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【詩】死ねない私が生き恥を晒す理由、そして私の絶望と希望

私にとっての絶望は、人から産まれる。

人との断絶は、私にとって、死に値する。
だから、私と繋がる人がいなければ、
私は直ぐにでも、生きることを止めるだろう。

私が死を意識する時は、私の愚かさを晒した時だ。


「この程度の人なのか」
「こんなこともできないのか」
「こういうことしてしまう人なんだ」
「残念だね」


例え其れが事実で有ろうと無かろうと、
いや其れが事実であるからこそ、
私は其れを深く恥じ入る。

そして恐れる。
矮小な私に呆れ、落胆し、人が離れて行くことに。


大した人間ではない。
底が知れた奴だ。


其の事実は、私が、他ならぬ誰よりも知っている。


其の大したことがない私を、
どうにか取り繕って、なんとか糊塗することで、
今日まで生き延びることが出来た。

自分の底から、逃げてきた。


其れは、死からの逃避だった。


毛頭、死ぬつもりはない。
死ぬにはコストがかかりすぎるから。 

しかし死という概念は、
今私を、少しずつ、
しかし確実に、蝕んでいる。

そろそろ逃避するのにも疲れたらしい。
今までになかった「死にたい」という感覚が産まれてきた。
日常で目にし耳にしても、決して理解できなかった感覚だ。
いや、理解したくなかった。



しかし、私はまだ生きている。
生き恥を晒し、人から嫌われることをし、
情けない姿を見せ、なおもまだ私は生きようとしている。

何故、生きようとするのか。

其れを受け入れられない自分がいる。
でも、其れをゆるそうとする自分がいる。



ゆるそうとする自分がいる?



そうだ。



私は、私をゆるしてきた。


他人を信用できなくても、誰かに嫌われても、
其れでも私は、私だけは、
私をゆるすことをし続けた。

何故だろう。


嗚呼、其れはきっと、罪なのだろう。


私は一度、私をゆるしてしまったから。
またゆるさなければ、今までゆるしたことも、
ゆるしたことによって救われてきたことも、
全てが、無に帰してしまうから。
せめて、私が此処に居たことは、
失いたくないから。



私にとっての希望は、私から産まれる。

誰も私に希みなど託していない。
ならば、私は私のために、希みを産もう。

其れがやがて、
誰かの絶望を終わらせ、
誰かの希望を紡ぐのなら。

私は、私をゆるしたことに、
意味を与えられるかもしれない。

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