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「兄(妹)妹」


「3人兄弟だと、こどもの社会ができていいらしい。」

なんだか調べると、平成初期(?)によく聞かれた言葉らしいが、わたしの両親はこれを鵜呑みにし、3人こどもを産んだ。


兄、わたし、妹。兄とわたしは4歳差で、わたしと妹は3歳差。この3人が集まると、どうやら社会(コミュニティ)として成り立っているらしい。


わたしは現在、兄と2人暮らしをしている。

嫌味なのか、本当に感心してくれているのか、周りには「えーすごいね。」「えー嫌じゃないの?」「わたしだったら絶対無理だ」と言われる反応が大多数。


兄とはふたりでご飯食べに出かけたり、帰りの時間がかぶればスーパーで待ち合わせして一緒に買い物、そしてそのまま一緒に帰ることもある。(文字起こしするとめっちゃ仲良さそう) 機嫌がいいときはおニューの服を見せ合いっこしたりするけど、綺麗好きさとかの価値観がちがってめっちゃ言い合いすることもある。


当たり前のように不満なところはあるし、ひとり暮らしだったらなぁって思うこともある。でも総合的に状況をみたときに(言い出すときりがない+どうでもいい個人情報な気がするので割愛)当たり前のようにふたりぐらしの選択肢を選んだ。

逆に、なんでみんなそこまで嫌がるのかと疑問に思っていたが、すぐさま、この記事のはじめのひと文に答えがあることに気づいた。


――わたしたちは「兄妹」というただ個と個を並べたものではなく、「同じコミュニティ(社会)の同士」としてお互いをみているのだ。


そもそも「きょうだい」は、友人とは違い、距離感が特別。

血がつながっている(幼少期は同じ家に住んでいるという認識の方が強い)からか、全力で (噛み合い)の喧嘩もするし、その3分後に気づいたら仲良くお店屋さんごっこをしていることもある。これは「兄弟」だろうと「兄妹」だろうと「姉妹(きょうだい)」だろうと「姉弟(きょうだい)」だろうと同じだろう。


では、2人兄妹と3人「兄妹妹(きょうだい)」だとなにがちがうか。

2人兄妹だと関係性は平行線のままだが、もう一人が加わることでいい意味でバランスが崩れる。


例えば、わたしと兄がケンカをはじめたとする。(特に幼少期だと年齢の差に伴う体の大きさ、体力の差が明確なので)兄の圧勝がほぼ確定みたいなものだ。しかしその状況で妹は、わたしの見方につくもよし、兄の見方につくのもよし、はたまた第三者として一切関与しないという道を選ぶのもよし。ある意味、このケンカの行方に関して、3人ともが同じ裁量をもっているのだ。


2人だと組み合わせが 兄―わたし の1通りだが、3人だと 兄―わたし わたしー妹 兄―妹 兄―わたし―妹 と4通りになる。


ケンカの内容に加えて、この組合せ、そしてそれを踏まえた自分の行動次第でじぶんの立場が左右される。3人のうちだれかが突然意見を変えれば、下克上だってありえる。

実際に妹がわたし側につけば、兄は頭数と女の子姉妹を掛け合わせた時に生まれる謎の合致パワーの力によって勝てない。(姉妹のみんなに伝われ)


こう考えると、わたしたち3人を(上下の関係が明確な)「兄妹」と示すのはすこし違うのかもしれない。

3人「兄妹妹(きょうだい)」は年齢関係なく同じ土俵で戦えるという環境で共に育ち、「兄妹」とはちがい、お互いを「同じコミュニティ内の同士」として認識している。

だからこそ、兄とも妹とも(実はこっちも経験あり)と2人暮らしすることに抵抗もなく、みんなが思っている以上に、楽しく過ごせているのかもしれない。


(本音:言いたいこと伝わってるかな、、)



ちなみにわたしは妹とも、2人暮らしをした経験あり。同じ大学に通っていたとき、なんなら同じサークルにも所属していた。

「妹が同じ大学にいるのってどんな気分なん?」「わたしやったら絶対いややわ、ましては同じサークルって(本人的には単なる意見)」と日常的に言われました。


当時聞いてくれたみなさん、きっとこれが答えです。

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