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音楽理論が音楽をつまらなくしている(雑文)

J-POPとか作ってる人は殆どが音楽理論を勉強してるんですよね。

アーティストさんがそうでなくても、サウンドプロデュースする人なりアレンジャーなり、もしくはエンジニアさんがそういう教育を受けていて、整えている。

ここで言う「音楽理論」とは機能和声に基いたいわゆる「ポピュラー音楽理論」のことです。

これがね、私たちが作っている音楽がなんとなく枠の中からハミ出し切れない、ある種のつまらなさの要因になってるって誰かが言ってて確かになぁって思いました。

誰なのか隠しているわけではないです。単に思い出せないです(笑)

どんなに過激な歌詞をくっ付けてもその素性は隠せないよな、みたいのはあると思います。※要らないと言っているわけではない。

巷(ちまた)に溢れる音楽の殆どがこれで出来ているのでフィーリングだけで作ってもその枠の中に納まりやすいです。

民族音楽の極端な例など持ちだすまでもなく、洋楽を聴いているとそういう枠からはみ出していてポップなのもある。

そういう曲はサウンド的にチャレンジングとういよりはむしろどこか素朴でシンプルさに溢れています。

コード多過ぎるんよ大抵。

洋楽でもスティービーみたいにコード多いのもありますよもちろん。も少しロック寄りのやつとかです。

VをVm7で書いたりしてみてよ😊

もうさ大抵V7しかアタマの中に鳴らない。

ドミナントの役割として自然とVm7が鳴るようなセンスも育みたいです。

サブドミに行くきっかけのVm7じゃないですよ😊。

Vの和音ががVm7なの。わらべうたとかにはいっぱいある。

V7よりもトニックに行く力は弱くなって、その淡さがVm7の魅力なんですよ。行先は大抵マイナートニックになるのかな。

こういうのをモード旋法と言い切っていいのかは分からないです。

モードという別の宇宙とっても好き。


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