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五線譜をこえるものは出てこない

五線譜にとって代わるものは出てこないんじゃないかな。

今の五線の書き方が滅んでしまうような記譜法は今後も出てこないように思う。

五線譜…何しろ、これのお陰で作曲と演奏の分業が出来るようになったことは、とてもデカい。

これ、個人のメリット、デメリットに直接はあんまり関係ないので見落とされがちのようにも感じます。

五線に記したことで出てくるあいまいさをプラスに使うことも出来る。グレン・グールドのピアノもそのひとつかもしれない。

古楽の楽譜を見ると、今の五線譜に落ち着くまでにも紆余曲折があった事が分かる。専門外なのでそういう画像のあるサイトのリンクを貼っておきますね。

クラシックトリビア
「古楽を楽しむ」
https://www.suntory-kenko.com/contents/enjoy/hosekibako/hsk-trivia15.aspx

現代古楽倶楽部
「中世の写本」
http://cphmn700.blogspot.com/2019/01/blog-post_8.html

今の五線譜が、様々に「よきところで」収まっていることは想像に容易い。

僕が50数年生きて見て来た感触に限れば、記譜法でこれを越えるもの、つまり今の五線の書き方が滅んでしまうような記譜法は今後も出てこないのではないかと感じている。

僕が二十歳の頃だって色々な議論や試みがあった。音楽の変化のスピードの速さから考えると(ショパンがたかだか200年前)、この安定感は揺るぎないように思う。

え?そりゃ五線譜に記さない方がいい音楽も沢山ありますよ。

コードだけの方がずっといいものになる時もあるし、だからそういうのは採譜すると凄いことになるでしょ 笑。

そもそも記譜に向いていない音楽もある。五線譜って、というよりそもそも記譜が、リズムの記述が不得意。

それ以前に、音符を選ぶ自由が奏者に与えられていたら記譜出来ないしね。

記譜したら急につまらなくなったり、それらしさが失われてしまう音楽もある。

もし、そういう音楽にまで五線譜が役に立つと期待してしまうようなら、それは音楽教育に問題があるのかもしれない。

で、そんな事を理解しつつ、五線譜に書けないことも含めてあなたの音楽的背景を豊かにして、五線譜から全てを読み取るチカラを育むわけです。

そうすると、記譜は同じでも中身が全く違うものも幾つもある事が見えてくる。

いずれにしても、五線譜は思った以上に凄いんですよ。何が言いたいのかだんだん分からなくなって来たけど 笑、それは押さえておいた方がいいように思います。

同時に「あなたは五線譜から離れた時に、何が出来るの?」という問いも必要に思います。思ったよりも色々な事が出来ることに驚く人もいるかもしれません。

あとまぁピアニストは楽譜の読めない人と楽譜しか読めない人の橋渡しをする役回りになることも多いかな。広い心でね。

この話には続きがあります。
また今度!

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