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邪魔とは何か

「邪魔」という語は、広辞苑によれば

 ①仏道修行をさまたげる邪な悪魔。
 ②さまたげ。障害。 
 ③他人の家を訪問すること。
 (お邪魔をする、という形で)

とあります。

「邪魔」は、仏教用語から来ていると考えられます。

煩悩と結びついた悪魔のことを指すサンスクリット語のmāra(マーラ)という語が漢訳され「魔(魔羅)」となり、それは修行の進展を阻害する「邪な」ものであるから、「邪魔」と呼ばれるようになったのです。

今日では、仏教とは関係なく一般的に使う語ですね。

この道を通るのに邪魔だ。
騒音が邪魔で集中できない。

といったり、
自分の目的の達成にはあの邪魔者をどうにかせねば。

などのように、善悪をはっきり分けて争いの種になるような場面にも用いられます。

今一度、仏教に立ち返ってみると

仏教の考えでは、はじめから邪魔者がこの世界に存在しているわけではありません。

邪魔というのは、邪魔と考える自分自身に依存するものだと考えないといけません。

これが邪魔だ、と考えるのは自分です。

思い通りになるものがあって逆にそうならないものは邪魔だから排除しようと考えるのも自分です。

お釈迦さまは「降魔成道」され仏陀となられました。
もはや、仏陀にとっては「邪魔」は存在しません。

邪魔のことを客観的に観察し、それによる苦しみを乗り越えているのです。

邪魔は耐え忍ぶものではなく、自らが作り出す邪魔者と向き合うこと、つまり、自分の心と向き合うことが大事なことであり、そうすることで、邪魔者がもう生まれてこないような心をもつことができればお釈迦さまのような悟りの境地へと近づいていけるのでしょう。

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