食糧安全保障と価格と、議論とインプットの備忘録
議論のインプット
そもそも、作物は余っている必要がある、と思う。国の安全保障的な意味でも、個別農家のリスク回避、機会創出的な意味でも
機会創出。例えば、加工企業はそもそも、ある程度多めに仕入れる想定をしているけれど、不作の際など、急遽足りなくなるケースがある。その場合、農家側である程度余裕をもった作付けをしていれば、対応できるケースも増え、機会創出になる。余ったものは市場へ。
小売りは、一般顧客の教育も必要であるという考え。今環境に関して少しづつ浸透してきたのは、小売の影響も大きいのかも
農薬の議論。無農薬vs慣行の図は時間かかるけど、農家さんのリスク低減という意味では、伝わりやすい。
そういう意味でも、リスクを洗い出して改善活動を進めるGAPは、やっぱりいいと思う。
やりたいこと、ダイレクトにやってる企業ないし、自分でやっていく、であってそう、と思った。
インプット
そのとき、日本は何人養える?篠原信さん
有機質肥料の供給、江戸時代、3000万人以下が限界
ダンピング、不当に安く提供→賃金安い→消費減→デフレスパイラル
農家側の食品ロスは「安全余裕」
安く買うと、妥当な価格の野菜買わなくなる
農家は残渣を漉き込める
やるなら、小売でグラデーション値下げ
食糧は安い方が国が豊かに
余らせる→価格が下がり、別のものを消費(エンゲル係数小さく、なる)→非農業部門の給料が上がり、さらに消費が増える→作物消費も増える
食糧危機がおきるのは、、食料が足りないからではなく
仕事を失いお金が無くなり、消費が減るから
現場で何が起きているか伝えるマスメディアが機能しないから
政府が有効な策をとらないから
大飢饉はどれも国としては十分食糧があり、餓死者を出さずに済んだが政府が機能していなかった
大規模化が進まなかった理由
農家数が多すぎる(江戸時代から)
地主から小作人への農地解放の喜びで手放さなかった(明治・戦後)
日本列島改造論で土地開発が盛んに、高く売れた(大正)
兼業と機械化で、農家減少に歯止め(昭和)
そもそも山がちな地形多い
日本は世界第5位の農業大国だった(2010年以前)
非農業が元気で所得が高く、比較的高値で購入してくれた
逆に非農業部門の元気がなければ、給料が減り、安い作物を買おうとし、農業全体の売り上げ減少
大規模化志向の注意点
アメリカ、トウモロコシの大規模化→市場化価格の下落
生産性を向上させた結果、多くの小規模農家の生活が成り立たなくなっただけでなく、大規模農家の生活も苦しくなった
農家しかいなくなり、生活インフラがなくなる。経営者は現場を任せ都会に→気づいたら生産できない土地に(古代ローマでも)
大規模化と小規模化の繰り返し
直近、明治から大戦時にかけ地主による大規模化→戦後農地解放で小規模自作農→現在大規模化
(持論)現在の大規模化に関しては、ある程度必要だと思う。大規模の定義は人によるが、体きついし、、機械入れれるなら入れた方がいいと思うんですよね。。有機推進するならさらに。そうなると、ある程度の規模、野菜なら5ha以上、5千万以上くらい、、?はめざさないと、しんどいと思う。特に夏。
ステークホルダー資本主義
株主をはじめとするお金持ちに集中していたお金の流れを労働者に回るよう変え、その結果消費を増やし皆がゆとりをもつ社会をつくろう
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