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自分らしさ?

自分らしく。自分らしさ。自分ってなに?

自分とは?という概念がでてきたのは近代的個人。とも言われている近代以降というのが定説です。
日本は鎖国していたので、自ら近代化になったわけではなく黒船に脅迫されて、急ぎ開国して強制的に近代化を進めました。

近代以前には、個人だとかの概念は基本的に認められていません。
社会が生き方を決めるからです。
神様であったり、王様であったり。
産まれた瞬間から決められているレールに乗るのが人生です。

将軍家は将軍。農民は農民。と、身分制度では生まれてから死ぬまでやることは決定されています。
つまり、個人がやりたい事はなんだ?と探す自由など確約されていませんでした。
農民は先達から知識と技術を学び、最後は次の世代にまた引き継ぐ。そして社会に貢献する。

が、やがて
ペストが流行り神様の存在は疑われだしました
哲学者が力をつけて考え方を教授しだします
産業革命がおこり、市民革命もおこります
資本家が台頭し、資本主義が形成されていきます

ということで、シフトチェンジ。
神様、王様、殿様の時代から
資本家様の時代へと変わりました。

そうすると、人は自由を手にします。
仕事も、勉強する内容も、
自分で生き方をデザインしていく事が可能になりました。
よし!これからは自分らしく!ハッピー♪
という訳にはいきませんでした。

生き方が多様になればなるほど、選択肢がありすぎて個人では選べなくなるというエラーが発生。
やりたい事という娯楽と仕事の違いも分からず、いつまでも就職できないエラーもおきています。

そう。自由になれば、個人がみんな能動的になり、社会貢献に意義を感じ、高い志をもって生きていく
と考えられたのは、間違いであった事が証明されました。
何事も簡単にはいきませんね。
今では、身分制度の時のメリットを考えるという論さえ復活しています。

現在は、生き方もジェンダーも民族も思考もほんとに多様な時代になってきました。

多様性とは、聞こえはいいですが
1人の自己決定と自己責任がついてきます。

だからこそ、
しっかりと自分で考えをもたないと
どんどんブレていきます。

多様性とか、自由という言葉は
都合の良い場所だけ抜粋されます。
が、その実は1人1人の能動的な姿勢が求められます。

誰かに頼る事も、真似する事も、言うことを聞くことも社会には認められない時代へと向かっています。

自分には何の能力があるか
自分にな何の能力がないのか
どの世界なら活躍できるのか
どの場所なら貢献できるのか


我々は、自分で考えていくしか
ないようです。



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