シン・エヴァンゲリオン:||感想(ネタバレあり)

新エヴァの完結作、見てきました。

本当の意味でエヴァは終わりを迎えましたね。

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(ネタバレに厳しいジャンルなので少しスペースを空けます)

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新劇場版のテーマ

当初から囁かれていたとおり、新劇場版はTV+旧劇の続きの話でした。

続きというか第二部ということでしょうか。

今回のテーマは『父親からの自立』でしょう。

非常にメッセージ性がはっきりしていたので愚鈍な自分でもすぐに分かりました。

旧劇は『母親からの自立』だったので晴れて両親から自立して大人になるわけですね。

序でゲンドウが言っていた「シンジ、大人になれ」が全てだったわけです。(結局あのおっさんも大人になれてなかったわけですが)

タイトルも『:||』も二回演奏して完結という解釈かなと思います。

作品としては綺麗に完結したのではないでしょうか。

旧劇と新劇の違い

新は序の時点では旧の焼き直しですがところどころ細かい違いがあり、破の終盤から大きく変わりました。これもうまい演出だなと思います。

始点を同じにすることでテーマの違いを物語に反映させてぜんぜん違う結末を迎えるわけです。

新は母親の影がないので綾波がちゃんとヒロインしてます。破の段階では正ヒロインかと錯覚してしまいました。

物語が大きく分岐した破の最後でシンジは綾波を救おうとしてニア・サードインパクトを起こしますが、他人と積極的に関わろうとしている時点で旧から成長しているんですよね。

旧劇のサード・インパクトで生命のスープ化(母なる海への還元)を拒絶して心の壁(ATF)のある世界を自分で選択したシンジだからこそ行けたわけです。

ちなみに個人的に旧劇のラストのアスカの『気持ち悪い』というセリフはすごい気に入っています。シンジの望んだATFのある世界を最も端的に表しています。アスカは全ての『他人』を代表していたわけですね。

母親の後ろに隠れていた子供が、友達と遊ぶようになり、そして大切にしたい人を見つけたからこそ自分で突っ込んで行けたわけです。

Qとは何だったのか

Qで完全に置いて行けれた人は多かったと思います。

でも完結してから振り返ると話が見えてきます。戦艦とか出てきたのは完全に趣味だと思いますけど。

結局あれって大人の社会の冷たさを表現したかったんだと思います。

「いきなさい!シンジくん!」とか発破かけてたミサトさんすら絶対零度の声をかけるし。ただただシンジくんが可愛そう。

でもこれって大人の社会ではわりかしある話なんですよね。みんな自分のことで精一杯ですから。応援はする、話も聞く、でもやったことは本人の自己責任。

まぁそりゃそうですよね。なんで他人の責任取らなあかんねんと。

母親から自立しただけのシンジは自分で決めて自分で行動することはできても、『自分で責任を持つ』ということができないんですよね。

大人になるにはもう一つ大きな壁を超えないといけない。

自由意志があるけど大人になりきれていない。

その隙間で足掻いて、出来もしないのに自分で元通りにしようとしてもっと酷いことになるわけです。

周りの大人たち(ミサトたち)は余計な仕事を増やしたくないので、未熟者はじっとしていろというし、優しい大人たち(カヲルやカジ)はその足掻きを応援してケツ持ちをしてくれるわけです。

大人になるのに必要なこと

:||の序盤はシンジは死ぬほど暗いです。

挑戦すれば失敗するのは当然のことなんですけど、その責任を負いきれずにずっと塞ぎ込んでいます。マジこの世の終わりみたいな感じ出てます。

大人になったかつての同級生があの手この手でシンジを元気づけようとする。アスカも口は悪いけど全力で発破かける。見てて居た堪れなかったです。

この人達滅茶苦茶優しいんですよね。ニア・サードでどえらい被害被ってるはずなのに、生きてくだけで大変なはずなのに。多分多くの人が心のそこからイラッとしたんじゃないでしょうか。

社会の冷たさに洗礼を受けたQと何が違うのか?っていうとシンジが反省している点だと思います。

Qではシンジは世界をもとに戻そうとした、失敗を無かったことにしたんですね。責任から逃げようとした。でももう取り返しがつかないことは分かっていて、向き合って、受け止めきれずに潰れてるわけです。

大人になろうとしているシンジをみんなで応援してるんですよね。これ泣けますね。

ちょっとシンジが元気を取り戻した段階で、皆が自分の過去の失敗やできないことをシンジに話します。大人って全部自分でやることじゃないんですよね。できないことは受け入れて、頼るときには頼る。だから『仲良くなるおまじない』が必要なんですよね。

村のシーンっていうのは大人のチュートリアルなんですよね。

失敗はする。責任は取れ。でも助けがいるなら言ってくれ。

実際これちゃんと出来てる大人ってどれくらいいますかね?

というか自分自身もちゃんと出来てるか自信ないです。やらかしたとき変な汗出て、何度ごまかそうかと思ったものか。

ゲンドウとの対決

ここまでやってようやく準備完了なんですよね。父親と対等に面と向かって立つには。

今回のインパクトはゲンドウがトリガーですが、目的は完全にゲンドウのエゴです。ここで重要なのがゲンドウも大人になりきれてないんですよ。

完全に妻に依存していて、自分の存在感を自己肯定できていない。完成していない、非常にもろくて弱い。しかもそのことから目をそらし続けている。

でもそのくせ、できない仕方ない現実を見ろとか言うわけです。ぶっちゃけ駄目な大人ですね。大人ぶってるだけで拗ねてるだけ。

でもその不完全さが大事で、シンジが『自分と同じなんだ』と気づいてようやく対等な大人として言葉をかわすことができるわけですね。

誰しも完璧に大人になれないんですよ。

ここでややこしいのは、父とは神でもあることなんですよね。ゲンドウもまた大きな存在に依存していたわけです。

神から貰った6本の槍(6は神聖とされる完全数ですね。よく出来てる)で13使徒を滅ぼしエヴァに縋ったゲンドウ、対して人工の7本目の槍で13機の全てのエヴァを破棄したってのはいい感じの否定になってますね。

マリは何者か?

破で初登場したときは『何だこのポット出のメガネは?』と思ってましたがまさか最重要人物になるとは・・・

最後の最後で冬月が『イスカリオテのマリア』と呼んでいましたね。

マリアといえば聖母マリアを思い浮かべがちですが、多分マグダラの方でしょう。イエスの死の見届人。エヴァの供養担当だったので多分そっちです。

最初にちょっと話しただけでぜんっぜんシンジと絡みがなかったですが、最後の最後でシンジの手を取ったのはマリでした。

この辺議論があると思いますが、自分は最後に手を取るのはマリ以外ありえないかなと思います。というか最後のシーンのために用意された女性だったと思います。

マリって粛々と仕事こなしてますし、キツい場面でも弱音を吐かないし、シンジに優しく『子供として』扱っている。滅茶苦茶大人な女性なんですよね。

その大人の女性が一番最後にシンジのチョーカー、管理される子供の象徴を外すわけです。

大人の仲間入りをして、ある経験を積んで大人の男性として認められたことなのかなと。(女性って自分よりガキな男性にマジで冷たいですからね)

成長したアスカ出すこともできるだろうけど、子供の頃のイメージが染み付いてしまうので難しいかなぁと。というか子供の頃の関係を引きずってる感じがでてしまうので大人になったシンジとはミスマッチですね。

マリはこの物語の見えるゴール地点だったんだろうなと思います。マリとの距離感=シンジの成長度。それでいうと決戦前にようやく会話してもらえる程度に興味を持ってもらえるというね。マジで冷たい。

おわりに

オチは特にないです。

旧より分かりやすいように思ったのは時代なのか自分の解釈力が上がったのかは分かりません。

父子対決、子供の自立というありがちなテーマで凡庸に思ったのは自分だけでしょうか?

まぁでも序〜ずっと父さん父さんいってたけど気づかなかったしね。

:||は答え合わせ回という感じでわかりやすく作っていたのかもしれません。

弱音を吐くゲンドウが可愛いと思いました。

ゲンドウもシンジのために『父親役』をずっとしてたんですよね。でも中身は弱くて情けない我儘で人付き合いの下手な普通の大人のおっさんなんですよ。

そういう意味では真のヒロインはゲンドウですね。

父親役を引退したゲンドウはもう少し優しく笑えるようになったでしょうか?異性への依存を断ち切ったことでゲンドウも少し大人になったのだと思います。

大人というのはある日突然なるものではなく、延々と続く終わりのない道程なのだと思います。自分ももっと精進したいものですね。

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