働かざる者たち2話:「好き」を仕事にするべきか?

求人広告でよく見る「好きを仕事に」的なキャッチコピー。
自分が好きなことを仕事にできたら…とは誰もが一度は思うこと。
でも、それが叶えられることは多くないし、叶えられたら幸福なのかというと必ずしもそうではないわけで。

1話で仕事を頑張ろうと決めた橋田。だが、その舌の根も乾かぬうちに仕事中に漫画のネタを考えていたせいでミスをしてしまう。
(しかもそれが「ヘクソン大統領」。嫌いじゃないけど…好きだけど!)
そのリカバリーのための作業をしている校閲部で、彼はある「働かないおじさん」に出会う。ウィキプディアをメモ帳に貼り付けて働くフリをしている三木、通称「ウィキさん」だ(ミキとウィキをかけていることにちょっと感心)。
かたやウィキさんを目の敵にする校閲部長、柳瀬は「伝説の94年組」。
かつて「視覚障害者ら事故現場を見て回った。」という表現を、目の見えない人たちが見て回る、というのはあまりにも残酷だと指摘したという武勇伝を持つ。

…というのは表向きの話。新田が新聞記者らしく事実を掴んでくる。
柳瀬と三木は同期。24年前、表現を正したのは実は柳瀬ではなく三木で、当時の論説委員長・神前(その名の通り神のような存在である)に取り入るために、柳瀬が自分の手柄にしてしまったのだ、と。

だからといってその復讐のために仕事をしない、というのも納得のいかない話。
鴨志田の「念願の校閲部に入って、仕事が認められたタイミングで梯子を外されるんだ、同じ校閲としてウィキさんの無念はわかってあげたいけどなぁ」という意見よりは、新田の「でもそんなに優秀ならよその新聞社に行けばいいのに。結局ずっと居座って給料だけもらって働かないのは年功序列のガンだよ」という感想の方がしっくりくる。
ウィキさんは復讐のつもりか、心が折れたか、仕事をしないでいるうちに、そのぬるま湯の居心地がよくて抜け出せなくなってしまったのだろうか。それとも、気付いた時にはもう抜け出す術を失っていたのか。

「念願の仕事に就く、その喜びを俺は知らない」
校閲への思い入れが強すぎたせいで、たった一つの出来事で仕事へのモチベーションを失ってしまったウィキさんも、毎日忙しくても「好きでやってることだからね」と言える新田も、念願の仕事に就いた側の人たちだ。
橋田は漫画を描くのは好きだけれど、仕事にしたいとも、仕事になるとも思っていない。
漫画を副業にすればいいのに、という川江に「あんな漫画保険にもならないよ」と言ってしまうのが、いかにも中途半端だ。

「好きなことを仕事にすると、挫折した時ウィキさんみたいになってしまう可能性がある。それなら仕事は仕事で一生懸命頑張りつつ、自分の好きなこととして漫画も一生懸命頑張ればいいのか?これ、働くことの答えになってるか?」
橋田自身も気付いている通り、それは何のために働くかの答えではない。
橋田の迷走はまだまだ続きそうだ。

さて、2話は「これがこのドラマのお約束ですよ」的演出が見えてきたのが面白かった。
今回も橋田・新田・鴨志田の3人が居酒屋に集まって、働かないおじさんの噂話。
運ばれたつくねを食べられぬまま呼び出され、軽快に走り去る新田(飲み代はいつも懐かしの二千円札で置いていくことも明かされた)、そして残されたつくねを鴨志田が食べる…というところまでが様式美のようだ。
1話を観た視聴者的には「お待たせでーす、つくねでーす」とつくねが運ばれてきた時点であ、これは来るなと否が応でも期待が高まる。
果たして新田は最終話までにつくねを食べることができるのか。
本筋と関係のないお楽しみとして、その結末も追っていきたい。

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