映画『教誨師』の感想

 一番印象に残ったのが高宮。「役に立たない人間は殺してもよい」という考え方にはまったく賛同しないが、理屈の積み上げ方は割と真っ当なのではないかと思った。「なぜ豚は殺してよくてイルカはダメなのか」という問いに対して、佐伯さん…それはないでしょうよ。牧師さんならちゃんと答えてほしかった。でも、だからこそ、牧師さんとはいえ普通にお酒も飲むただの人間、結局「つみがあるとせめうる」人などいないのではと考えさせられる。


 一番嫌いだと思ったのは鈴木。だんだんとやらかしたことが見えてきた。要はストーカーね。この手の犯罪を見聞きするといつも思うのだが、好きなのにどうして相手のことを大切にできないのだろう。人の気持ちなんて自分の思い通りにならないのが当たり前ではないか。人の気持ちをどうしてそんなに都合よく捻じ曲げるのか。これはちょっと救いようがない。ここまできてほとんど私怨で死刑を肯定しそうな自分にも嫌気が差す。私は死刑反対派だ。理由を書き連ねると長くなるので割愛するが、一つは執行に関わる方々に酷だと思うから。というわけでこの映画を観て死刑反対の気持ちはどちらかというと強まったのだが、我ながら単純なものだ。実態を知りもしないうちに賛成だの反対だの言い、知った後で掌を返すことだってありうる。人はいくら学んでも未熟だ。高宮の台詞が思い出される。


 高宮といい野口といい、なぜこんなにも上から目線の物言いができるのだろうか。批判でも軽蔑でもなく、純粋な疑問。高宮は「博識な若者」という設定だが、博識なら自分の無知をも知っているはずではないか。結局視野が狭くて自尊心が異様に高いのだ、彼らもまた救いようのないクズだ、と見放したくなってほとんど私怨で以下略。野口なんて、機嫌よくペラペラ喋ると思ったら自分の気に入らないことにはまるで聞く耳を持たない。その自尊心ちょっと分けてほしい。でももう自分がどう思われるかなんてことを気にする余裕もないほどに追い詰められているのかもしれないと思うと、一番哀れ——と言うとそれこそ上から目線だが——な人でもある。


 ところで、心の内ではまったく賛同していなくても、相手の気分を害さないように返しておく言葉「そうかもしれませんね」はどこかで役に立つかもしれないと思った。頭の片隅にしまっておくことにする。共感しているようでいて相手とわかり合うことを放棄し、見放したときに打つ相槌として。


 あと、高宮役の玉置玲央さん。覚えておこう。

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