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ふつうにお経を唱えること

 通夜や葬儀、法事では、マスクを着けてお経を唱えることが普通となっています。初めのころは苦しかったものの、最近は少し慣れてきた気がいたします。とはいえ、息継ぎの感覚が短くなったり、30分40分と唱えていると苦しくなってきます。

 そんな中、朝のお勤めの時にふと、こうしてマスクせずに思い切り声を出してお経を唱えることって、有難いことなんだなぁと感じました。

 毎日の本堂でのお勤めでは、自分以外だれも周りにいませんからマスクをつける必要がありません。このような社会状況以前では、マスクなんていうものを着けて読経することはなかったわけですが、今ではそのかつての普通の状態への有難み、感謝の念が湧いてきました。

 人は、今現在慣れている状態や環境に安住し、それを基盤として生活を営みます。しかし、それが崩れると様々な不平や不満を抱き、苦しみます。そして、かつての安住の環境への有難みの念が湧いてくる。これが人間の性というものだと思います。

 ただ、それ以前の段階で、今ある状況、環境を当たり前だと思わず、様々に感謝の念や有難みを感じて生活するのも、1つの生き方といえましょう。特にお坊さんには、そういった生き方をすることが求められるのだと思います。

 課題とか問題を見つけ出し、それを解決するアイデアや技術革新を開発していくことが、今日のビジネスシーンでよくみられることだと思いますが、より良くすることだけに目を向けるのではなく、今のままで良いとか、そこで満足するというような、いわゆる「少欲知足」の精神も大事であろうと感じます。



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