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知識や情報が手助けに

 「如実知見」とか、「ありのままに見る」ことが仏教修行では大事だとよく言われます。

 自分自身の色眼鏡、すなわち固定観念や偏見、既成概念にとらわれた見方を捨て去った上で、物事のありのままの姿を観察できることが、仏の眼で見るということでしょう。

 それは、単に坐禅をしまくって深い瞑想状態に入るとか、熟練した修行者はどこでも心を落ち着けることができて、どんな状況でも深い瞑想へと入っていける、ということだけでは実現されないものだと私は思います。

 仏さまの智慧を身に付けるためには、様々な知識や科学的な知識がその手助けとなるのだろうと考えています。

 例えば、人に接したり、その人の行いを観察した時、その見た目だけで人のことを判断するのは、仏の眼によるものとはいえません。

 善い行いにしても、悪い行いにしても、その背景には様々な事柄が複雑に絡んでいるはずで、それを具に把握するには知識や情報が必要とされることがあるでしょう。

 男女による違いや、生まれ育った環境、性格や趣味は人によってそれぞれですし、見た目には見えない障害をもっている人もいます。

 それらの情報や科学的な知識、あるいは自らの経験なども含めた智慧というのも、仏の智慧、仏の眼を育むのに必要だと思います。

 また、「慈悲」や「自他平等」という言葉にあるように、相手の立場に成り代わってみて接することが、仏の行いだともいいますが、完全に成り代わることはほとんど不可能なことですが、それに近い感覚を得るためにも、様々な情報や知識は大事であろうと思います。

 仏教書をたくさん読むことが大事だと思って今でも色々と勉強していますが、もっと他分野の智慧を身に付け、多くの視点で物事を観ることができるお坊さんでありたいものです。

サポートいただけると記事更新の励みになります。自身の経験などもふまえて仏教をご紹介できればと思っています。