ってなったんだけど、今は理解できる。
ちょっと解説すると。

「本当はやりたいわけじゃないんだけど、仕方なくやってる、
他に選択肢がないからやってること」って思い浮かびますか?


って聞かれたとき、思い浮かんじゃう時が、あるはず。僕もあった。

仕事でも、学校でもバイトでも親の介護でも、
仲良くない友達の人数合わせに呼ばれた結婚式でも何でもいいんだけど。

私はこれを本当にやりたいわけじゃないけど、
仕方なくやってる、って思ってるなら。

いきなり誤解を恐れず言うと、
それは、言い訳をしてるだけだと僕は思う。

私がやりたいわけじゃない。
ってことは、私じゃない誰か、何かの意思でやらされてる。
私自身がやると決めてやってるわけじゃない。

そう思うその背景には、何があるか。

僕はこの裏にあるのは、
結果に対して責任を負いたくない無責任な気持ちだと、思う。

私がこれをやると決めたわけではない。
だからその結果どうなろうと、私の知ったことではない。
はっきり言葉にしてしまえば、そういうことなんだと思う。

ここで厄介なのが、僕らが責任を負いたくないと言ってるのは、
実は突き詰めると「自分の人生の結果」だということに、気づいてない
場合があるということ。

自分の人生、っていう、笑っちゃうくらい自分のもの。

でもそれについてすら、僕らは誰かに決めてほしくて、
しかもその責任をとってほしいって、実は思ってる。
そしてそれに気がつく人は、実はそんなに多くない。

会社に向かう電車の中で、

「あー。このまま海行きたいなあ」

って思ったことのある人は、僕だけじゃないはず。
でも大半の人は海に行かずに、会社に行く。

なぜなら、海に行って1日気持ちいいことよりも、
会社に行って上司に怒られないことを、安定した収入を、仕事のやりやすさを、選んでいるから。

ってな具合で、実は無意識に他の何かと比較して、
自分の責任のもと自分の意思で、今日何するかを、毎日毎日、僕らは選んでる。

誰かにやらされていることなんて、実は一つもない。

ここを出発点にすると、実は「やりたいこと」なんてものは、
案外近くに転がってたり、
目の前にあるけど気づいてないだけ、だったりする。


価値観、というものと向き合い切り、磨くということ

別に何かの勧誘をしたいわけじゃないので具体名は伏せるんだけど、
一冊の本に出会った。
そこに書いてあったのは、

先程書いた
「あなたは自分で選んだことしかやってない」
「だから自分が何してるか観察しまくれば、やりたいことなんてすぐ分かるよ」

この2つだった。

完璧なロジック。。!
と思い、とにかく自分の行動に向き合うことにした。

・何に時間を使っているか
・何にお金を使っているか
・常に身の回りにあるものは何か
・どんなことを考えるか
・どんなことにテンションが上がるか
・どんなことを記憶しているか
・どんなことを整理整頓しているか


こんな観点で、日々自分を観察する。

観察したら、
・じゃあそれは、自分にとってどんな意味合いがあるのか
・いつでもそうなのか、どんな条件下でもそうなのか?例外はあるか?
などを考えて、深掘りしてゆく。

例えば、「スマホ」って今や誰もが常に持ってるので、「身の回りに常にあるものはなにか」っていう質問には高頻度で回答になる。

でも同じスマホでも、ホーム画面を見てみると人によって個性が出てたりする。特に一番押しやすいところに何があるか、を観察してみたりして。

僕の場合は、
・タスク管理アプリのTrello
・仕事用チャットのSlack
・すぐ調べる用にChrome

の3つで、僕にとってはスマホは「仕事を進めるための道具」、
「ブラウジングデバイス」としての意味合いが強いと分かる。

これが人によっては、「人とコミュニケーションする道具」とか、
「ゲーミングデバイス」になったりする。

こんな感じで、他にも「何に時間を使ってる?」「何にお金を使ってる?」という事実を観察し、そこに意味合いを見出すことで、
自分は一体何を大事にして生きてるのか。を具体的に突き詰めていく。

ここについてはひとりで深めようとすると客観性を失ったりするので、
1.5万円/1Hでコーチをつけて手助けをしてもらったり、
考え方を体系づけて学ぶために20万円/2daysとかのセミナーに行ってみたりもした。
自分でも振り返るとちょっと引くんだけど、でもそれくらい必死だった。

そうしてたどり着いたのは

上記のように、必死こいて色々勉強して、
ぼくが最終的に行き着いたやり方は、

「快」とか「不快」のような、
ヒトとして根源的な反応へのアンテナを研ぎ澄ませる


ということだった。

成長する赤ちゃんを見ているとよく分かる。
産まれたてのヒトは、「泣く」か「寝る」しかない。
不快だと泣く。そうでないと寝る。めちゃめちゃ分かりやすい。

感情とか、行動とか、そういうものは、濁りがある場合が多い。
繰り出される背景に「価値観」が入ってくるから。

この「価値観」が厄介。
価値観≒濁りと言ってもいい。

価値観は、それ自体が「自分だけのもの」かのような文脈で持ち出されることが多いけど、実は人から押し付けられたり埋め込まれたり、吸収したりして、常に形を変えるもので、つまりは理性的なものだから。

快なのか不快なのか、っていう動物的本能とは、別のところにある。

わかりやすく言えば、
「男とは花なんぞに現を抜かさないものだ」っていう社会からの要請を内面化してしまうと、
たとえ動物的本能で花を愛でることに快感を覚えようが、
あとから理性でそれを抑え込んでしまう

さらに厄介なのは、社会からの要請でそれを抑え込んだということを忘れて、それこそが自分の価値観だと信じ切ってしまうこと。

さらにさらに厄介なのは、それが大好きなヒトや尊敬するヒトの価値観や考え方だと、それに染まること自体が亜種の快楽を伴うこと。
(でもこの快楽は動物的本能によるものではなくて価値観に基づくものなので、一周して結局他者の価値観の内面化でしかないし、しかも思考停止しやすい)

だからね。

そういうのは全部抜きにして、素っ裸の生まれたままの自分は、
何を気持ちいいと感じ、何をそうでないと感じるの?

っていう問いを、常に心のなかに持っておいて、
その答えを研ぎ澄ましていくしかない。

例えば僕は、「黒くて四角いものになぜだか惹かれる」としたとき。
まずはそれに気づくことが第一歩になる。

実はこれだけでも結構難しい。
なぜなら僕たちは、生まれてからこれまで、あまりにも他者からの期待を汲み取りすぎて、汲み取ったその期待を自分に内面化しすぎて、その能力に長けすぎているから。呼吸するように他人からの期待に応えようとするから。

だから、「あっ。なんかこれ好きかも。気持ちいいかも」って思ったら。
次のステップは「本当にそれは自分の感覚か?」と疑うこと。
捨てること。他者からの期待なんてものはすべて、私を彼らの人生のために使おうとして生みだされた燃えないゴミだと一旦思うこと。

そうやって「黒くて四角い」がいい。というのが自分のものだという確信を強固にしてゆく。またはヒトのものだと気づき捨ててゆく。

そうしたら今度は「いつ何時でも?」「どんなものであっても?」を問いかけて、答えを探す。つまりは例外を探す。
例外があるということは、まだ私はこの快を正しく切り取れていないということだから。

そうして自分が納得できるくらいの大きさと言葉で快を切り取れるようになるんだけど、実はその言語化自体は目的じゃない。

同時に自分が自分を見ると、今まで大事に大事にかかえていた重いものが、実はゴミだったことに気がつく。気がついて、いろいろなものを捨てて、自分の快にまっすぐになる。こちらのほうが重要。

そうすると他人からの期待はすべてノイズだと気がついてしまうので、
そうして言葉にできるくらい自分の感覚を取り戻せるようになる頃には、
他人から見ると「ちょっと変わってる」「わがまま」「自分勝手」「ジコチュー」に見えるようになる。

ちなみに僕にとってこの作業は、1日やそこらでは全然できず、
3ヶ月位かけて徐々に取り戻していった感はある。

突然だけど、ブルーハーツだかハイロウズだかの曲で、
「胸のドキドキ」っていうのがあるんだけど、本当にこれ。
これでしかない。一度聞いてみてほしい。人によっては涙が出ると思う。
知ってるわ、って人も、一度ゆっくり何を言ってるか聞いてみて。


と、いう具合で、僕はいま自転車が好きなんだけど、

リクルートの人が言うように、または多くの人が思うように、
ラッキーで熱くなれるものに出会えたわけでは全くなくて。

むしろ最初は「自転車ちょっと楽しい」くらいだったところから、
その感覚を研ぎ澄ませていって、自転車が好きなんだと「気がついた」
というのが経緯としては正しいと思う。

一番伝えたいこと

と、僕はこうして「やりたいこと」に気がついた。
でも冒頭でお伝えしたように、一番お伝えしたいことはそれではなくて。

今だから思うことし、僕がこう言うのはちょっとずるいんだけど。


やりたいことがなくて悩む。

っていうのは、
「やりたいことがないとダメ」っていう価値観に基づいてるわけだけど、

その価値観って、本当に「あなたのもの」なのか?


僕は人のやりたいことを見つける手伝いをするより、
人がもっとこころの荷物をおろして、ラクに生きていけることのほうが興味がある。

だからもしこのnoteを読んで、自分と向き合ってみようかな、って思ったら。

この問いを出発点にしてみると、案外ラクへの道は遠くないのかもしれないと思う。

面白いなって思っていただけたら、ぜひサポートをお願いします! 面白くないなって思った場合も、ぜひサポートをお願いします! …狂ってる?それ、誉め言葉ね